街並みとともに ~京都のバス~  〈8〉

こんな通りを走っていた(1)

バスは系統の改廃も多いうえ、同じ系統でも、需要の変動や、交通事情、また地下鉄開業など基幹交通の変化によって、途中の径路もよく変わっています。また、市電が健在だった時代は、市電網から取り残された地域に、バス路線を設けることもありました。バスは、あくまで市電を補完する立場だったのです。今回は、昭和の時代、“こんな通りにもバスが走っていた”と思わせるシーンを集めてみました。

四条烏丸を行く7号系統の東寺西門行き、車両は京都22か2670、昭和55年式、いすゞK-CLM470、NSKボデー

御前通を行く「7」

若番号の「7」ですが、新設されたのは確かに古いものの、何代も路線変更を繰り返していました。昭和の時代、なじみ深かったのは「三条京阪-東寺西門」の方向幕を掲げていた時代です。標題の四条通を行く「7」も印象的ですが、特徴だったのは四条通から御前通に入って南下して行ったこと。これは、当時の市電西大路線、大宮線は約1km離れていて、ちょうど両線の中間付近にある御前通のバス路線として、市電路線から離れた地域を走ったことになります。ただ、もっと時代をさかのぼると、西大路線が走る前には、付近には人家が無く、市街地の西端のメイン道路に当たる御前通をバスが走ったとも言えます。四条御前下る、嵐電の踏切を渡る7号系統の三条京阪行き。地下鉄烏丸線の開業により、昭和56年5月に廃止された。

智恵光院通の25号系統

もうひとつ、市電空白地帯を走った例として、智恵光院通を走った25号系統を紹介します。智恵光院通は、市電北野線、千本線の中間付近の南北の通りで、やはり市電の空白地域を埋めるため、「京都駅八条口-衣笠」の方向幕を掲げた25号系統が走っていました。

片側一車線の智恵光院通を行く25号系統の衣笠行き、車両は京都22か1376、昭和51年式、いすゞBU04、川重ボデー西陣の真ん中を行く、南行きの25号系統。「烏丸七条・八条口」と見慣れない方向幕は、この系統は、京都駅前には入らず、烏丸七条から堀川七条経由で京都駅八条口へ向かうため。7号系統と同じく、昭和56年5月に廃止されている。なお、同様に、市電千本線と西大路線の間にある七本松通を走っていた52号系統(京都駅八条口-等持院)は、平成9年に廃止されたが、交通局のモビリティ・マネジメント政策の一環として、平成30年に同じ52号系統(四条烏丸-立命館大学前)として復活した。乗客も増加傾向にあり、ことしの3月からさらに増便された。

花見小路の11号系統

四条花見小路で右折する11号系統、嵯峨・嵐山行き。祇園三越エレガンスという、いかにもバブリーな垂れ幕もなつかしい。

市電河原町線と東山線の中間にある花見小路通を走っていた市バスがありました。これは、当時の三条京阪バスターミナルの構造上、入場、出発が容易になるような狙いもあったと思います。11号系統は、「三条京阪-嵯峨・嵐山」の方向幕を掲げて走っていました。何分にも祇園の歓楽街のど真ん中を走るため、不法駐車も数知れず、三条京阪を出て、すぐに2、3分で渋滞に巻き込まれて、定時に出たのに、いきなりの遅延に見舞われたのでした。その後、昭和57年9月からは、祇園、東山三条経由に経路変更されています。歓楽街のど真ん中を行く11号系統、嵯峨・嵐山行き、二大観光地の行先を示し、存在感があった。車両は京都22か2111、昭和53年式、日野RE101、NSKボデー

花見小路通から若松町を通って三条京阪に入る12甲系統、11号系統と同じ径路で三条京阪に入るのは、四条通からは左折だけで来られることと、若松町に操車場があって、入出庫にも便利だった。

花見小路通にあった「新橋」バス停、近くの白川の橋名から採られた。経路変更された昭和57年9月に廃止された。

5 thoughts on “ 街並みとともに ~京都のバス~  〈8〉

  1. 「こんな通りを走っていた」ですが、私の近くでも、河原町二条~寺町二条~寺町丸太町を走っていた10系統、マツモト模型の前を走っていた37系統など、思い出すだけでも続々と出てきますが、記録は全くありません。バスの奥深さをつくづく感じます。

  2. 25号系統は何度も利用した、馴染みの系統です。蒸気機関車の撮影に出かけるとき、千本通のバス停から始発に乗ると、ちょうど都合の良い時間に京都駅へ着けたものですから。
    昭和46~7年頃の25系統は京都駅前のバスターミナルに立ち寄り、塩小路通を西へ向かって堀川通りを通って八条口へと向かっていました。
    25号系統の撮影場所は、スグわかりました。中立売通りの少し北ですね。ずいぶん激しい雨が降っていたようですが、北行・南行双方のバスを撮影されているのには執念さえ感じます。西陣織関連のビルが並ぶ様子も、今は昔のこととなりました。
    4枚目の写真に「糸くり ぜんまい」の看板が見えますが、今ではこの意味を理解できる出来る人も少なくなったことでしょう。西陣織には多くの分業がありますが、「糸くり」もそのひとつです。「ぜんまい」は「糸くり」に使用する機会の名称で、かつては内職で「糸くり」をする家庭もありました。

    • 紫の1863さま
      25号系統の思い出、ありがとうございます。京都駅前に立ち寄っていた時代もあったのですね。撮影時期は、駅前の混雑を避けるため、烏丸七条から堀川七条へ向かっていた時期もあったようです。
      この撮影時、急に土砂降りになって、傘を差しながらの撮影でしたが、そんなに執念は無かったですよ。場所は中立売付近ですか、丸太町~今出川は同じような家並みが続いていて、写した私もよく分かりませんでした。「糸くり」の意味もよく分かりました。ありがとうございます。

  3. 私も背後の風景に反応です。
    今は亡き「祇園三越エレガンス」は、解任された三越の社長との関係が噂されたT女史のお気に入りのお店だったとか、当時いろいろ噂されたものですが、何と中華料理の青冥が昭和50年代から入っていて、調べてみると、今も同じビルで続いているのに軽い感動を覚えました。
    青冥は創業50余年らしいのですが、大阪の中心以外は、京都の祇園と阪急池田店だけです。池田は旧宝塚ホテルのレストラン部支店があった場所に近く、こういうお店に30年40年通えるような人生って良いなあと思いました。

    • 垂れ幕ひとつにも、時代、世相をよく表わしているのですね。「青冥」はいまでも同じ場所で営業していますよ。お昼のランチがリーズナブルに利用できて、私も何度か行きました。最上階のため、祇園の家並みもよく見えます。

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