こんな時こそ 元気に活動したい ‥‥‥‥ ①

深刻な事態が続いています。クローバー会の活動も影響を受け、私のまわりの行事・イベントも中止・延期に追い込まれています。感染が早く収束し、以前の日常に戻れるよう願うばかりです。この事態に及んでの趣味活動は、団体での行動は自粛すべきでしょうが、前向きな姿勢を失わないためにも、個人の活動は元気に取り組みたいものと思っています。
私もデジ青投稿を、老齢人生の第一の使命と考えて投稿を続けていますが、家に引き籠って文字を打ち込み、カビの生えたモノクロ写真を載せただけでは、決して元気さが伝わりません。もっと明るく、リアルで空気感の伝わる写真も載せて、多少なりとも誌面から元気さを感じてもらいたいと、最近の撮影記録を、しばらく紹介させていただきます。少し前に岡山へ行って、岡山電軌を撮ってきた。目的はこれ、東武日光軌道線から来た3000形のうち、日光線の塗色に復刻された3005号だ。岡電では予備車的な存在で、冷房も無いところから、秋冬春に月に一回だけ運転される。

この塗色のことが前から気になっていた。昭和43年に廃止された日光軌道線は知らないままだったが、昨年、東武博物館に保存展示されている連接車の200形と初めて対面して、いかにも昭和の路面電車らしいスタイル、そして観光地らしい華やかで独自性のある塗装に心ひかれた。東武日光軌道線では100形を名乗り、昭和28年に製造され、101~110の10両が在籍していた主力の車両だった。同線の廃止後、全車が岡山電気軌道に譲渡されて3000形となった。現在では2両だけが在籍していて、3005号が日光軌道線時代の塗装に復元されている。岡電特有の櫓付きのパンタも見られる。岡電の新製車が増加するにつれ、いちばん古い3005号は、営業には就かず、イベント時のみに出動するようになった。通常は月一回の第一土曜日午前、車庫のある東山と岡山駅前を2往復するだけになっている。なお、もと日光100形は、栃木県内のレジャー施設「チロリン村」保存車も日光時代の塗装に復元されている。あと個人所有の1両もあると言う。もう一両の3000形は3007号で、水戸岡鋭治氏によって、リニューアルされ、真っ黒に塗られた「KURO」として、毎日営業に就いている。こんなモンも来ました。「おかでんチャギントン」こと1081号が、この日は一日3往復していた。

G賞、ローレル賞を受賞した岡電の顔とも言える「MOMO」こと9200形が2月に自損事故を起こし、営業には出ていないため「チャギントン」は変則のダイヤとなっていた。このチャギントン、車番は1081だが、形式は9200形「MOMO」の第3編成になるそうだ。

 

今回は夜まで粘って、夕景、夜景も撮ることに。選んだ場所は、終点の東山の近くの横断陸橋。西を向くと、つぎの門田屋敷の停留場から上がって来る電車が望める。

 

 

 

 

 

 

東を向くと、終点がすぐ間近に。着いた電車は、乗客を降ろして引上線に入ってから、乗車ホームに入り、発車を待つ。

陽が暮れると雨が降ってきた。あらかじめ想定済みで、それなら雨の夜にしか撮れない写真をと反射とシルエットを狙ってみた。

 

 

 

 

 

 

 

もうひとつ狙いは、買ったばかりの三脚を使った「B」撮影。最近は、手持ちばかりで長時間露光は久しく経験がなかく、自動車の光跡を入れた長時間露光を試みた。結果は、半分以上にブレが発生していた。これは別にカメラ・三脚のせいではなく、陸橋の微妙な揺れのようだ。30秒程度の長時間は、しっかりした地盤でないと難しそうだ。

 

 こんな時こそ 元気に活動したい ‥‥‥‥ ①」への5件のフィードバック

  1. 総本家青信号特派員殿
    岡山電軌の近況報告ありがとうございます。広電が新しい駅ビルに高架で乗り入れることになるように、岡電も2023年度に岡山駅ビル前まで100m延伸されます。また清輝橋線と東山線をつないだループ線を設ける案も検討が進んでいるようです。駅前延伸は容易でしょうが、市街地のど真ん中にループ新線を敷設するのは容易ではないと思いますが、富山でも単線ながら環状線を作っていますので実現するでしょう。それまでこちらが元気でいられるかどうかですね。新聞記事は2020-3-12中国新聞朝刊です。

    • 西村様
      岡電の延伸計画、ありがとうございます。ほかの都市が駅前への路面電車乗り入れ化を進めているのに、岡山の現状は不便ですね。乗るほうは、地下道を通って、すぐ乗り場に到達出来ますが、ヒドイのは、下車した時です。乗降が分離されていますから、降車場から降りると、信号のある横断歩道を渡らなければなりません。それが、自動車優先の信号ですから、待ち時間の長いこと! これにはイラつきました。
      駅前延伸については、いまの停留場付近の商店街から、客の流れが途絶えると反対があったそうで、いまの停留場も残したまま、延伸することになったようです。

  2. 100型や300型の単車が活躍していた頃、日光からやって来た3000型10両はまさに大型車で、風格がありました。順次ワンマン化が進みましたが、ツーマン時代の3004をご紹介します。昭和44年7月28日東山での撮影です。ワンマンを示す窓下の帯がありません。バックミラーを除けば、50年前と殆ど変わっていませんね。

    • 3000形が入線した頃の貴重な写真、ありがとうございます。私も昭和43年のDRFCの乗車アンケートバイトで岡山へ行った時に岡電を撮りました。その頃は、単車の天国でしたね。大型のボギー車が来ると、なんと近代的で大きな電車が来たものと思いました。

  3. ネットニュースを見ていますと、記載しました栃木県チロリン村に保存されている、もと日光100形が、このたび日光駅前に移設されて、その当時の塗装のまま、保存展示されるそうです。東と西の両方で、原色の100形が見られることになりました。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

wp-puzzle.com logo

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください