第15日目 3月4日
昆明は2度目の訪問です。前回は10年以上前だったと思いますが、昆明北駅からベトナムまでの国際列車が走っていて、1部区間を乗車して撮影もしました。現在この路線は、貨物輸送に使用され、昆明北駅の前後の石咀から王家營のわずかの距離に客運列車が走行しています。
【メータゲージの湏越鉄道(雲南鉄道)】
中国に唯一残る線路幅1,000㎜、メータゲージの鉄道です。かつてフランスは、ベトナムを中心に植民地化によるインドシナ連邦を成立しました。そして、中国雲南の豊かな資源を輸送するために、1910年3月31日に昆明とハノイ間に鉄道を建設開業をしました。標高差1,937m、最高勾配は31‰、最少半径80m、トンネル数は188を数え、苦難の468キロ(本線)の建設だったそうです。
その後、この鉄路は歴史の波に翻弄されます。1930年代の日中戦争時代は連合国から中国への軍事物品の輸送に利用されました。1940年代には、日本軍のベトナム侵攻から守るために中国は、この鉄路を使っての侵略を防止目的のために中国側のレールを撤去しました。戦後は復旧されましたが、今度はべトナム戦争勃発です。この戦争が終結したと思ったら、支援したベトナムとの戦争が起き、また破壊されました。度重なる戦争による破壊と復旧を繰り返しながら、ようやく1991年に現在に姿に復元されています。ごく最近のことでもあります。
国際列車が走っていた頃は、寝台車も連結していた鉄路でしたが、現在はもう走っていません。旅客列車は、2003年に廃止され、貨物列車のみ運行されています。最近になり、昆明市内に朝夕の区間列車のみが運行されていると知りました。しかし、時刻表には載っていないのです。今、走っているかどうかも分りません。
まだ暗い午前6時半に部屋を出て、北駅に向かう道路に出ますが、Taxiが中々来てくれません。ようやく乗車して、運転手に北駅に行きたいと申しますと、「もう駅はない。列車もない。」と断定されます。それは貴方が知らないいだけだ。とにかく行けと命令して車を走らせました。地図ではそんなに遠くないかなと思っていましたが、地鉄工事中の状況もあって30分以上を要しました。
北駅は現在、雲南鉄路博物館を併設して大通り正面に設置されています。道路は、地下に入りオーバークロスしていますが、運転手さんは駅を無視して過ぎて行きます。それでは駄目だと、また引き返してやっとの思いで到着しました。
着きますと、発車ベルが鳴っていました。手荷物検査を必要としますが、走っていくと検査なしで通してくれました。中国鉄路では発車5分前に改札止めですが、ここは特別扱いなのですね。
▲ 夜明けの7:25に北京北駅を発車しました。 編成は東方紅21型0063+郵便兼荷物車XU30-542+硬座車YZ629+661+664の4両編成です。
とにかくゆっくり走ります。並走する自転車といい勝負です。思い出したように25km/hほどのスピードを出しますが、一瞬です。13分後には、最初の停車駅の黒土凹駅に到着しましたが、約20人が乗車しました。車内は、乗車率約50%です。牛街庄駅手前には、珍しい3線区間がありました。浜大津もきっとこんな感じだったのでしょうね。ただこちらは、線路幅差435㎜もあります。
▲ 7:49、牛街庄駅に到着。ここでも10人ほどが乗車しました。8:17、呈貢駅の到着、30人余り下車しました。8:24に終点王家營駅に到着しました。所要時間は59分でした。
王家營駅構内はヤードになっていて、同じ 東方紅21型が入替作業をしていました。
▲ 今回は、発車間際の乗車でしたので、切符は車内で購入しましたが、復路も車内販売でした。昆明北~王家營は2.4元(約30円)、昆明北~石咀は1.5元(約18円)でした。
パスポートの提示なく買えたのですが、 やはり王家營下車時に公安から提示を求められました。
▲ 復路は、北駅を通り越して、石咀駅までの全線を完乗しました。北駅10:22発で11:02着、40分の乗車でした。
時刻表を探していましたら、見つけました。しかし、2月5日より、列車削減の通達です。
昆明北 16:20(8867次)→16:58 石咀
石咀 17:15(8868次)→17:51 昆明北
この往復が消えています。
鉄ちゃんにとっての見どころは、この路線には1000㎜と1435㎜が平面クロスするポイントです。
終点手前近くで渡りました。急いで走ってでも向かわなければなりませんが、 この列車時刻通りには運転されていなく、14分遅れています。
急いだのですが、発車は定刻11:10に折り返してきたので間に合いませんでした。クロスポイントまで踏切がありましたので、踏切番のおばちゃまに、貨物は来ないのか。いつ来るのかと尋ねてみると、「没有」です。1日1往復しかないと言います。じゃ、これで今日の仕事は終わったのかと聞くと、その通りですとの返事です。
1日2回の遮断機の上げ下ろしだけで一体いくら給料をもらっているのでしょうね。
▲ 近いと思っていたら1時間ちかくかかりました。枕木の上を歩いていて、ふと違うなあと感じたら、エリトリアで見たと同じ鉄製枕木です。この路線、かつては全部鉄製だったのでしょうか?
クロスポイントでは、国鉄線に列車が来ないかと付近の人民に聞きましたが、よく知っていません。通った後はありますので、1日待っていれば来るかも知れませんが、これから雲南鉄路博物館を見にいかねばなりません。
バス停を聞いて向かおうとしたら、運よくTaxiが来ましたので北駅と伝えました。今回は、注文通りに北駅までストレートに行ってくれましたが、やはり列車は走ってないよの連発でした。 Part12 へ続く