私の好きな電気機関車たち   ⑫

ED電機の宝庫 中央東線①

ED電機は両数も少なく、使用線区も限定的でしたが、こと中央東線の沿線に関しては縁が深いものがありました。もともと中央東線には、昭和6年に浅川(現・高尾)~甲府の電化完成によって電機運転を開始した長い歴史があります。東京寄りから挙げると、立川では、青梅線、五日市線、南武線のED16が発着し、八王子まで行くと、勾配区間で使われる甲府区のED61が見られました。足を伸ばして辰野まで行くと、そこはED電機の本場、飯田線の始発駅で、ED19、ED26の活躍が見られ、さらに中央東線の実質的な終点である松本まで行くと、大糸線のED21、ED60も見られました。2回に分けて、中央東線沿いのED電機を見ていきます。奥多摩から産出される石灰岩を、青梅線、南武線経由で浜川崎にあるセメント工場まで運ぶのが、立川機関区のED16のおもな仕事だった。5187レ ED16 17  軍畑付近(昭和53年8月)

初めて青梅線に乗って終点の奥多摩まで行き、戻りながら各所でED16を撮った。青梅から奥は、もう完全に飯田線的ムードで、撮影適地が多く見られ、貨物の本数も多かった。5185レ ED16 14 古里~川井 (昭和53年8月)

ED16は昭和6年に、中央線浅川~甲府の電化と、上越線水上~石打の新線開業で使用する客貨用の電機として、国内の車両メーカーで18両が新製された1B+1Bの電機。立川区 (昭和45年3月)ED164の公式側、非公式側、国産として次に造られたEF53とともに戦前の国鉄標準形となったが、以降の電機はEF電機となり、ED60、61が造られるまで国産ED電機は無かった。

 

 

最初にED16を撮りたいと、東京へ向かったのは現役の2年の時だった。立川機関区所属なので立川まで行ったものの、どこを見ても、機関区らしき施設が見当たらない。思い余って駅員に聞いたところ、隣の西国立にあると教えてくれた。南武線でひと駅戻って西国立に着くと、ホームや側線にED16が多く停まっていて、やっと立川機関区にたどり着いた。 (昭和45年3月)立川機関区は、もとは八王子機関西国立支区で、昭和38年に独立して、立川区となった。もとの南武鉄道の駅を思わせて、区はこぢんまりとしていた。5線分の矩形庫が、ED16全18両のねぐらだった。庫からED16 6が出区する。事務所で許可を求めると、ずいぶん親切な応対で、入換中の誘導掛の方にお願いすると、ED16を良い位置に停めてもらえた。50年前の首都圏はまだ和やかな雰囲気だった。

 

庫のなかには、年中スノープロウを付けていた唯一のED16 14がいて、上越線時代を偲ばせていた。

 

 

 

 

 

 

 

ED16は、中央本線、上越線、阪和線で使用されたが、最後は全機18両が立川機関区に集結し、青梅線、五日市線、南武線で貨物を牽引し、昭和59年に全機が引退した。ED16は、国産電機の製造当時の姿を良好にとどめて、その後の規範となにった国産電機として平成30年に青梅鉄道公園で保存されている1号機が、国の重要文化財に指定された。雑誌「レイル」109号は、この文化財指定を受けたED16特集で、準特急さんの撮られたカラーが表紙を飾っている。

青梅線は石灰岩輸送が中心だが、ほかの小貨物もあった。首都圏で旅客本数も多いため、このように中線で待避するシーンが多く見られた。1695レ ED16 7 古里

軍畑の鉄橋を行く5296レ、鉄橋の正式名は奥沢橋梁で、昭和4年に架けられた鋼製トレッスル橋。似た写真だが、牽いている貨車に黄帯が巻かれた最高65km/h制限の貨車であることが分かる。奥多摩にある奥多摩化工の私有貨車ホキ4700で、ほかの工場にも同形式がいて全部で59両あった。

西国立の構内には、こんな電機も休車中で2両置かれていた。南武鉄道1000形を買収したED27で、最初、ED34を名乗り、のちにED27 11~14となった。当時は13、14の2両が休車状態で置かれていた。昭和3年の日立製、同社で造られたED15、ED21とよく似ている。石灰岩を搬出する青梅線の終点、奥多摩には多くのED16、ホキ車が屯していた。背後に、奥多摩化工のホッパーが見える。

立川へ行く途中、こんなED電機にも出会った。国分寺に接続する西武鉄道国分寺線のE51で、スイスのブラウン・ボベリー製のもと国鉄ED12、深いヒサシが特徴だった。ローズレッドに塗られて、国分寺線では、国鉄向けの貨車の継走を担当していた。八王子では、甲府機関区のED61が見られた。阪和線のED60と比べると、電力回生ブレーキが付けられていて、車体長が1.3m長くなっている。昭和33年から1~18が造られて、八王子~甲府で重連で貨物を牽いていた。

 

 

 私の好きな電気機関車たち   ⑫」への4件のフィードバック

  1. 総本家青信号特派員様
    巣籠もり中ですが、総本家さんからレイル109号の表紙の話がありたたき起こされたような気分です。青梅線は比較的近くの日帰り圏であり、南武線を含め時々通ったものです。遠方からでも確実にモノ
    にされていますね。拙作1枚貼り付けました。1983年2月26日宮ノ平駅下りED163。

    • 準特急さま
      たたき起こしてしまい、失礼しました。「レイル」109号では、準特急さんは、表紙だけで無く、本文にも、カラー口絵を提供されるなど、存分に楽しませていただきました。私は、青梅線へ行ったのは、一度切りでしたが、東京にこんな自然豊かなところがあったとは驚きでした。鉄道車両だけで無く、終点の奥多摩駅前に発着していた西東京バスの古いバス、周囲の光景も印象に残りました。

  2. 青梅線は東京からも遠くなかなか行けませんでしたがED16末期の頃に2回ほど撮影に行きました。EF52やEF15とは違う武骨さが好きでした。当時は情報が少なく効率的に撮影できなかったのでもっと通っておけばよかったと思います。

    • 893-2さま
      青梅線の思い出、ありがとうございます。写真も拝見しました。周りは梅なのでしょうか。こんなところも走っていたのですね。“情報”という点では、蒸機は情報があふれていたのですが、電機については、その影に隠れて、情報は少なかったですね。鉄道ファンから、「電気機関車快走」という、電機専門の撮影地ガイドが出たのが昭和50年で、これに全国の電化区間のダイヤや電機の運用が載って、初めて全容をつかめました。

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