笠岡にて

笠岡駅西方の高架道路下のホジ9を確認してきました。

投稿記事の撮影時から35年以上が経っていますが、雨水と直射日光に曝されていないのか、保存状態はかなり良好な部類ではないでしょうか。

2011年7月30日午後撮影

なお、保存地点の周囲には、笠岡港が荷物の出荷で栄えた頃の、かなり貴重な近代建築群が残っています。

これらの町並みは、今の機会のうちに是非ご覧になられてください。

さいごに、現在の鬮場(くじば)付近の街角風景をお見せします。

笠岡にて」への3件のフィードバック

  1. K.H.君、お帰りなさい。短気は損気。寿命は延びた様で老人も後6年生き延びないと平均値に届かないようだ。須磨を始めとして年金族が投稿族となっているが、これも後数年たてばどうなっていることやら……。同志社には追突脱線事故を頬かむりする風潮はないようで、アカデミックを旗印として自由に各論を交わす風潮が今もあると信じています。ただ舌足らずは困ります。キリスト教には「悔い改め」の教えがあります。連続しては困りますが、「神の愛は母の愛」也です。老人はこの一言で難しい平石先生の倫理学を合格して参りました。それにしても暑いなぁ-。

  2. 以前はワル餓鬼が車内を荒らしまわって、かなり悲惨な状態でしたが、K.H.氏最近の撮影では、綺麗に修復されていますな。もっとも座席の布団、テレンプなどは手が回らず、要するに大工を入れ、全部木で直していますが。これで思い出したのが江若鉄道の旧関西鉄道ボギー客車ホハ101~104。夏しか使わないので、クロスシートが100%木製だったが、夏にはかえって涼しかった。インドや東南アジアでの、三等客車もかつてそうだったと聞きましたが。

  3. K.H.生さま
    笠岡への訪問、報告ありがとうございます。ボロボロのみじめな姿になっているのではと思いきや、綺麗に修復されているのに驚きました。車内は残念な状況ではありますが、網棚が残っているなど これでよしとすべきでしょう。今年は井笠鉄道設立100周年、鉄道廃線40周年にあたり、地元ではいろいろな動きがあります。多分そのこともあって 綺麗に修復されたのかもしれません。井笠鉄道も鞆鉄道も鉄道は廃止されてもバスが地元民の足となって盛業中であり、地元民になじんでいるように思います。8月6日にはまちおこしのイベントとして「追憶の井笠軽便鉄道跡ウオーク」が矢掛であるので行ってこようかと思っています。笠岡の町並みも楽しんできます。

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