東京 13:07 ― 1873E 熱海行き → 国府津 14:39
国府津 14:50 ― 2547M 沼津行き → 沼津 16:14

本来、立川で抜かれる予定の特急を高尾で先発させたため、東京には定刻の到着でした。発着本数の多さには、いつ来ても圧倒されます。地下1階の飲食店街にて昼食を摂り、丸の内駅舎へ。これまで何度か東京に来ましたが、東京駅に昼日中に来たのは今回が初めてでした。多くの観光客が、日本の中心駅を写真に収めていました。せっかく東京に来たので、少し散策することに。駅前の高層ビルに囲まれた行幸通りを皇居に向かって歩きます。この日は気温が高く、マフラーを脱いでも十分でした。日射しが暖かく感じられ、通行人の中にはコートを脱いで片手に持つ人の姿も多く見受けられました。皇居の外側の写真を撮り、再び駅まで戻ります。関西とはまた違う雰囲気の洗練された街を歩き、高揚した気分になりました。関西出身者として様々思うところはあるものの、また訪れたいことに変わりありません。

東京駅の地下でいただいたオムライス。



ミャクミャクにも遭遇。知らない街で偶然親友に会ったような安心感があった。

数を減らすE2系新幹線の姿も見られた。
グランスタでお土産を買い、9・10番線に上がります。またもや様子がおかしいと思ったら、高崎線で人身事故があり、上野東京ラインは運休、東京駅にて折り返し運転を行っているとのことでした。ひとまず、9番線に停車中の平塚行きに乗り込みます。当駅始発のため、車内は空いており、ボックス席に座ることができました。初めて東京を訪れたのが2017年だったので、「上野東京ライン開業前はこんな様子だったのか」と考えているうちに、列車は東京を発車しました。昼下がりの都心のビルの合間を走り、車窓には一瞬だけ見える東京タワーや東京モノレール、品川で休むサンライズ、高輪ゲートウェイ駅が続きます。品川で山手線と分かれ、しばらく走ると多摩川を渡り神奈川県です。横須賀線や京浜東北線と離合しつつ東海道を西へ進みます。平塚の一つ手前、茅ヶ崎で降ります。終点まで乗っても良かったのですが、「平塚より先へお越しの方は茅ヶ崎でお乗り換えください」との車掌さんからのアナウンスがあったため、そうすることにしました。

東京駅で折り返し待ちをする平塚行き。
後続の列車に乗り換え、さらに30分ほどの乗車で国府津に到着しました。地下通路やホームの柱などが少し古く趣のある駅でした。国府津からは御殿場線に乗り換えです。東海道線はこの先、熱海までJR東日本エリアですが、御殿場線はJR東海の管轄です。もう静岡県に入ったのかと勘違いしてしまいますが、途中の松田で小田急線と乗り換えができるようにまだ神奈川県の区間が続きます。国府津を発車し、東海道線と高架線で立体交差しながら進路を変えます。高架からは先ほどまで見えなかった相模湾も見えました。もともと東海道本線として建設された経緯もあり、線形もローカル線としては良い方です。『鉄道唱歌』の歌詞にもあるように次第に富士山が近づいてくる他、トンネルとトンネルの間の酒匂川の渓谷も楽しめます。帰宅時間に重なったこともあり、空いていた車内も静岡県に入ると高校生が多くなりました。車窓もいつの間にか町の景色に変わっていました。東海道線と再び合流し、16時14分に沼津に着きました。(続く)

国府津にて並ぶ東海道線のE231系と御殿場線の313系。

御殿場線から眺める富士山。





岡山好きの元京都人様
58年前の1968年2月22日の国府津駅です。このころ御殿場線には蒸気機関車の牽引する列車が残っていたので、ホームは国府津機関区に隣接した4番、5番ホームを使用していました。
この区間の『鉄道唱歌』、
(13) いでてはくぐるトンネルの 前後は山北 小山驛
今もわすれぬ鐵橋の 下ゆく水のおもしろさ
もよく情景を表していますね。東海道篇が発売された当初はまだ谷峨信号所は開設されてなく、「小山」は国有化された東北本線の「小山」と同一駅名になることから1912年7月に「駿河」(するが)に改称され、さらに太平洋戦争後の1952年1月になって「駿河小山」に改称され現在に至っています。