昭和40年頃大船から明石に転属した車両について

クハ76305の話題が出たので、その関連事項について書いてみたい。

横須賀線の113系化に伴い、余剰となった車両が明石に転属して京都~西明石間の大阪緩行線で使用されたが期間は非常に短かった。
昭和39年8月にモハ70077、078、089、090の4両が転属し、昭和41年5月(090のみ41年8月)中央西線用として大垣に再転属するまで在籍した。
昭和40年2月にモハ70038、039、040、059、060、061とサハ58000、011、020、021の10両が転属、更に7月にモハ70037、104、105、106とクハ76032、305の6両が転属、モハ70とクハ76は昭和41年4月(70038、039、040、059)と5月に大垣に、サハ58は昭和41年8月(58000、011)12月(020、021)に岡山に再転属するまで在籍した。サハ58は元流電一族の中間車で、クハ76305と共に情報が何も無い中で初めて見た時は卒倒寸前であった。(決してオーバーな表現ではない)
以下写真と共に解説する。

クハ76305
昭和32年汽車会社製、新製以来横須賀線で使用されていたが、昭和40年7月明石に転属、写真のように塗装を茶色に変更した。わずか10カ月後の41年5月大垣に転属して再びスカ色になった。一時期浜松~米原間でも使用されたが、昭和53年12月廃車になった。

 
41年2月14日  京都駅

 
再びスカ色となった中央西線時代  49年3月4日 名古屋駅 

クハ76032
昭和26年日立製、横須賀線から76305と共に昭和40年7月明石に転属して41年5月大垣に再転属した。塗装は76305と同様、茶色に塗られ、大垣転属時再度スカ色になった。関西時代のネガ紛失のため中央西線に転属後の写真を貼り付けた。写真のように正面窓は最後まで木枠であった。

 
49年3月4日 名古屋駅 

モハ70105
昭和26年川崎製、当初明石に配置されたが、昭和37年4月横須賀線用として大船に転属、昭和40年7月古巣の明石に転属して41年5月大垣に再転属した。当初スカ色のままで使用され、後日茶色に塗替えられたが僅かな期間に再度スカ色になった。

 

 
先頭車はクハ68050、3両目はモハ70106である。40年8月28日  京都駅

モハ70037
昭和26年川崎製、昭和40年7月大船から明石に転属、41年4月大垣に再転属した。

 
41年4月8日  京都駅

サハ58000
昭和11年川崎車輌で流電第1編成のサハ48029として誕生、昭和25年9月横須賀線用として田町(後に大船)に転属した。昭和39年1月大船工場で3扉化してサハ58000となった。40年2月明石に転属、41年8月岡山に再転属して山陽本線岡山周辺のローカル、宇野線、赤穂線で使用され、51年9月廃車になった。

 
41年7月31日  京都駅

サハ58011
昭和12年8月日本車輌で合いの子第2編成のサハ48033として誕生、昭和25年9月横須賀線用として田町(後に大船)に転属した。昭和38年11月大船工場で3扉化してサハ58011となった。40年2月明石に転属、41年8月岡山に再転属して、58000と同様に使用され51年6月廃車になった。トイレ付であったが明石時代は閉鎖されていた。

 


上/40年3月13日、下/40年8月28日 京都駅

サハ58020
昭和12年3月日本車輌で流電第2編成のサハ48030として誕生、昭和25年9月横須賀線用として田町(後に大船)に転属した。昭和39年1月大船工場で3扉化してサハ58020となり、40年2月明石に転属、41年12月岡山に再転属して52年3月廃車になった。

 
41年10月11日 京都駅

サハ58021
昭和12年3月日本車輌で流電第3編成のサハ48030として誕生、昭和25年9月横須賀線用として田町(後に大船)に転属した。昭和39年3月大船工場で3扉化してサハ58021となり、40年2月明石に転属、41年12月岡山に再転属して52年3月廃車になった。

 


上/41年10月11日 京都駅  下/49年11月23日 岡山駅

直接岡山に転属した車両
サハ58010、58050、クモハ51206、51208の4両は明石を経由せずに直接岡山に転属した。

サハ58010
昭和12年8月日本車輌で合いの子第1編成のサハ48032として誕生、昭和25年9月横須賀線用として田町(後に大船)に転属した。昭和39年1月大船工場で3扉化してサハ58010となった。39年8月6岡山に転属、山陽本線ローカル、宇野線、赤穂線で使用され51年10月廃車になった。

 
49年11月23日 岡山駅

サハ58050
昭和12年3月川崎車輛で流電第3編成のサロハ66017として誕生、昭和18年10月戦時改造でサハ48035となった。昭和31年12月横須賀線用として大船に転属した。昭和38年11月大船工場で3扉化してサハ58050となった。39年8月岡山に転属して51年9月廃車になった。

 


47年2月6日 岡山駅

クモハ51206
モハ43024として昭和9年2月川崎車輛で誕生、昭和25年9月横須賀線用として田町(後に大船)に転属した。昭和38年10月大船工場で3扉化してクモハ51206となった。39年8月岡山に転属して51年9月廃車になった。

 


上/40年8月1日 笠岡駅  下/49年11月23日 岡山駅

クモハ51208
モハ43032として昭和9年8月川崎車輛で誕生、昭和25年9月横須賀線用として田町(後に大船)に転属した。昭和39年3月大船工場で3扉化してクモハ51208となった。同年8月岡山に転属して51年8月廃車になった。昭和48年11月頃から翌年2月頃まで明石に貸し出され緩行線で使用されたが、この時期昼間はオール103系の運用となっており、旧形の運用は朝と夕方以降に限られていた。

 

 
上/47年2月6日 岡山駅  下/49年1月21日 京都駅

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