市電が走った街 京都を歩く 伏見・稲荷線⑨

稲荷

勧進橋から分岐する稲荷線は、明治37年に開業しました。その距離はわずか0.7kmで、専用軌道で上り勾配を上って行きました。上り詰めると、師団街道の踏切を通り、京阪電鉄と平面交差します。市電はいったん停止し、信号を確認後、京阪の線路と平面交差して、琵琶湖疏水に架かる橋上の「稲荷」に至っていました。すぐ向こうは国鉄奈良線で、同線の稲荷駅も近い距離にあります。伏見稲荷大社への参拝客が多く訪れていて、とくに初詣や初午、例祭の時は乗降客であふれていました。

稲荷に関して最近のトピックは、何と言っても停留場付近からレールが“発掘”されたことでしょう。停留場のあった橋の改修によって、コンクリートで埋められていたレールが露出したものです。

行った時は発掘レールはブルーシートで覆われていたが、今後は現地で保存・展示されると言う。最終日の午後、停留場付近を柔らかい陽光が包み込んでいた。みんな思い思いに別れを告げていた。501号の下部付近から、上記のレールが発掘された。

終端部から稲荷の停留場を見る。停留場全体が琵琶湖疏水の上に架かっていた。すぐ横が国鉄奈良線の踏切で、ちょうどキハ17系の列車が通り過ぎた(Mさん撮影)。

【稲荷 定点対比①】

稲荷線と京阪の平面交差付近を見る。現在は、京阪までは公園になり、京阪以西は公民館などの建物になっている。

 

【稲荷 定点対比②】

京阪伏見稲荷駅横の踏切から平面交差を渡る500形を見る。市電時代の背後にあるのは京阪の稲荷信号所。京阪が通ったのは明治43年で、稲荷線の6年後、平面交差の管理は京阪が行なっていた。

【稲荷 定点対比③】

京阪の西側を並行していた師団街道には、稲荷線の踏切があった。警報器、遮断棒もある本格的な踏切。いまは、どこにでもある、当たり前の交差点。

 

専用軌道を下って行く。稲荷山が目前に迫っていた。できたばかりの伏見稲荷の儀式殿も大きく見える。専用軌道の途中に西高瀬川があり、川を渡るため、前後は築堤になっていた。

【稲荷 定点対比④】

師団街道、京阪交差に近づく19系統の900形。現在も山だけは変わらないが、家並みはすっかり変わった。道路は西行きの一法通行になっている。

 

夜の稲荷、京阪電車の通過を待って、700形は京都駅前へ向かう。

MEMO 稲荷の事故

明治43年に市電と京阪の平面交差ができてから、両者の事故がよく起こった。今でも語り草になっているのは、昭和8年の衝突事故で、市電が木っ端微塵になり、死傷者も出た。京阪側に過失があり、市電は京阪から電車一両を弁償してもらった。

スクラップ帳を見ていると、廃止前にも事故があり、京阪500形と市電800形の衝突シーンが載っていた。記事を読み進めると、当日、京阪の信号が故障し、手信号で平面交差を通過させていたところ、京阪電車が赤の手旗信号を無視して突っ込んだと言う。

京阪との事故、また師団街道での渋滞も市電が元凶だとして、稲荷の停留場を師団街道の西側へ後退させてほしいと地元対策協の部分廃止案も載っていた。まだ伏見線のほうの廃止問題は浮上していない段階だが、この頃から市電利用者を無視した、自動車優先の世論が広まっていく。

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