第10日目 2月25日 前編
今日はホーチミンより早く開業したハノイMRTとどう違っているのか乗ってみての視察です。この旅の直前まで中国の支援にて開業したと思いこんでいました。日中のMRT開発の一騎打ちが見られると期待していましたが、フランスのアルストムが支援したMRTも既に走っていると知りびっくりしました。
▲ 中国、フランス、日本の3か国が支援して開業なったハノイMRTの2路線とホーチミンのMRTのざっとした違いの紹介です。詳細についてホーチミンMRTはPart 5で紹介しておりますので今回はハノイ2路線を紹介させていただきます。
▲ 6:40 宿泊していますハノイゴールデンムーンホテルの新鮮な果物、野菜を中心とした朝食バイキングのメニューです。朝はこういった新鮮なあっさり味が良いですね。美味しくいただきました。
【 道を間違えるドジ発生 】
7:20 Google-Mapで検索しましたらホテルから目的地ロンビエン橋までは950m、徒歩14分と出ましたので歩いても楽勝です。
▲ 7:56 フランス植民地時代に建築されたオペラハウス等の歴史的建造物を見ながら歩いていましたが一向に辿り着きません。
スマホを取り出して先程詮索したルートを見ますと到達所要時間は48分と延びています。
8:20 これはおかしいと地図の詳細を調べて見て分かったのは南北を逆に呼んでいたのではないかと結論です。全く逆方向に歩いていれば遠くになるばかりで着けるはずはありません。
またドジをやってしまいました。ホテルを出て通りを左に進んでいましたが本当は右に向かわなければなりませんでした。スタート時点で間違っていました。
急いで引き返さないと朝の列車撮影に間に合いません。
進路を誤ることはできませんので何度もスマホで現在位置を確かめながら向かいました。▲ 9:27 ロンビエン站に辿り着いた時に丁度、中国鉄路との乗り継ぎ国境站 DongDangへと向かうD12E-631号機牽引のM2列車が入線してきました。
① HL71729+② HL-PO81327+③ A J1921+④ A 31523+⑤ A 31518+⑥ A 31417+⑦ A 31516+⑧ A31568+⑨ A31559の9両編成でした。
▲ ハノイ近郊の路線図を作成してみました。ロンビエンから先のイエんビエンからは1,000㎜ゲージ以外に1,435㎜、そしてドンダン、ルーサまでは3線軌道があります。
次回訪問する時は是非に完乗したいと誓いました。
▲ 次に行きたいのはMRTカットリン駅近くにあるB52 戦勝博物館です。今度は路を間違ってはいけないとタブレットを取り出して検索しますとバスがあることが分かりました。ハノイのバスも乗ってみたいとバス停を探しましたがバス停は道幅50m以上もある反対車線からです。横断陸橋を探し参りましたがご覧のように路上生活者の住まいになっていました。
▲ 10:50 バスは直ぐに来ました。乗車直ぐに車掌からきっぷを買い求めましたがホーチミンの2倍以上高い12,000ドン(72円)です。
乗車時間15分で目的地近くのバスターミナル着、雨降る中を徒歩で向かいます。
▲ 12:20 途中で各国の大使館街に入ってしまい又も迷走、ようやくB52 戦勝博物館に辿り着きましたがこの日は休館日でがっくりです。開いているのは中国人おばさまツアー客がガヤつく土産物売り場だけでした。
▲ 12:45 MRT駅に向かう途中にあった屋台食堂でブン・チャーを注文、美味しくいただきました。
▲ 13:23 ようやくハノイ2A線カットリン(Cát Linh)駅に到着しました。
▲ 1階には飲食店等の出店はなくガランとしていました。2階へは上下のエスカレータが設置されています。3号線が完成しますとどこで乗り継ぎできるのでしょうか?
きっぷの形状や自動改札機の形状が違っています。一旦外に出てから乗り換えとなるのでしょうが運賃計算もどうするのか大変ですね。
▲ 2階コンコースには自動きっぷ販売機が1台設置されていました。1日きっぷが欲しいので選ぼうとしましたが降車駅のみしか選択できません。有人窓口に参り1日券が欲しいと注文して受取りました。
左下のきっぷが自動改札機に通す磁気カードです。ただこのカードは降車駅の改札機で食べられてしまいますので左上の領収書を有人窓口に行き提示して新たに磁気カードきっぷを発券していただく必要があります。
▲ エレベータに乗って3階のホームに上がりました。
ホームドアが設置されているのかとじっくり見ますと柵だけでした。これでもホームに落ちるのは多少は防げるのでしょうが建設費節約のためだったのでしょうね。
ちなみに日本が建設したホーチミンMRTでは全駅ホームドアが完備されていました。安全に対する認識が違うのですね。
▲ 北京地鉄車輛廠で製造されましたので外観、内装とも北京地鉄と類似しています。
▲ 13:41 発車しましたがなぜか20km/hほどの徐行で次の駅まで走行です。次のラタインに着く手前で対向車とすれ違いました。
▲ 13:44 タイハを発車後はカーブと勾配の多い区間を走ります。
▲ 13:46 ランに到着、駅のホームは先ほどのタイハとほぼ同様です。違っていつのは階段を囲むコンクリート製フェンスの色が違っているところです。
▲ 13:48 トウオンヂインに到着、階段の向きが代わりましたがホームの形状仕様は同じです。
▲ 13:50 第3環状線に到着、ホームで待たれている客数は、途中の各駅とも3~5人程度でローカル線並みです。
▲ 13:53 フンコアンに到着。
▲ 13:55 ヴアンクアンに到着。、
▲ 13:57 ハドンに到着。
▲ 13:59 ラケーに到着。
▲ 14:01 ヴァンケーに到着。
▲ 14:03 終着駅のイエンギアに到着、4両編成全車の乗客は10数名と数えるほどでした。見えた対抗列車は直ぐに発車していきました。
▲ 14:06 乗客が降りると渡り線を通って反対車線へとスイッチバックしてカットリン行き乗客を乗せます。
▲ 磁気カードきっぷはどうなるのか改札機を通ってみましたがやはり食べられてしまいました。ユーチューバーの方に教えてもらっていましたので慌てませんでしたが、これを前もって知っていないとパニックになるでしょうね。有人窓口に行って1日券領収書を見せて新たなきっぷを発券してもらいました。
改札口はホーチミンと違って降車客が溜まることなくスムーズに流れていました。
自動きっぷ販売機ですが3台の内1台は止まっていました。
▲ 終着駅はバスターミナルも兼ねているようでここから発着するバス路線が案内されていました。
▲ 折り返しの列車の乗ってカットリンへ戻ります。 ワイパーに邪魔されず対向車が撮れた唯一のカットです。
戻りの車内もご覧の通りガランとしていました。3号線との乗り継ぎや繁華街まで延伸がない限り難しいかもですね。
後編ではフランスが援助した3号線を紹介させていただきます。 Part 17 へ続く
【 お詫び 】旅日記がしばらく途切れてしまって申し訳ありません。
Part15を投稿後突然、腰に違和感を感じました。病院で頂いた湿布を張っておけば治るだろうと思っていましたが翌日には太腿に痛みが降りてきました。そして2日後には膝から下も激痛が走り歩けなくなってしまい、這わなければ移動できなくなりました。Junirに連絡すると放置しておいてはもっと大変なことになる。直ぐに119番して緊急車で整形外科のある病院に行くようにと指示が出まして、即入院です。
翌日にはMRIもとりましたが結果が出るのは1週間後と言われました。この病院は布団が重く余計に腰と足を圧迫して痛みが増すので医師に許可を得て自宅に逃げ帰りました。現在自宅にて静養中ですが、痛みは消えず我慢の毎日です。
旅日記もあと少しで投稿完了しますので頑張ってみることにしました。
しばらく投稿がないので、心配していました。腰のいたみをなおすには、1レントゲン、2マッサージ、3あんま、4電磁波位しかありませんね。
意外と、家でじっとしているより、歩き回った方が良いかもしれません。
無責任な、コメントですが、快癒を祈ります。
木村様、コメントをいただきましてありがとうございます。
昨日通院で。腰にコリセットを装着して新しい痛み止め薬を頂きました。おかげで昨夜は2日ぶりにベッドでの痛みがなく熟睡できました。今日は我が町にある済生会病院に紹介状を持って行き診断を聴きましたがやはり腰椎椎間板ヘルニアです。ヘルニアが右足神経を圧迫して痛みがでてきたともことでした。「これからの治療は様子をみてからで効いてきた新しい痛み止め薬を続けて飲んで下さい。それでも痛くなるようだったら来てください。」でした。1週間後の通院となります。いつもなら満開の桜を求めて鉄路を探し求めていますが今年は行く事ができなくなりこれが残念です。