市電が走った街 京都を歩く 伏見・稲荷線⑥

札ノ辻

大石橋を出た市電は竹田街道を南下して行きます。古来からの竹田街道の街路をそのまま踏襲しているため、道は右に左に緩くカーブを続けます。商店、民家の連なる街並みを見ながら「札ノ辻」に到着です。いかにも旧街道らしい停留所名で、街道などに高札を立てた辻のことを言い、現在でも、地名や交差点名称として全国で見られます。この交差点は、東西の通りが、宇賀神社への参道に当たっていて、人通りも多かったようです。現在、この参道は、地図を見ると札ノ辻通とありました(今回の写真は、大部分Mさん提供の写真を掲載しています)。【札ノ辻 定点対比】いかにも街道筋らしい家々が連なっていた昭和の時代、停留場に到着する501号。左は、現在の札ノ辻交差点、中央の二階建てが、市電時代と変わっていないのが分かる。

 

緩くカーブした竹田街道を南下する。札ノ辻から北を望む。さまざまな業種の店が連なっていた。停留場の東北部を見る。右手に宇賀神社への参道を示す石碑が見える。

 

MEMO 京都電気鉄道の路線図

明治44年発行の京都電気鉄道の路線図を抜粋。もうすでに「札ノ辻」の名が見える。その左(北)には、まだ大石橋は無く、その北に東寺道があった。右(南)を見ると、鳥羽街道、高橋と廃止時には見慣れない停留場がある。それぞれ、のちに十条通、深草下川原町に改称されている。もっとも、京電の開業時は、乗り降りは自由で、どこでも乗車、下車ができたと言うから、そもそも「停留場」という概念は無かった。公的資料を見ると、札ノ辻も東寺道も開業の明治28年に開設されたことになっているが、これは後付けだろう。

 市電が走った街 京都を歩く 伏見・稲荷線⑥」への2件のフィードバック

  1. 京都に長年住んでおりますが、九条通以南には縁が無く、竹田街道を通ったのは廃線間近の記念乗車の一度きりでした。沿線の街並みを見るのも初めてですが、個人の商店が並ぶ様子には懐かしさと共に安らぎを感じます。パン屋さんにお菓子屋さん、酒屋、化粧品も扱う薬局、洋品店など、当時の商店街を思い出します。ですが遠くには「シロ」の看板が見え、時代の変化がすぐそこまで迫ってきているようです。
    伏見・稲荷線にワンマンカーの姿はなく、500形を始めとするツーマンカーだけが見られたのも、先輩ファンに人気がある理由のひとつでしょうか。廃止になったのが鉄道趣味に目覚める4か月前で、500形の動く姿は記憶にあるだけです。大石橋以南の札ノ辻や十条通の写真を見る機会が少なく、良いものを見せていただきました。ありがとうございます。

    • 紫の1863さま
      伏見・稲荷線の思い出、ありがとうございます。私も実を言うと、この付近の記録は極めて少なく、今回は先輩のMさんの写真に助けてもらいました。改めて当時の街並みを見ると、個人商店が並んでいた、昭和の風景があったのだと思います。伏見・稲荷線は、最後までワンマンの入線がなく、ツーマンばかりでしたが、なかでも、500形の比率が高く、大正生まれのオールドタイマーを写したり乗ったりするのも、伏見・稲荷線の楽しみでした。

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