◆ た~ちゃんの電車めぐり ⑤野上電鉄 その後

昭和30年代の野上電鉄の訪問は、前回紹介どおりですが、一昨日、廃止直前の野上電鉄を写したL版アルバムが送られてきました。野上電鉄は、ご承知のように1994(平成6)年4月に廃止されていますが、“た~ちゃん”は、廃止前にも数回にわたって訪問しており、現役時代の野上との比較のために、ぜひ掲載してほしいと送られてきたのでした。
私も廃止前に訪れています。ところが、廃止をめぐって、労使の対立があったり、社員間でも考えの相違があったりして、現場には張り詰めた空気がありました。その矛先が撮影者に向けられ、駅でカメラを持っているだけで制止されたり、車内でカメラを取り出すと運転士が怒鳴りに来たりと、すさんだ空気が流れていて、私自身は野上への思い出は封印していました。しかしそこは、決して喧嘩をしない、人間のできた“た~ちゃん”、事務所の呼び出しにも誠実に対応し、沿線の子どもたちとは、野上廃止について、話し合い、友好的な訪問を果たします。ホントに電車が好きな“た~ちゃん”らしい、野上電鉄との別れ方でした。
△ 日方車庫に集結した廃止前の車両たち、これを撮っていたら、事務所から呼び出しが掛かった。

(以下、“た~ちゃん”作成のキャプションで、廃止前後の様子をご覧ください)
△本社の建物(上)と運賃表(左)。

 

 

 


△許可を得てから撮った富山地鉄からの転入車(上) 
△ ついでに留置線も(右)。

続いて1992年2月11日の建国記念日に、友人とともに訪問した。目立たないように田んぼから撮った。天気も良く、ミニ登山も楽しめた。

△ 田んぼでこどもたちと電車廃止について、話し合った。

△夕方に走って来たのは、中学・高校生を乗せた通学電車(上)。△これも夕方、工場から帰宅に向けての回送電車だった(左)。△登山口終点の留置車、いつ動いているのかは分からない(右)。

そして、1994(平成6)年4月1日を持って野上鉄道が廃止された。1ヵ月後、どうなっているか覗いてみた。今度ばかりは何のお咎めもなしに撮れた。

△なぜかパンタを上げた10形が1両、日方駅のホームであくびをしていた。

△ 店徳旅館には2度もお世話になった。廃線後、電車の写真をA3にプリントして差し上げたところ、木箱に入ったミカンが送られてきた。

△旅館の方に保存車両の場所も教えてもらった。

△電車代替のバスについても教えてもらった。

 

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