わが鉄道熱中時代 (13) 山崎50・3改正編

貨物を牽く電機

「山崎50・3改正編」の最後として、貨物列車を牽く電気機関車を見ていただきます。貨物輸送のピークは過ぎていたものの、東海道・山陽本線が貨物輸送の大動脈であることに変わりはなく、多くの貨物列車が運転されていました。コンテナ専用列車も運転されているとは言え、二軸車、ボギー車など、雑多な貨車から編成された集結輸送方式が主流でした。牽引機も、デッキ付きの旧型電機こそ山崎には姿を見せなかったものの、60番代電機も第二世代に変わり、EF 66、 EF 81の新世代の電気も次第に勢力を伸ばしていました。東海道・山陽筋の電機の主流は、EF 65の0番代で、吹田二区、稲沢に大量配置されていたが、浜松、沼津の両区には、EF 60がまだ64両配置されていた。なかでも前照灯1個のEF601~83が元気に動いていた。

二車体のEH10は吹田二区、稲沢に全64両が集中配置されていて、その迫力ある姿は、まさに重量貨物の先頭にふさわしい風貌だった。当時の物資別適合輸送の象徴でもある、ク5000から成る自動車輸送専用列車を牽く姿も見られた。

昭和43年から量産されてきたEF66の0番代は、当時は東海道・山陽本線の専用機として、ワキ、レサ、コキの高速貨物列車を牽いて活躍を始めていた。天王山に連なる山並みをバツクにEF66 8[関]が掛ける。前年の昭和49年に湖西線が開業し、この50・3改正から北陸本線からの優等列車、貨物列車も湖西線ルートに変更される。3電源方式としてすでに富山区に配属されていたEF81も、改正を前に米原回りの貨物列車に運用を開始していた。青塗装の直流機ばかりの山崎でも、ローズピンクの電気機関車が見られるようになった。

 

 わが鉄道熱中時代 (13) 山崎50・3改正編」への2件のフィードバック

  1. 「山崎50・3改正編」はこれで打ち止めですか! もっと拝見したい気持ちもありますが、反応が薄いですね。
    この時代は当たり前に見ていた電気機関車も、今ではEF81が残っているくらいでしょうか? 現状に疎いもので、さっぱりわかりません。
    いずれも懐かしい顔ぶれで、EH10など涙なくしては見られません。いろいろな種類の貨車を引いて、京都駅を通過する姿を思い出します。しかし、写真はあまり撮らなかったようで、もったいないことをしたと反省しています。
    ヘッドライトがひとつのEF60は車体側面も違っていて、50年前は「古臭い」と思っていましたが、あらためて見ると味がありますね。添付の画像は1979年1月に山崎駅の南で写したもので、次位にはDD51 1032がついていました。

    • はい、反応が薄いですが?、私は私の投稿を続けるのみです。いまはEF81も見られませんから、山崎の電機は、完全に世代交代したのですね。EH10は、これぞ貨物機と言った風貌が好きでしたし、つい最近まで、EF65PFを、追っかけていた頃も懐かしいです。EF60は2灯もありましたが、やっぱり初期の1灯が絵になりました。EF60+DD51は貴重な記録ですね。、

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