こんなん、出てきました。(2) 明延の一円電車

 両親が住んでいた家の物置を片付けていると、あやしいダンボール箱があって、開けてみると40年ほどたった鉄道模型の遺物がありました。このときはこのダンボール箱を発掘調査をせずに、次の日に発掘調査をおこなったのであります。すると模型の遺物だけでなくカラースライドの入った箱があり、調べてみると高校生の時に撮った写真がありました。中には親父が撮った写真があり、還暦をすぎたおじいが小学生の時の姿が写った写真もあったのです。鉄道の写真では全部を調べていませんが、とりあえず見つかったのは「明延の一円電車」「播但線のC57、C57とDF50の重連、キハ58か28の急行列車」「日中線の列車 喜多方駅と熱塩駅」などです。とりあえず「明延の一円電車」の写真4枚を・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 上の写真をごらんのようにフィルムは退色していましたが、エプソンのスキャナードライバーソフトにある退色復元をおこなうと何とか見られるようになります。ただし、カビとかフィルム表面が傷んでいると、カビの部分が青くなったり、フィルムの傷んだ部分が赤くなったりして、あとは画像処理で修復しないと戻りません。実際にやってみると正倉院の御物の修復みたいで、このような作業も面白いものです。親父も写真が好きで会社の仲間とよく撮影旅行に行っていました。モノクロ写真もありましたが、カラースライド写真も多く、よく家で映写会をしていました。そのときの映写機とスクリーンもまだあります。親父は晩年に撮った写真のほとんどがリバーサルフィルムで撮影してプリントしていました。発色がいいのでしょうか。

 左の写真がスライドフィルムです。紙のマウントを使用しています。これはまだ固定されていますが、はずれているものもありました。これを見ても退色しているのがよくわかります。

 撮影に使ったカメラはペンタックスSPでフィルムは富士フィルムです。さくらフィルムも時々使いました。親父は桜の花や紅葉など華やかな被写体や赤系統の色調の写真はさくらカラーで、新緑の風景など緑系統の色調の写真はフジカラーと使い分けていました。 いま使っているCANON EOS10のフィルムカメラは親父が使っていたものです。ただし、レンズは新しく買ったものを使用しています。

 

 左の写真は当時の切符です。1円の切符は鉱山に勤めている人や家族の人が乗るときに使用する切符で、10円はそれ以外の人が乗るときの切符です。ゴム印で押したもので「明神電車」とあります。裏はなにもありません。

 なぜ、一円電車に乗ったかというと当時は鉄道友の会に入っていて、阪神支部の見学会に参加したためです。友の会の会報も残っています。また、雑誌鉄道ファンにある友の会のページにこのときの様子が書かれてありました。また、発掘調査後、埋め戻したので調べるためには再度発掘調査をしなければいけません。そのうち、また発掘調査をするでしょう。当面は遺物や御物の修復技術の習得に励みたいと思っています。

7 thoughts on “こんなん、出てきました。(2) 明延の一円電車

  1. 明延の1円電車は、昭和44年2月23日、準特急先輩、竹中 修さんと3人で訪れました。前日は加悦鉄道を訪れ、天橋立のユースホステルで泊まり、翌日豊岡、和田山経由で新井まで行き、新井~生野間で撮影後、新井から全但バスで神子畑まで行き、1円電車で明延まで往復しました。乗客は我々の他は5人も乗っていなかったと記憶しています。ほとんどがトンネルで所要時間は20分位だったと思います。時刻表には、神子畑~新井間の全但バス、更に新井からの播但線の時刻が表示されており、播但線の接続を考慮したダイヤになっていました。
    その後、廃止が発表されると、一般人が押しかけるようになり、遂に「一般人は乗車お断り」になってしまいました。
    最近になって明延のイベント時に、保存車が仮設レールを走るようになり、是非行きたいと思っています。
    ちなみに、どですかでんさんの写真は、1番上が神子畑、2番目以降は明延です。

  2. 藤本先輩コメントありがとうございます。
    私は友の会の見学会でしたので観光バスで行きました。一円電車が発車してから到着までトンネルのなかで室内灯もなく完全に車内は真っ暗で乗っている人の話し声と電車の派している音だけ聞こえていたのを記憶しています。何か地底に向かっていくような異様な感じがしたのでよく覚えています。
    この感じを体験するにはかつての紀州鉱山のトロッコで行く湯の口温泉があります。ここも家族旅行で行きましたが宿泊施設の瀞流荘から湯の口温泉までこのトロッコに乗りました。また、行ってみたい所のひとつです。

  3. 図們からぶんしゅうです。
    こういった写真の復元と色校正には、「NIKONキャプチャー」という、優れた画像処理ソフトがあります。NIKONのHPから、30日間?限定仕様で、無料ダウンロードが出来ます。
    買えば15,000円前後ですが、その前に一度試してみてください。気に入ると思いますよ。

  4. ぶんしゅうさん、未だ中国にいるのですか。もう凱旋しているのかと思い今夜あたり帰朝報告会を「こうた里」でやろうかいな、と思っていたのですが、電話しても不通のようですな。先日の3人に加え、マルーン氏も長天経由で参加するとの事、JR京都線、神戸線を問わず貴兄の元気な頭を愛でて活力を欲しいと念じています。
    関東の定着場は都庁地下のようですが、こちらは餃子定食ならぬ里作りしよう。

  5. ぶんしゅうさん はるばる中国大陸からコメントありがとうございます。
    NIKONのHPで見ると試用期間が60日となっていました。いまはPhotshop Element6を使用しています。修正するときに思っているように出来ないことがあるので一度試して見ます。
    なお、例によって片付けているとぶんしゅうさんと2ショットの写真がでてきました。
    あのころ、みんな若かった・・・。

  6. 懐かしい電車の写真を拝見できて大変有難うございました。私は昭和30年代の明延鉱山最盛期の頃、神子畑に住んでいました。明延の従兄弟の家に電車に乗って遊びに行っていました。
    4枚目の写真に写っている建物に電車の待合室がありました。一円電車は私にとっては日常の暮らしの一部でした。
     私が乗っていたころは機関車にはパンタグラフはついておらず、鉱員が乗って棒の先の集電ローラーを操作していました。 当時明延にも神子畑にも沢山の人が住んでいて、大変賑わっていましたが、今はもう昔のことになってしまいました。

  7. 竹中 淑様 
    投稿の写真を見て、神子畑に住んでおられた時のことを懐かしんで頂けたことをうれしく思います。これらの写真は高校生の時ですのではっきりとわかりませんが今から45年ほど前だと思います。一枚目の写真はいまからこの列車?に乗る前に撮ったものですが、すぐにトンネルに入ると客車の中は電気がなく、本当に完全に真っ暗でした。ゴロゴロと走る音しか聞こえない、なんとも言えない感じであったことを覚えています。

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