昭和40年前後の浜大津界隈(3)

西村雅幸氏投稿の2月20日【17859】「浜大津ターミナル復元(その6)」で、京津線の発着番線に関するご質問が寄せられたところ、当日中に特派員さんが写真と共に回答されており、改めてクローバー会の連携と実力を実感した。

特派員さんの写真でご注目いただきたいのは、浜大津駅の看板で、昭和40年代の前半頃まで「京都、大阪、宇治、奈良方面行のりば」となっていたのが「奈良」が「私市」に変更されている点である。大津で「私市」は一般的でないため、「奈良」を外すのであれば「京都、大阪、枚方、宇治」の方がスッキリしたのではないかと思われる。

発着番線関連を含め、あと少し貼り付けたので参考になれば幸いである。

2番線を発車した普通/この時代三条方面の昼間のダイヤは三条~石山寺間急行、三条~浜大津間普通、三条~四宮間普通が各20分間隔で、三条~浜大津間の普通は急行退避がなかったため、三条~
浜大津間は実質1時間に6本運行されていた。(40-1-2)

浜大津東口を発車した石山寺行/303+304
(40-11-4)

浜大津東口を発車した石山寺行/263+264
(41-2-19)

88638との並び 
(43-9-28)

13+14/土産物屋は2件並んでいた。
(41-2-19)

 61
(42-5-13)

昭和40年前後の浜大津界隈(3)」への1件のフィードバック

  1. 藤本様
    新たなアングルの写真をありがとうございます。例の1番線、2番線の件は特派員氏からすぐに回答があり 感激でした。さて貴殿の写真、トップの61号の背景に写っている旅館の広告看板が鮮明で助かります。次の303後追いのコマ、架線柱に作業員が上っていてビックリ。このコマの背景にある貨物ホームに積まれている一升瓶の木箱です。いろんな方の貨物ホームの写った写真には 必ず一升瓶の木箱が山積みされている光景が記録されています。酒、醤油、牛乳といった液体ものは今でこそ紙パックで 大量には段ボール箱詰めと効率的な荷姿ですが、当時はビンか樽、缶しかなく 一升瓶の木箱が当たり前でしたネ。奈良線桃山駅の貨物ホームにも一升瓶の木箱がうずたかく積み上げられていたのを思い出します。年末ともなると正月用の伏見の清酒の出荷がピークとなり、一升瓶を満載したワムの扉には われもの注意の赤札がくくりつけられ、定数一杯のワムを従えたC58が喘ぐようなスピードで発車し 目の前を赤札をヒラヒラさせたワムたちがゆっくり通り過ぎてゆく光景が思い出されます。リンゴはもみがらを詰めた木箱、魚はトロ箱といったように 今ではもう見られなくなった荷姿をなつかしく思い出しています。まさに物流革命ですネ。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

wp-puzzle.com logo

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください