街並みとともに ~京都のバス~  〈9〉

こんな通りを走っていた(2) 本町通を走った16号系統

“こんな道を走っていた”市バス続けます。「16」のバスが昭和の時代には走っていました。よく知られているのは、「上賀茂神社前-稲荷・藤ノ森神社」の方向幕の時代です。京都の市街地を北から南まで縦断し、とてつも長い距離を走っていた系統でした。しかも狭隘区間があって、遅くまで中扉のみのツーマン車で残り、車掌を乗せて繁華街の四条通を行く姿は、市民からも怪訝な顔で見られていたものでした。正月の祇園石段下、右折する16号系統の稲荷・藤ノ森神社行き、ほとんどがワンマン化されていた時代、初詣客のなかへ、いきなり現れた古いツーマン車。16号系統は、上賀茂神社前から、千本通、四条通、東山通を通り、稲荷・藤ノ森神社方面に向かって行った。昭和45年8月に一部径路を46号系統と統合し、終端部の藤ノ森付近がさらに複雑な径路になった。師団街道を南下して、聖母女学院、京都教育大学の東側を半周して、藤ノ森神社前へ出て、帰りは本町通を北上して行き、ちょうど「8」の字に一方循環していった(昭和49年1月)。

その後、昭和47年に北部の上賀茂神社前~みぶが廃止され、16号系統は「みぶ~稲荷・藤ノ森神社」となります。長らくツーマン運転でしたが、昭和51年にワンマン化されますが、昭和63年、地下鉄京都~竹田の開業に伴い、系統再編成で16系統そのものが廃止されることになり、廃止直前のシーンを、深草・稲荷付近に撮りに行きました。

ワンマン化された16号系統 祇園 車両は京都22か1786、昭和52年式、いすゞBU04 NSKボデー

いまも残る稲荷駅のランプ小屋の前にある「稲荷大社」バス停に着く16号系統、こんな狭い、不法駐車ばかりの本町通(伏見街道)を難渋しながら北上して行った(昭和63年6月、以下同じ)。

JR稲荷駅の前を行く。駅舎はいまも変わらない。後続車両もおとなしくバスの後を付いて行くしかない。

同じ本町通でも、藤森付近まで来ると、周囲はずいぶんにぎやかな通りになって来る。「深草商店街」と掲げられた看板のもとを行く。聖母女学院前~直違橋八丁目

本町通には、「京都駅-醍醐車庫前」の56号系統も走っていた。こちらは多区間、中型車で運用されていた。16号、56号とも昭和63年8月に廃止されて、狭い狭い本町通を行くシーンは見られなくなった。聖母女学院の北側から東へ行き、京都教育大学を囲むように半周して、藤ノ森神社前へ出る経路上の16号系統。上記の経路上には、まだ農地が残っていた。この経路は、16号系統は走らなくなったものの、現在でも、臨南5号系統が一時間ヘッドで走っている。閑静な住宅地を行く。聖母女学院前から奈良線の西を並行して、京都教育大学前へ至る一方循環のルートだった。西寺前~東寺前再び本町通に戻って、「伏水街道 第三橋」の親柱がある、「二ノ橋」バス停付近を行く16号系統みぶ行き。東山から流れ出る小川を、伏見街道が順に渡って行き、北から一ノ橋、二ノ橋、三ノ橋、四ノ橋と名付けられ、石橋が架けられた。三ノ橋に並行して奈良線が小川を越えていて、ここに東海道線時代の煉瓦のアーチが残っていると聞き、現地調査に赴いたが、厳重に封鎖されていて近づくことすらできなかった。

 

 街並みとともに ~京都のバス~  〈9〉」への8件のフィードバック

  1. 紹介しました本町通は、京都の住所表示で、本町一丁目から本町二十二丁目まで、実に22の本町が並んでいます。バス停にも、「本町二十二丁目」がありました。「〇△丁目」を名乗るバス停は全国にありますが、「二十二」と言うのは全国最多ではないでしょうか。そういえば、さいきん「日本路線バス停留所総覧」という、とてつもない本が出たそうです。これを調べれば、ハッキリするでしょう。

  2. 16号系統は昭和40年代の初め頃、一度だけ乗った記憶があります。乾隆校前から乗ったのですが、稲荷まではずいぶん長い時間がかかった覚えがあります。私もひと月後には高齢者の仲間入りで、子供の頃が無性に懐かしく、なかでも母に連れられて出かけた日のことは、特別な思いがあります。
    京都の市バスに関するサイトを見ても、経路の詳細を知るのは困難な場合があります。経由地のバス停は紹介されていても、通る道のすべてが分かるわけではありません。鉄道では線路の存在で一目瞭然ですが、バスに線路はありません。東福寺付近では、どんなルートを辿ったのか興味を持ちました。
    本町通を通っていたとは知りませんでした。一方通行とは言え道幅は狭く、駐車車両があれば大きな車体のバスは通り難かったことでしょう。

    • 乾隆校前から稲荷まで乗られたのですか。それは時間が掛かったと思います。稲荷は、交通局にとっても特別な扱いがあって、市電でも、初詣時には、わざわざ京都駅前の短絡線を使って、京都北部からも乗り換え無しで行けるようにしていました。異様に長い16系統も、ひとつは北部から乗り換えなしで稲荷へ行けるような配慮があったのかもしれません。
      本町通と九条通は立体交差していますから、東福寺付近のルートは気になりますが、いまも九条のタカバシを潜ると、すぐに東福寺方面に向かう一方通行の急坂があります。ここを無理やり右折して東福寺のバス停に行ったのではと思います。

      • 東福寺付近のルートは書かれている通りです。
        九条通の真下に二ノ橋停留所がありました。
        今も二ノ橋の一部が残っています。
        16号系統が上賀茂神社前発だったころの6号系統は二ノ橋が終点だったので、九条通を潜るかたちで折り返ししたと思います。

        • GENZOさま
          いつも貴サイトを参考にさせていただいています。ありがとうございます。系統の変遷など本当によく調査されているものと敬意を表します。たしかに、いまもタカバシの下に二ノ橋の親柱が残っていますね。両方向に九条通の取付け道路がありますから、これを利用して、二ノ橋の折り返しが可能だったのですね。

      • 総本家青信号特派員様
        GENZO様
        東福寺付近の経路ですが、おかげさまでよくわかりました。ありがとうございます。
        ストリートビューを見ると、確かにタカバシの下に二ノ橋の遺構がありますね。半世紀ほど前に何度も通っているのですが、気付きませんでした。バス停があることも知りませんでした。
        これで、よく眠れそうです。
        それにしても、大きな車体のバスが良く曲がれたものですねえ。乗用車に比べてバスのハンドルはよく切れるのでしょうが、パワーステアリングの無かった頃は大変だったと思います。
        今更ながら運転手さんの技量には脱帽です。

  3. 総本家青信号特派員殿
    16号系統の沿線風景をなつかしく拝見しています。伏見区深草大亀谷に住んでいたころ、京阪墨染駅利用が基本でしたが、16号系統の教育大学前、藤ノ森神社前の方が家に少し近いので、時々利用していました。細い田舎道をよくあのようなバスが走っていたものだと思います。本町通りは北行き一方通行でしたが、交通量が多く、まだまだ商店も多く並んでいて人通りも多く、ゆっくりゆっくり走る路線でした。本町通りの風景を見ていて思い出すのは、高校時代のことです。昭和40年代前半は、春になると春闘で京阪電車も京福電車もストライキで運休するのが年中行事でした。普段は京阪で三条へ行き、三条から出町柳までは京都バス、出町柳から京福で八幡前までと3種類の定期券で高校に通っていました。しかしストライキになると足がなく、墨染から岩倉まで自転車で何度か行った覚えがあります。変速機も無い自転車で本町通りを上り、どこをどのように走ったかよく覚えていませんが、岩倉が遠かったことだけが印象的です。若かったのですね。毎年全国高校駅伝のテレビ中継を見ながら、宝が池の京福を越える陸橋がしんどかったこと、京都盆地が北に向かって勾配になっていることを体感したことを思い出します。朝はしんどい目をしましたが、放課後伏見に帰るのは比較的楽でした。高校3年生になると早々とバイクの免許をとった友人がいて、カブの荷台に乗せてもらってヘルメットもなしで、岩倉まで行ったこともありました。おおらかな時代でもありました。自転車に比べて何と楽なんだろうと実感したのも遠い想い出です。話が脱線しましたが、本町通りの深草商店街や稲荷駅前の様子を見ながら、半世紀前の光景を昨日のことのように思い出しました。写真の力は凄いと思う以上に、特派員殿がバスを通じてとは言え、街の日常風景をしっかり記録されているおかげだと感謝に堪えません。

    • 西村さま
      思い出をありがとうございます。この写真は例の「深草プロジェクト」で探している時に見つけたものです。私が住んでいたところからは、失礼ながら深草は未知の土地で、それまで行ったこともなかったのですが、16号系統が無くなると聞き、また、聖母学院などの煉瓦建築や深草商店街にも古い町家・商店が残っていると知り、訪れたものだと思います。これが図らずも、デジ青で発表できて、別の媒体でも活用できるとは、何でも撮っておくべきだと思いました。
      京福のスト、よくありましたね。自転車で墨染から岩倉まではたいへんだったと思います。私は、市電で高野橋まで行って、そこから、ひたすら歩いて学校へ行ったと思います。

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