市電が走った街 京都を歩く 伏見・稲荷線②

塩小路高倉

京都駅前を発車した伏見・稲荷線は、河原町線と同じレールを走って、すぐ塩小路高倉で南へ分岐、高倉陸橋で東海道本線を越します。前記のように、京電開業時には、伏見線は(旧)京都駅の南側で止まっていて、このルートはありません。京電は、東海道線との平面交差の申請を出すものの認可が下りなかったため、伏見線の車両を検査などで車庫のある東洞院七条下ルまで運ぶ場合は、夜間、人力で押して東海道線の踏切を渡っていたと言います。のちに伏見線の車庫が京都駅八条口にできて解消するものの、乗客の利便性からも市内線との一体化は急務でした。そこで、自力で東海道線を乗り越すことにし、当時、塩小路通で止まっていた高倉通を南へ延長し、築堤と陸橋で東海道線を越して、南西側に下りていく高倉新道を造りました。これが明治34年のこと、塩小路高倉は、この時にできました。 京都タワーを背後にした伏見・稲荷線の500形(Mさん撮影、以下昭和45年3月)

塩小路高倉の西行き停留場は塩小路通にあった。終点の京都駅前まで200mほどしかなかった(Mさん撮影)。

【塩小路高倉今昔】

90度曲がって、南行きの塩小路高倉に着く。

▲▲現在の同地点、偶然か、いまも市バスの停留所標識が同じ場所に立っている。

 

高倉陸橋を下ってきた京都駅行き。この地点から見ると、やや左へ振って高倉陸橋を渡っていることが分かるが、明治期に陸橋が出来た時は、直線の築堤・陸橋になっていた。▲▲その痕跡の橋台が、現在の高倉陸橋の袂に残っているが、手前に倉庫のような建物があって、よく分からなくなった。

京都タワー展望台から見た塩小路高倉付近、伏見・稲荷線の南行きと、河原町線の京都駅前行きが行き交う。右上の部分には、今後、京都市立芸術大学、銅駝美術工芸高校が移転してくる。今ある屋台村もまもなく無くなり、建設工事が始まる(Mさん撮影)。

高倉陸橋を渡る19号系統の稲荷行き。正式には高倉跨線橋と言い、銘板も付いている。竣工は大正四年とあり、東海道線が東山トンネル経由の新線に切り換えられた時に架けられたことが分かる。最終日の朝、「急」マークを付けた装飾の700形、18号系統の河原町二条行き。最終日でも車内は満員の様子が見て取れる。高倉陸橋を上がっていく693号、塗装が一般のダークグリーンと違うように見えるが、これは試験塗装車。当時の一般車を、700形と同じようなライトグリーンにした試験塗装が各形式に数両出現した。結局、波及することはなく、もとの塗装に戻った。先日の伏見線一人ウォークの際、高倉陸橋を行くと、ちょうど奈良線103系と遭遇した。2編成までに減った奈良線103系だが、3月改正以降も、種々の理由で生き延びると言う。

MEMO 塩小路高倉の渡り線 (新聞切り抜きから)

河原町二条~中書島の19号系統は、従来、いったん京都駅に入ったあと、折返して伏見線に入っていたため河原町線からの直通客にとっては、ロスタイムになっていた。そこで、塩小路高倉に河原町線から伏見線への渡り線を新設、京都駅折返しより5分程度の短縮となった。その工事の様子を昭和38年3月8日の京都新聞朝刊が伝えている。

 

6 thoughts on “ 市電が走った街 京都を歩く 伏見・稲荷線②

  1. 記憶では、高倉陸橋を南に渡り西に下るカーブは新幹線が出来る前と後では半径が違っていたと思う。もう少し緩いカーブを描いて現在の新幹線の下あたりを下って南へ曲がっていたように思う。
    現在の201系の左にある白い建物は鉄道警察署で、かつてその場所には転車台があって奈良線のC58や梅小路のC51が駐機していた。C54を見たこともある。

    • 米手さま
      高倉陸橋の南については、今回、地図も挙げておきましたが、斜めになっていました。新幹線の建設で伏見線が支障することになり、道路とともに、線路と並行するように移設工事が行なわれました。米手さんから以前見せてもらった、この近くにあった、奈良電の京都駅が忘れられません。

  2. 塩小路高倉はすっかり変わってしまい、当時の面影はありません。昭和53年9月30日の夜、烏丸車庫行きの最終電車、1920を見送ったのはまさにこの場所でした。京都タワーから俯瞰撮影された画像を見ると、線路の微妙なカーブや、安全地帯の位置とともに、民家がひしめき合っていた様子が良く分かります。
    高倉陸橋が鉄道ファンの聖地だったことは最近になって知り、奈良線のC58をこの場所から撮らなかったことが悔やまれます。また、「山科の人間国宝」様に、昔はトラス橋と違ったことを教えていただいたこともありました。

    • 紫の1863さま
      はい、高倉陸橋は、われわれ以上の世代には、汽車見物の聖地でした。中学生の頃、切手集めがブームで、発売日は自転車で中央郵便局に向かい、切手を買ったあとは、高倉陸橋で汽車見物するのが楽しみでした。のちに153系の「替えだま」を写したのも、新幹線の初試運転を写したのも、この高倉陸橋でした。

  3. 総本家青信号特派員様
    またまた圧巻ですネ。
    車両も然る事ながら、沿線風景の今昔には驚いたり感心したり。
    どの写真にも引き込まれましたが、今回の写真では陸橋へ上って行く試験塗装の689号でした。(お恥ずかしい事ですが、試験塗装車が有ったのを始めて知りました。)
    また、高倉陸橋を京電が自分で設置した話は、目から鱗でした。てっきり公共橋かと。
    付け加えですが、2月15日の貴殿の記事に関する小生の投稿に絡んで『ピク誌の記事』を改めて読んで頂いた由、有難うございました。
    その文中で『お褒め』を頂いておりますが、実は小生自身この記事には大反省が有ります。
    それは稲荷支線の詳細な記述と写真が抜けている事です。その理由は今後お会いする時にでも白状します。(笑)
    ところで、デジ青サイトの画面構成が変わったんでしょうか?
    昨日の午前までは、開くと記事のアップ順に『その日の記事のタイトル(緑色)+写真等の入った記事』が日付け順に画面に出たのですが、昨日夕刻には緑色のタイトルしか出ず、本題の記事が出なくなり、改めて記事毎にタイトルをクリックしなければならず、一覧性に不便を感じます。(ひょっとして、小生のPCがポンコツだからかも知れませんが。)

    • 河さま
      まずデジ青の画面のことでご心配をお掛けしましたが、河さんのパソコンがポンコツでも何でも無く、今は正常に戻っています。いつもしっかりサポートしてくれるデジ青管理者のお蔭です。
      ピクの記事は、改めて拝見して、京都の風情をよく捉えられた写真だと感心しています。稲荷線のことは、あとで、ソッとお聞きします。
      高倉陸橋を京電が自前で造った件ですが、大西友三郎さん「チンチン電車物語」を読むと、「京電が京都府に設置を熱心に架橋を要請し、工事促進のために五千円を寄付」とありました。道路・軌道一緒の陸橋ですから、費用を京電が負担、施工は京都府なのでしょう。

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