▲京福嵐山線、夕方の「車折神社」、駅の赤い柵、神社の木々、背後の愛宕山、そんなシーナリーが好きで何度が定点撮影しているが、当たり前の風景のなかに、人が戻ってくると、鉄道はさらに活き活きとしてくる。
前稿でも記しましたが、この時期は、日没の方位が300度ほどあって、太陽が北側から射し込みます。と言うことは、通常は逆光の場合も、半逆光で陰影のある写真も期待できます。形式写真で高名な鉄道写真家は、各部に光が回るためには、時間帯だけでなく、季節も熟慮して、機関区で撮影を行なったと聞きます。ほぼ東西に走っている嵐電は、この時期にしか撮れない写真もあるはずと、以前の撮影地に“復習”に出掛けました。
▲“復習”の前に、どうしても確認したいことがあった。以前、「有栖川」から東を向いて撮ったことがある(上左)。この時期だから、太陽光線が真正面に当たり、両側に覆い被さるようなクスノキの大木が格好のアクセントになっていた。ところが、その後、何度通っても車内から大木が見当たらない。ハテ、場所を間違えたか‥‥、との思いがあって、まず「有栖川」で降りて確認することにした。
現場へ行って、長年の疑問は氷解した。すべて切り倒されていたのだった(上右)。道理で、見えないはずだ。その大木があったのは神ノ木弁財天で(右)、樹齢300年を超えると3本のエノキだったが、3年前の台風で一部が倒壊してしまい、安全のため全部切り倒されたのだった。3年前の台風と言えば、例の渡月橋が水没した台風で、たしかに風は強烈だった。
▲小さな駅にも、マスク姿の乗降客が戻って来た。▲つぎは復習現場の「車折神社」へ。周りの風景は数年前と変わらないし、乗降客もいる。でも何かが違う。前の写真と比べると、左の嵐山行きのホームに外国人観光客が、あふれるほど電車を待っていたのだった。そうか、人は増えたが、京都に関しては、あのインバウント客が皆無なのだった。▲電車からの下車客、通行人、各人各様の動きや向きが面白く、思わずレンズを向けた。▲18時過ぎになって、ようやく陽も傾いてきた。ただ、薄雲が出てきて、北側からのギラリは望めなくなった。空の色味が次第に変わっていくのを楽しむことにする。
▲愛宕山の山極も赤味を帯びてきた。いい雰囲気なのだが、電柱、電線が乱立していて、できるだけ目立たないように苦労する。▲19時を過ぎて、やっと、空がブルーモーメントになってきた。嵐電は後部であっても運転台の遮光幕を下ろしてしまうため、車内からの光源が片側だけになってしまうのが痛いところ。▲最後は車折神社の鳥居越しに電車を見る。このあと嵐山経由で戻ったが、午後8時を過ぎた嵐山は全く無人で、不気味なほど静まり返っていた。
またまた一人コメントですが、先日、鉄道系出版社の方から「車折神社の前も変わりましたなぁ」と電話をいただきました。その方は50年前に写真を撮っておられるそうです。私のなかでは、それほど変化していないとの気持ちがあったのですが、改めて、“変わらないようで変わった街”を感じました。この数ヵ月、孤独な日々が続いていますが、皆さんからのコメントやメール・電話の有難さを痛感しました。