駅名喫茶店(第154回:鹿児島交通の駅名(枕崎は終着駅でなかった))

多方面でご活躍されているK.H.生様より頂戴したお写真がきっかけで、鹿児島交通の駅名をまとめてみました。若手にとっては、枕崎は終着駅のイメージが強いのですが、昔はそうではなかったのですね。

【鹿児島交通枕崎線(1984年(昭和59年)3月18日廃止)】

伊集院  いじゅういん(枕崎線) 

鹿児島県日置市伊集院町徳重407番地

1914年(大正3年)4月1日開業

 

上日置  かみひおき(枕崎線)    

鹿児島県日置郡日吉町大字日置

1916年(大正5年)7月25日開業

 

日置     ひおき(枕崎線)          

鹿児島県日置郡日吉町大字日置

1914年(大正3年)4月1日開業

 

吉利     よしとし(枕崎線)       

鹿児島県日置郡日吉町大字吉利

1914年(大正3年)4月1日開業

 

永吉     ながよし(枕崎線)       

鹿児島県日置郡吹上町永吉

1914年(大正3年)4月1日開業

 

吹上浜  ふきあげはま(枕崎線) 

鹿児島県日置郡吹上町中原

1915年(大正4年)5月1日開業

 

薩摩湖  さつまこ(枕崎線)       

鹿児島県日置郡吹上町中原

1955年(昭和30年)1月1日開業

 

伊作     いざく(枕崎線)          

鹿児島県日置郡吹上町大字中原

1914年(大正3年)4月1日開業

 

南吹上浜 みなみふきあげはま(枕崎線)

鹿児島県日置郡吹上町入来

1916年(大正5年)7月25日開業

 

北多布施 きたたふせ(枕崎線) 

鹿児島県日置郡金峰町大字大野

1914年(大正3年)5月10日開業

 

南多布施 みなみたふせ(枕崎線)          

鹿児島県日置郡金峰町大字尾下

1914年(大正3年)5月10日開業

 

阿多     あた(枕崎線、知覧線) 

鹿児島県日置郡金峰町宮崎

1914年(大正3年)5月10日開業

 

加世田  かせだ(枕崎線)          

鹿児島県加世田市本町

1914年(大正3年)5月10日開業

 

上加世田 かみかせだ(枕崎線) 

鹿児島県加世田市武田

1931年(昭和6年)3月10日開業

 

内山田  うちやまだ(枕崎線)    

鹿児島県加世田市内山田

1931年(昭和6年)3月10日開業

 

上内山田 かみうちやまだ(枕崎線)       

鹿児島県加世田市内山田

1931年(昭和6年)3月10日開業

 

干河     ひご(枕崎線) 

鹿児島県加世田市津貫

1931年(昭和6年)3月10日開業

 

津貫     つぬき(枕崎線)          

鹿児島県加世田市津貫

1931年(昭和6年)3月10日開業

 

上津貫  かみつぬき(枕崎線)    

鹿児島県加世田市

1931年(昭和6年)3月10日開業

 

薩摩久木野 さつまくきの(枕崎線)       

鹿児島県加世田市

1931年(昭和6年)3月10日開業

 

金山     きんざん(枕崎線)       

鹿児島県枕崎市

1931年(昭和6年)3月10日開業

 

鹿篭     かご(枕崎線) 

鹿児島県枕崎市

1931年(昭和6年)3月10日開業

 

枕崎     まくらざき(枕崎線)    

鹿児島県枕崎市東本町6

1931年(昭和6年)3月10日開業

 

 

【知覧線(1965年(昭和40年)11月15日廃止)】

阿多     あた(枕崎線、知覧線) 

鹿児島県日置郡金峰町宮崎

1914年(大正3年)5月10日開業

 

東阿多  ひがしあた(知覧線)    

鹿児島県日置郡金峰町宮崎

1928年(昭和3年)9月1日開業

 

花瀬     はなせ(知覧線)          

鹿児島県日置郡金峰町花瀬

1927年(昭和2年)6月1日開業

 

薩摩白川 さつましらかわ(知覧線)       

鹿児島県日置郡金峰町白川

1927年(昭和2年)6月1日開業

 

田部田  たべた(知覧線)          

鹿児島県川辺郡川辺町田部田

1927年(昭和2年)6月1日開業

 

薩摩川辺 さつまかわなべ(知覧線)       

鹿児島県川辺郡川辺町

1927年(昭和2年)6月1日開業

 

野間     のま(知覧線) 

鹿児島県川辺郡川辺町野間

1930年(昭和5年)11月15日開業

 

東川辺  ひがしかわなべ(知覧線)          

鹿児島県川辺郡川辺町両添

1930年(昭和5年)11月15日開業

 

小野     おの(知覧線) 

鹿児島県川辺郡川辺町小野

1930年(昭和5年)11月15日開業

 

城ヶ崎  じょうがさき(知覧線) 

鹿児島県川辺郡知覧町郡

1930年(昭和5年)11月15日開業

 

知覧     ちらん(知覧線)          

鹿児島県川辺郡知覧町大字郡

1930年(昭和5年)11月15日開業

 

【南薩鉄道万世線(1962年(昭和37年)1月15日廃止)】

加世田  かせだ(万世線)          

鹿児島県加世田市本町

1916年(大正5年)10月22日開業

 

薩摩万世 さつまばんせい(万世線)       

鹿児島県加世田市唐仁原

1916年(大正5年)10月22日開業

 

南薩鉄道記念館

https://kanko-minamisatsuma.jp/spot/11952/

日本鉄道線路図(1966年版・鉄道ピクトリアル編集部編)

 

ところで最近、鹿児島交通さんのこんなニュースがありました。https://www.youtube.com/watch?v=6W4-W2OM9Dc

 

駅名喫茶店(第154回:鹿児島交通の駅名(枕崎は終着駅でなかった))」への34件のフィードバック

  1. 奈良の駅名研究家様
    「枕崎」は「伊集院」を起点とする鹿児島交通枕崎線の終点駅で、国鉄との共同使用駅となっていて管理は鹿児島交通がしていました。この駅で乗車記念に入場券を購入したところ鹿児島交通仕様になっていました。末期には国鉄のキハ11形に準じたキハ300形を使用して「伊集院」を経由して「西鹿児島」(現:「鹿児島中央」)まで乗り入れていましたので、「枕崎」から国鉄の指宿枕崎線経由と枕崎線経由の両方向の「西鹿児島」行が発車していました。
    今年は、戦後80年になりますが、忘れてならないのは特別攻撃隊の出撃基地として海軍は鹿屋航空隊を始めとして大隅半島に集中していましたが、薩摩半島には知覧、万世などの陸軍の飛行場があり、隊員・家族および航空燃料などの資材の輸送により皮肉にもその頃の南薩鉄道(後の鹿児島交通)が一番賑わっていたようです。
    1968年3月28日「伊集院」に停車中のキハ302。

    • 快速つくばね様

      早速のコメント、ありがとうございます。
      なるほど、西鹿児島まで乗りいれていたのですね。

  2. 奈良の駅名研究家様
    先週、枕崎に行った所なので、私の中ではとてもホットな話題です。
    現在も、枕崎から伊集院まで抜ける鹿児島交通の路線バスが走っていますが、この路線の名残なのですね。現在のバス路線から、当時の鉄道路線を想像するのも面白いですね。

    • 岡山好きの元京都人様

      仰せの通りです。

      バス路線が昔、鉄道路線だったという例は他にもたくさんあると思いますので、これからも探っていきます。

    • 米手作市様

      米手さん、元京都人さんにタイムリーな話題を届けられたようで嬉しいです。写真には南薩鉄道万世線の駅名標も写っていますね。

  3. 奈良の駅名研究家様 路線図は知覧線や万世線も表示されているこの地図が良いかと思います。

    • 西村雅幸様

      路線図ありがとうございます。これは何かのパンフレットでしょうか。

      • 奈良の駅名研究家様 この地図は薩摩万世駅跡に建てられている説明看板の図を拡大したものです。両面に詳しい解説があり、初めて訪れた者にとって非常に有難い説明板でした。万世駅以外でも北多夫施駅跡や上日置駅跡、米手氏が紹介された加世田駅跡にも同じような看板がありました。

        • 西村雅幸様

          ありがとうございます。こんな丁寧な看板が設置されているのは嬉しいですね。廃線跡巡りにも役立ちます。

    • 旧い話で恐縮ですが、昭和50年頃に枕崎から伊集院まで乗車しています。鹿児島から指宿枕崎線で枕崎乗継ぎでした。枕崎の貧弱な一面二線のホームが印象的でした。今思うと支線に乗らなかったことが悔やまれます。面白かったのは伊作駅での交換風景でした。地図からもわかるように同駅の手前から線路が平行するので、交換列車同士が並走して走るのです。私は米手さまから事前に聞いていたのでなるほどと思ったくらいでしたが、他のお客さんからは「あの列車は何処へ行くのだろう」との会話が聞こえたものです。国鉄には駅の構内近くでは並走もありましたが、殆ど例がなかったように思います。

      • 1900生様

        実際にご乗車されたとは羨ましいです。交換列車同士の並走はアツイですね。

        可能な限り、乗りつぶしを行っておく重要さが分かりました。

        • 奈良の駅名研究家さま
          社内で集まっていた鉄ちゃんの面々からも「C62ニセコ」等SLの撮影・乗車を「羨ましい。当時は受験だったので。もう数年早く生まれていたら」とよくいわれました。まあ旧いだけが取り柄なのですが。そういう自分も「もう少し早ければ」と思うことは多々ありますよ。狩勝旧線や草軽電鉄など枚挙に暇もありません。また「なんやD51か」とサボったことも未だに後悔しています。要はその時代その時に悔いのないように活動しておくことなのだと思います。この鹿児島交通乗車ももともとは指宿枕崎線の乗車が目的でした。当初往復を計画したのですがやはり鹿交に乗っておいてよかったと思っています。

  4. 立派な石造りの給水塔が残る上日置駅跡です。この駅はスイッチバック駅ですが、引上げ線は草むらと化していました。(平成30年5月訪問)

  5. 奈良の駅名研究家様 この地図は薩摩万世駅跡に建てられている説明看板の図を拡大したものです。両面に詳しい解説があり、初めて訪れた者にとって非常に有難い説明板でした。万世駅以外でも北多夫施駅跡や上日置駅跡、米手氏が紹介された加世田駅跡にも同じような看板がありました。

  6. 鹿児島交通(南薩鉄道)は本来は遣唐使も出港した枕崎地方を、博多や遠く大阪・東京へ結ばんと計画された雄渾な鉄道路線でした。
    同じ九州の非電化の大分交通や島原鉄道よりも格が上で、国有化されなかったのも、薩摩の人間の意地だったから。またその意地が少し空転して、最期は島津の敵中突破みたいな立ち往生だったことも、凄い好きな鉄道の理由です。

    加世田は薩摩半島の中心というか、都で、日新公(島津忠良)の時代にはここに島津の本拠が置かれて、日向、大隈含めた三州の知行を致します。
    私は加世田が好きで好きで仕様がなく、広田尚敬氏のカラーブックスで見た南薩の錆びた蒸汽の1枚の写真に小学校時代に釘付けになり、中3で念願の加世田の駅に立ち、古びた動かぬ蒸汽たちの物言わぬ姿にやっと遭遇できた時は、靖国で直立不動になる参拝者の面持ちでした。

    ちょっと大袈裟に書き過ぎましたが、鹿児島交通は面白い。薩摩半島は10代の頃に特攻隊の基地から梅崎春生の「桜島」まで、自分の青春の思いを埋めたくなるくらい憧れました。
    たくさんの写真を撮っています。

    • K.H.生様

      思い出の尽きない鹿児島交通ですね。今でこそJR九州の最南端の終着駅である枕崎ですが、スタートは南薩鉄道やったのですか。肝に銘じておきます。

      綺麗なカラー写真の連続で、現存駅かのように感じました。

  7. 枕崎は本来、南薩が先に建てた駅で、鰹節が高価だった頃はここが黄金を産む駅で社線時代に加世田を凌ぐ立派な駅舎に建て替えられています。
    ここに国鉄指宿枕崎線が延伸されて、遠慮気味に乗り入れていたというのも、歴史の知られざる事実です。

    • 金山 
      カラー写真は同大に合格後の春休み九州一周で友人の軽自動車で訪問 1979年3月撮影

      • 上津貫
        営業中の時代の撮影ですが、廃線跡訪問をしてるかの如く、加世田以南は無人駅ばかりで、南薩の強い風雨に荒れ果てていました。

        • 津貫
          いま、この駅跡の横に、薩摩本坊酒造の津貫ディスティラリーが英国の石造建築のように聳えて、マルスウヰスキーをたおやかに醸しています。

          廃線跡訪問一辺倒の諸君には、そういった嗜みも持って頂きたいものです。

          この写真は雨の夕暮れで開放、1/30くらいで撮っています。

  8. K.H生様 枕崎駅の写真、ありがとうございます。平成30年5月10日に訪ねた際、1面1線の駅になっており、鹿児島交通の面影は全くなく期待外れでガッカリしました。また加世田への特別な想いもご披露頂きましたが、加世田には車輪旋盤などの工作機械がきれいな状態で保存、展示されているのに驚きました。同社の自負のようなものを感じました。

    • 西村様コメントありがとうございます。
      鹿児島交通、海運業をはじめとする地方コンツェルンを作った岩崎グループの盛衰が、この県への影響がとても大きい。鹿児島に限った話でなく宮崎交通も同じ。大分県の大分バスと大分交通のライバルも栄枯盛衰です。
      福岡県の西鉄も昔は相模鉄道を見下していましたが、今は比ではない。
      九州はどこに行ってもため息が出ます。JR九州とて、北九州と博多間の電車が9時台に30分間隔です。
      北海道と九州は国策で維持できないと、国土の維持もやがて限界が見えそうな予感がします。

  9. 今日は先に廃線になった後も残っていた駅です。
    知覧線(薩南中央鉄道)の終点知覧
    往時は加世田から何本もバスが出ていて行きやすかったです。
    撮影は1979年3月

    • 知覧線の中央にあった大きな駅の薩摩川辺(さつまかわなべ)
      知覧より先に町制を敷いた自負があり、この当たり一帯は川辺郡と呼ばれた名残でしょう。
      今は知覧と合併して南九州市となりました。
      加世田市は合流せずに南さつま市で対立。このあたりが実に複雑な薩摩半島の行政です。枕崎市も別です。

      廃駅を探しに行った時はその荒れ果てぶりに、慄然としました。

      • 加世田から盲腸線が出ていた万世支線の終点、薩摩万世駅のおそらく写真ではないか。
        ここを写した写真は殆ど無く、特に廃線後は非常に珍しいのではと思われます。
        万世にも基地がありましたので、線路を伸ばしたのではと思います。往時の加世田駅前は朝の6時台から飯屋が開いてるような殷賑でした。

  10. 実コメント数が20コメントとなり、駅名喫茶店過去最高を記録しました。

    皆様、いつもありがとうございます。

  11. 鹿児島交通は印象に残っている路線で、楽しく記事を拝見しております。
    1979(昭和54)年8月、山野線、妻線以南のローカル線を全て乗ってみようと出かけました。その際、薩摩万世駅跡へ。加世田から分岐する線路跡が残っていました。加世田駅からタクシー往復。駅建物は撤去されており、ホームに瓦などが多数散乱している状態でした。
    鉄道ピクトリアル1979年3月号に、失われた鉄道知覧線の記事をみて、阿多駅などこんなに荒れているのか、と枕崎までのいくつかの駅も下りてみました。

    東京からの九州周遊券、19,800円(20日間)
    往路、新大阪から「明星1号」23M
    復路、大分から「彗星4号」3004レ 利用でした。

    • 高田幸男様

      コメントを頂戴し誠にありがとうございます。

      私が生まれた時には鹿児島交通はおろか、国鉄もありませんから、こういった廃線はむしろ新鮮に思えてきます。

    • 米手作市様

      実際に使われていた駅名標ですね。こういうのを発見すると嬉しくなります。

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