“コロナ”に負けない“古老”の活動報告、続けます。昨日21日(土)、富山へ行き、路面電車の南北接続の営業初日を見てきました。富山駅の北側の富山ライトレールと、南側の富山地鉄の富山軌道線を、富山駅の高架直下で接続し、一体化する市の事業です。新幹線開業後、壁のように聳えていた高架を挟んで、南と北でほんの数十メートルにまで接近していた両線ですが、在来線の高架工事も済んで、ついに結ばれた訳です。機会を見て進捗状況を確認してきた私にとっても感慨深いものがあります。ましてや富山に縁の深い、どですかでんさんや、一時は富山におられた乙訓老人さんには、その思いも深いこととでしょう。当日は、状況に鑑み、終日全線無料の太っ腹企画や集客イベントは中止されましたが、多くの市民が集まり、乗車を楽しみました。古~いネタも良いものですが、新しい鉄道ができて、みんなが笑顔になる、つくづく鉄道ってエエなぁと思った一日でした。 ▲市内の環状線を走って富山駅へ。岩瀬浜行きは渡り線を通るので、ポイントの表示を指差確認して入線していく。
▲岩瀬浜行きの電車が、南北接続された新しい富山駅に入って来る。朝から乗車する長い列ができていた。
▲富山駅で列車から降りると、平行移動で乗り場に着ける。▲▲「富山駅前」ではなく「富山駅」の停留場、富山軌道線が新幹線高架下に移った際に改称されている。
▲駅の広いコンコースでは、縮小されたとは言え、イベントが開かれ、富山の全テレビ局が中継していた。▲▲富山の交通の歴史写真展にも多くの人が。▲富山駅は三面二線の構造で、中央を自由通路が横切っている。惜しむらくは、高架下とは言え、暗いのが気になる。もっと明るく、華やかな雰囲気が欲しい。サイン類も小振りなデザインに収められているが、もっと大きく分かりやすくしてほしい。▲富山駅を発車、旧ライトレール区間に入る。午後になっても、多くの人が集まっていた。▲青空に映える「TOYAMA2020」のセントラム。富山地鉄がライトレールを吸収し経営統合、地鉄が一元的に運営する。南北の直通ルートが3路線できて、北端の岩瀬浜と駅南の3方面(環状線、南富山駅前、富山大学前)を結ぶ。▲こちらは3連接のサントラム、昨日までは見ることがなかった「岩瀬浜」のLED表示で入線。
▲南富山駅前のサントラム。これから岩瀬浜までの11.2kmを走る。これだけ乗っても均一料金の210円だから、南北接続の値打ちが分かる。
▲旧ライトレール区間に乗り入れたサントラム、菜の花の咲いた郊外区間を最高60km/hで軽快に走る。この日は午後になっても客足は絶えず、車内は超満員。とくに単線の旧ライトレール区間は無ダイヤ状態になり、菜の花を撮り終えて、近くの駅で待っていると、なんと“満員通過”されてしまった。
富山の熱気が伝わってくるようです。
私が5年前、富山に行った時は、
すでにライトレールと市内線を結ぶ計画で、
富山駅の線路配置もそれを見越したものになっていました。
富山は「コンパクトシティ構想」で注目されていますが、
路面電車がそのお役に立っていることは、
自分のことのように嬉しいです。
また地元出身の朝乃山関が大関昇進確実で、
富山は盆と正月が一緒に来たようではないでしょうか?
地方鉄道市内線、朝乃山関 おめでとうございます。
勘秀峰さま
コメント、ありがとうございます。以前の新聞記事を見直しますと、2006年ライトレールの開業時に、北陸新幹線開業で富山駅が全高架になった際には、市内線と接続する構想があったようです。富山のコンパクトシティ構想は“串と団子”で、串が電車・バスであるとテレビでも言っていましたね。初日は大賑わいでしたが、この盛況がいつまでも持続して欲しいと願うばかりです。勘秀峰さんの頑張りぶりも、ブログで拝見していますょ。
私はゲタ電時代の富山港線は行ったことがなく、その後の471系電車の時代、DC化された時代しか見ていません。写真は岩瀬浜のキハ120ですが、日中は一時間に一本、単行でした。今や、15分に一本で大賑わいですから、わずか15年前に見た光景から比べると、その発展ぶりを改めて賞賛します。
富山は、新幹線開業後とんと行かなくなりましたが、大きく変わっているようです。久しぶりに行ってみたいと思いました。富山港線もかつてと比べると隔世の感があります。写真は昭和57年8月の岩瀬浜です。
ブギウギさま
コメント、ありがとうございます。電車時代の富山港線に行かれていますか、写真のように、スカイブルーのゲタ電が走っていたのですね。ポートラム改め地鉄富山港線になって、さらに進化を遂げた感じです。ぜひ、実感しに行ってください。