昭和40年前後の浜大津界隈(Ⅱ)


交差点を通過する三条行急行。右端に京阪バスのボンネットバスが見える。
(39-8-2)

今回は、前回に続いて電車と難問のバスの画像をお目にかける。バスについては、昭和40年前後は少しは興味があったが、撮影は全くしていないので、昭和50年頃撮影した中から昭和45年頃までに製作された車両を紹介する。

【電車】

 浜大津折り返しの穴太行の352/西村雅幸氏がコメント欄に書かれた「渡り線の位置」の件、この写真でお判りいただけると思われる。当時は引き上げ線がなく本線上で折り返していた。浜大津駅統合後、京津線の浜大津止まりの準急は到着後、一旦坂本方面の線路に転線して石山寺行を通した後、石山寺方面の線路に転線、坂本行通過後、再度転線するという面倒なことをしていた。
(43-9-25)

 356+357の坂本行/この時点ではバックの商工中金ビルは4階建
(43-9-28)

 262+261の浜大津折返しの坂本行 (49-12-8)

 交差点を通過する308+307の三条行準急
(55-1-6)

上栄町から浜大津方面を望む/306+305の三条行準急
(51-2-11)

【バス】
当時、浜大津に発着していたバスは、江若の他、京阪バス、近江バス、滋賀交通、国鉄バスの4社で、主力は江若、京阪、近江の3社であった。国鉄バスは江若と相互乗り入れで小浜~浜大津間を2往復運行していた。江若は京阪三条~小浜間を2往復運行し、4時間弱で結んでいた。

バスの写真の前に登録番号(ライセンスナンバー)について少し解説する。
現在の「京都200か2012」のプレートを例に取ると、上段の陸運事務所略号の後の3桁の登録番号は平成11年に制定されたもので、それ以前は「京22か2011」のように2桁で、陸運事務所にコンピュータが導入された昭和45年9月~46年4月頃(全国一斉に導入されたのではなく、都道府県により差がある)から付番されたものである。更にそれ以前は「京2か1011」のように1桁であった。
2桁の時代は下2桁の42と49を欠番にして登録順にナンバーを交付していたが、1桁時代はナンバーを特定のバス会社に割当てしていた地域があった。

滋賀県では昭和37年12月から橙色の「滋2あ」ナンバーは廃止されて、緑色の「滋2い」ナンバーへの付け替えが行われ、江若には「滋2い1001~」割り当てられた。ちなみに「滋2い1~」は近江、「滋2い801~」は京阪バスに割当てられている。余談であるが昭和44年に京阪バスの「滋2い846/38年式BXD30」を譲り受けているが、使用の本拠地が滋賀県内と変わらないため登録番号はそのままで、見る人が見れば、京阪中古であることは一目瞭然であった。
昭和42年12月に割当てナンバーは廃止になり、「滋2い2501~」の届け出順に付番されることになった。

〔江若バス〕
滋2い1035廃車体/いすゞBB751(37年式新日国工業)

 昭和47年4月に廃車されたが、安曇川営業所に残っていた。昭和46年勤務先のキャンプの下見でサンケイバレイに行った時、京阪三条から乗車した小浜行がこのタイプであった。
(54-3-3 安曇川営業所)

滋2い1038廃車体/いすゞBB751(37年式日産車体)

BB751のラスト3両(10
37~1039)は社名変更により日産車体製となった。廃車は昭和47年4月である。(54-3-16 堅田)

滋2い1079/日野RB10(41年式金産)

54年2月廃車
(50-5-18 安曇川駅)

滋2い1077廃車体/日野RB10(41年式富士重工)

 52年7月廃車
(54-3-3 安曇川営業所)

滋2い2715/いすゞBU05D(44年式川崎重工)

鉄道廃止時に代行輸送用として大量に作られたワンマン車である。滋2い27
01~2705、2708~2719、2721~2723の20両在籍し、代行輸送終了後も主力として活躍した。(55-1-6 浜大津)

滋2い2739/いすゞBU05(44年式川崎重工)

鉄道廃止時に代行輸送用として作られたツーマン車である。滋2い27
06、2707、2720、2733~2740の11両在籍した。代行輸送終了後、前後扉のワンマン車に改造して引き続き使用される予定であったが、実際に改造されたのは「滋2い2737」1両のみで、他の車両は譲渡された。(49-12-19 堅田駅)

滋2い2737/いすゞBU05(44年式川崎重工)

上のグループ改造車である。改造が中止となったのは、費用が掛かりすぎるためと言われている。
(55-1-6 浜大津)

〔京阪バス〕
滋2い 858/ふそうMR480(38年式三菱重工)

中1扉のツーマン車で、石山駅~上千町・岩間寺間で昭和51年頃まで使用されていた。
(51-3-23 浜大津)


バックビュー

滋2い 884/ふそうMR620(40年式クレハ)

ふそうの中型車の元祖。ボンネットと共通運用で長等公園~浜大津~朝日ヶ丘住宅等で使用されていた。当時としては斬新なスタイルであった。
江若にも同型車が1両(滋2い1065)在籍して、和邇~途中線等で使用されていたが、スプリングの破損事故があり早々に姿を消した。悪路の走行には不向きであったのかも知れない。(50-3-2 浜大津)

滋2い 888/いすゞBXD30(40年式帝国)
 
昭和51年頃まで長等公園~浜大津~朝日ヶ丘住宅、石山駅~大石~曽束間で使用されていた。
(49-12-15 浜大津)

滋2い2589/いすゞBU10(43年式川崎重工)

京阪バスではリヤエンジン車のいすゞは珍しかった。
(50-3-2 浜大津)

滋2い2762/ふそうMR470(42年式クレハ)

後部の窓が独立窓から連続窓に替わって間もない頃の車両で、後部の形状から「クレハの丸型」と呼ばれていた。
(51-3-23 浜大津)

滋22か 379/ふそうMR480(40年式クレハ)

前述の38年式の代替のため門真支所から転属してきた車長の短い車両。元の登録番号は「大阪2あ 126」である。
(50-1-1 浜大津)

滋22か 381/ふそうMR470(40年式三菱)

中1扉のツーマン車で比叡山線で使用されていた。座席は定期観光車と同じであったため、春、秋の休日には定期観光で使用されることもあった。「滋22」の登録番号は京都営業所からの転属車のためで、元は「京2い1268」であった。
(50-1-1 浜大津)

〔近江バス〕
滋2い 358/ふそうMAR470(39年式クレハ)

元貸切車に中央に扉を取付け路線車に改造した。エアサスで座席は貸切時代のままのリクライニングシートのため乗り心地は良かった。名神大津より大津駅、浜大津、堅田を経由して琵琶湖大橋を渡り守山駅行で、現在は堅田駅~守山駅間の運行となっている。
(49-12-15 浜大津)

滋2い 427/ふそうMAR470(42年式クレハ)

前中扉のワンマン車で、エアサスであった。
(49-12-15 浜大津)

滋2い2693/ふそうMR470(44年式クレハ)

前後扉のワンマン車で後部扉が引戸である。
(50-3-2 浜大津)

滋2い2864/ふそうMR470(45年式クレハ)

前後扉のワンマン車で後部扉が折り戸である。
(54-11-18 浜大津)

〔滋賀交通〕
水口から栗東インター~大津インター間名神高速道路を走行して浜大津までと、一部の便は自社の自動車教習所まで運行していた。また、水口~京都駅八条口間の運行もあり、大津市内や京都に向かう人にとっては乗換えが無いため便利な存在であったが、マイカーの普及による乗客減により廃止された。

滋2い2838/ふそうMR520(45年式三菱)

滋賀交通は車長の短いMR520が主力であった。
(51-3-23 浜大津)

 滋22か 631/ふそうB805L(43年式三菱)

昭和52年に貸切車に後部扉を設置して路線車に改造した。座席は貸切時代のリクライニングシートのままであった。
(54-11-18 浜大津)

2 thoughts on “昭和40年前後の浜大津界隈(Ⅱ)

  1. 藤本哲男様
    新年あけましておめでとうございます。平成24年の幕開けが浜大津というのも、何か今年の趣味生活を暗示するようです。渡り線の位置はよくわかりました。またその他の写真も大変参考になります。京阪大津支社と京阪タクシーの正面がよくわかり、これも有難いひとコマです。本年もどうぞよろしくお願い致します。

  2. 素晴らしい写真の数々、特にバスについて夢中になって拝見しました。
    今の江若交通で、吊革につかまって、立って乗るなどということがありましょうか!和迩駅行きもほぼ座席が埋まっており、既に湖西線が開通していて、なおかつ人口密度は今より低かったはずなのに、これだけ利用者があったということに驚かされます。今は、黒字路線は全くないそうです。http://www.city.otsu.shiga.jp/www/contents/1299463243247/files/houkokusyo03.pdf

    近江バスの名神大津-守山間の路線は平成初期まではあったような気がします。「引き戸」はイメージにないですね。

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