私が出会った”ナメクジ”たち

総本家青信号特派員殿の連載記事に刺激を受けて、自分は何匹(何両)ぐらいのナメクジに出会ったのだろうと調べてみました。吹田ヤードの78号機以外は、東北、北海道ばかりで、特派員氏の解説に納得しました。さて下手クソな写真ばかりですが、時系列的に並べてみました。まずは昭和43年3月27日の奥中山です。高校を卒業し、DRFCに入学する直前の春休みに友人2人と6泊7日、すべて夜行列車泊の東北旅行を敢行しました。奥中山はすでに架線も張られ、電化直前でDD51も姿を見せてはいましたが、続々とやってくる客レ、貨物とも蒸機の天下で、圧倒されたのを覚えています。

D511を先頭にした下り貨物 3重連  奥中山・小繋間

上り貨物の先頭で戻ってきたD511  下り勾配で絶気状態

ダイヤも何もわからないまま、撮り続けていたことを思い出します。

D5117が前補機の上り貨物

本務機はD511113。この三本木トンネルがサミットでした。

重油タンクを背負ったD51達は、いかにも幹線の主役という力感があふれていました。奥中山駅の南側、御堂方面にも移動し、大カーブで撮影を続けました。特派員殿の記事のなかで、ナメクジが牽く客車列車をあまり撮っていないと書かれていましたが、こんな1枚がありました。下り急行列車だったのですが、列車名がわかりません。「第二十和田」だったような・・・?

有名な大カーブを行くD5157を前補機にした下り急行列車

早朝から歩き回り、ロクに何も口にせず、今夜の上り夜行列車に乗るため盛岡に向かう途中、沼宮内駅でまたD5157に出会いました。

D5157 沼宮内駅にて

東北本線でのナメクジとの出会いはこれがすべてでした。津軽海峡を渡って北海道に移ります。道内でのナメクジとの出会いは、DRFC入学後の初めての春休み、昭和44年3月、KAWANAKA氏と1900生氏との珍道中でした。3月3日、塩狩駅の和寒側で撮ったD5160です。3月3日の塩狩峠は雪が深く、駅から殆ど移動できず、遠方信号機あたりまでゆくのが精一杯でした。

宗谷本線塩狩駅付近でのD5160

塩狩の一番の思い出は、塩狩ユースホステルが寒くて眠れなかったことです。このYHは今は塩狩ヒュッテと名前を変えて、小綺麗な宿になっているようです。

次は石北本線の常紋です。

昭和44年3月9日 常紋信号場で交換待ちのD517

対向する527列車が信号場を通過して行く。

D517出発

もう一箇所は室蘭本線沼ノ端です。

昭和43年3月5日 沼ノ端・植苗間にて 番号不明

同上

同日 D5116

そしてナメクジとの最後の出会いは昭和46年3月10日 同じく沼ノ端でのD5111となりました。うしろからのショットですが、丁度目の前でD511119牽く上り貨物とのすれ違いが何とか撮れたのはラッキーでした。

左 D5111、 右 D511119のすれ違い。1119の煙突はギーセル?

以上が私の出会ったナメクジのすべてです。くずはモールの中央にあったD5125も撮っているのですが、ネガがみつかりません。保存機はともかく、現役のナメクジを見直すきっかけを与えて頂いた特派員殿に感謝です。

 

私が出会った”ナメクジ”たち」への4件のフィードバック

  1. 西村様
    たくさんの“ナメクジ”、ありがとうございます。一点一点、味わいました。なかでも、奥中山で“ナメクジ”先頭の重連の急行列車は凄いです。D51のなかでも1割しかいない“ナメクジ”、そのなかでも数少ない客車牽引、その上に急行牽引と来ていますから、標準型D51の貨物牽引と較べると、数百倍の価値ですよ。しかも撮られたのが、吉谷地の大カーブ、私も西村さん撮影の半年後に奥中山へ行きながら、空腹と疲労困憊で、同地点まで行けず、駅付近でお茶を濁してしまいました。「ロクに口にもせず」と書かれていますが、その気持ち、よくわかります。「カネが無い」のではなく「食べるところが無かった」のです。当時、とくに東北・北海道は、食堂・商店も少なく、文化・生活面では後進地域でした。もちろん、コンビニの“コ”の字も無い時代です。
    常紋、塩狩の“ナメクジ”も懐かしく拝見、その柔和な表情に似合わず風雪に耐える“ナメクジ”の姿に打たれました。昭和44年3月の珍道中は、昨日の写真展トークショーでも、KAWANAKAさんのコメントで出てきました。振り返ると、趣味人生を決した、忘れることのできない鉄道旅があるものです。西村さんの場合は、高校3年の東北旅行と、この厳冬の北海道だったと思います。私にもあります。いまも思い返しています。

  2. 西村雅幸様
    ナメクジのご報告有難うございます。文中、有名な御堂ー奥中山は2013.12.3に歩き通したことがあります。ナメクジではなくEH500単機が下り貨物を牽引する姿です。この辺りは北上川の源流があります。今回は脱線しましたので次回私のナメクジがあれば貼り付けます。

  3. 西村雅幸さま
    あの53年前の珍道中は楽し?かったですね。というか感覚的には冒険に近かったと思います。今ほどSL情報と、またそれを得る術が無い時代で、いわば行き当たりばったりみたいな旅行でしたから。若かったから出来たようなものだと今でも思っています。
    写真の塩狩のD5160、ハッキリ覚えていますよ。蘭留側のカーブ地点に行こうとして深い雪に阻まれて行けず、やむなく構内外れの切通しから撮ってお茶を濁したこと、とはいえ猛烈な白煙を吐いてくれたので、周りの雪景色との中で黒一点の迫力ある写真が撮れたこと等々です。期待して行った塩狩ですが、余りに雪深かったため行動が制約され、我々にとっては撮影ポイントとしての評価はいまいちでしたね。
    余談ですが、友人に大々的にHO模型をやっている方が居て、最近ナメクジに関心を持ってオークションで手に入れたと写真を送ってきましたが、なんと60号機のナンバープレートが付いていました。聞くと入手してから貼り換えたとかで、たまたま60両目の機関車だったからD5160にしたということでした。経緯はともあれ、私にとって想い出に残る号機だったので、よくぞ60号機にと体験談とお礼を伝えました。
    沼ノ端のナメクジは記憶にありませんね。ご一緒していましたのでおそらく撮っていたはずですが、あの時はD52が思うように撮れず、関心がD52に向いていたので忘れたのかもしれません。
    北海道のSL全盛期とは言わないまでも、C622をはじめまだその残り香を体験し得たのは貴重だったとしみじみ思っています。当時の体験を思い出させて頂きありがとうございました。
    ところでミスプリだと思いますが、くずはモールのD51は51号機でした。入社間もない頃、同機の搬入に携わった方からその様子を聞いたことがありました。吹田の入換機だったことですぐに関心は薄れてしまいました。やはり縁のある号機はいつまでも忘れないもののようです。
    因みに展示51号機に付いていたナンバープレートは全て複製でした。本チャンは何処に?ですが、ちょっとここでは書けませんので忘れたことにしておいて下さい。

  4. 西村雅幸様
    架線の下とはいえよくこの地で記録されていました。私が撮った東北ナメクジです。1965.9.1単線で架線がない場所(別線新設のため残っていた浅虫-野内間)を行くD5131[尻内]牽引の下り貨物で煙も出ない凡作です。

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