保存蒸機とその現役時代(4)

関西本線加茂駅は愛称大和路線の終点でこれから先亀山側は非電化区間でキハ120が1~2両で走るローカル線である。うっかりしていたが、ここは京都府であり、関西本線が京都府を走るイメージは頭になかった。不勉強であったと反省している。その京都府木津川市立加茂小学校にC5756が保存されていることを知り、会ってきたので報告する。場所は駅から木津、奈良方面に向かって7~8分歩いたところに屋根付きで保存されている。小学校の校庭ではなく関西本線の線路際である。しかし、学校の横であることは間違いなく、小学生の歌声が校舎のどこからか聞こえてきて随分昔の幼き頃を思い出した。たまにはこういう旅もいいものである。C5756は新製後糸崎、高崎等の配置を経て戦後は奈良を始め当時の天王寺鉄道管理局管内で活躍した。従って加茂小学校に保存されていることはこの機関車にとっても幸せなことであろう。

2013.5.9  C5756 赤ナンバーで保存状態も良好であった。煙突が本来の姿より短く感じたが、集煙装置を装備していたのかもしれない。↓

s-13.5.9加茂C5756

同機のナンバープレート 保存機では盗難予防のためか本物でないものが多く製造番号まで表示されている例は少ない。↓

s-13.5.9C5756NOプレート

小学生を意識した説明板であるが、昭和12年生まれとありプレートには昭和13年とある。交友社発行のSLNo3では昭和13年4月30日三菱製造製番1920とある。どれが正解なのかよくわからない。プレートが正解と思うが。↓

s-13.5.9C5756説明板

 

さて現役時代であるが、これは1964年8月15日和歌山方面に出かけた時に天王寺駅で撮影した203列車東京発湊町行き急行「大和」を牽引して到着した奈良区所属の同機である。加太峠の存在を知らない時代で気楽に駅撮りした記録である。真夏で暑いので窓を開けざるを得なかった時代の汽車旅であるが、煤が入ってきても最高の旅を味わえた。見えている客車はスハフ42でウイングバネのズシンズシンという重量感あふれる台車音と上下振動が心地よく、スハ43系のファンは多かった。加太会を始め急行「大和」の蒸機時代の写真をお持ちの方の発表を期待したい。私の加太走行の「大和」はDF50になってからの姿しかない。

s-64.8.15天王寺C5756大和

番号がわかるようにもう少し機関車に近づいたのがこの写真。関西地区のC57はドームの後ろに重油タンクを付けているタイプが多かったが、全体にきれいであった。↓

s-64.8.15天王寺C5756

保存蒸機とその現役時代(4)」への4件のフィードバック

  1. 準特急さま
    加茂までわざわざお出ましになったのですか。C5756は昭和13年4月川崎車両製、製番1920でプレートのとおりです。昭和46年5月4日付けで紀伊田辺区で廃車となっていますから、同じ天鉄局管内とは言え、加茂まで運んで来たのでしょう。廃車から40余年を経ているにもかかわらず、屋根の下ですが塗装の状態も良いのは定期的にメンテされているものと思われます。子供たちのそばでまた関西線の線路のそばで余生を送れる幸せなカマですね。先日小樽手宮の多くの保存車両を見てきましたが、大半が雨ざらしで傷みがひどくガッカリでした。私も各地の保存車両を写していますが、草ボウボウのなかの錆だらけの車両は見るにたえません。さらしものにするぐらいならさっさと葬ってくれとの声が聞こえてくるようで つらいものがあります。ところで準特急先輩のように現役時代との対比ができる保存蒸機となると 私は梅小路にいるC622ぐらいのものでしょうか。このシリーズの引き続きのご投稿を楽しみにしています。

  2. 西村雅幸様
    C5756が紀伊田辺区が最後なら僚機C577がイベントで上京した時に見た低い煙突と同じで、多分集煙装置を装備した時に改造したのでしょう。背の低い私がさらに低い位置から撮ったため煙突の低さがこれではわかりにくいですね。
    西村さんの北海道旅行に刺激を受けて私も先週小樽総合博物館に行ってきました。展示車両のほとんどが傷んでいましたね。最近保存蒸機を撮り始めましたが、屋根の有無、メンテの状態、特に訪問時に塗装が行われた時期からどれくらい時間が過ぎたかによって差があるようです。早速のコメント有難うございました。

  3. はじめまして。
    模型の関係でC57一次形の形態について調べていたところ、たまたまこのページに遭遇しました。
    実は私、旧加茂町役場でその説明板の設置に関わった者です(ただし、町職員ではありません。「ちょっとした縁で」と申し上げておきます)。製造年について、プレートと説明板の相違が問題になっているようですので、事情を知る者として、ひと言書いておいた方がいいかな、と考えた次第です。

    あの説明板については、加茂町教育委員会の学校教育課が設置主体でした。学校横で、毎日多数の小学生が通る道です。子供たちにも由来をわかってもらえるものを設置しようという事となり、当初は町内にお住まいの元国鉄職員のかたに説明文を依頼していました。
    ところが、書きあがった内容があまりに専門的過ぎて(また、分量も多く)、教育委員会のほうでは「これでは小学生(とくに低学年)に伝わらないのではないか?」と思われたようです。
    そこで、教委の担当者さんと知り合いだった私のところにお鉢が回り、「機関車を擬人化して、子供たちに語りかけるような目線で書けんかな?」という依頼があった…というのが真相です。

    たしかに、私がいただいた説明文原案は、C57の諸元や性能が細かく記されていて、履歴についても、所属区や牽引列車などについてかなり詳しく説明がありました。それはそれで、元国鉄職員としてかつての地元エース機を「どうだ?こいつすげーヤツだろ?」と誇るような空気が感じられ、とてもよかったのですが、小学生だけでなく、いわゆる「鉄分」のない人たちには、このあたりのニュアンスは理解出来ないだろうなぁ、と思いました。
    当時の私には配置履歴などを調べる能力がありませんでしたので、原文のうち、製造年や「奈良区に属して、この横の線路を走っていた事がある」という部分はそのまま信頼させていただいて、あとは子供にわかりやすく、内容もスリムにして書き直す、という方針になりました。
    という事で、疑問の上がっている「生まれ年」についても、職員さんの原文にあったままです。当該元職員さんは、おそらく現役当時からこのカマをご存知の世代のかたですし(ひょっとしたら、関西線に最後までいたD51ではなくこのカマをわざわざ持ってきた事にも、町内在住の元職員さんたちが一定の働きをされたのかも知れません)、保存後の整備にもかかわっておられたはずです。としたら、「12年」という記載は単なる勘違いなどではなく、何らかの根拠を持って書かれたものであろうと思います。
    私の今の解釈としては… 製造銘板は実際に竣工した年ですが、13年4月という事であれば、おそらく予算措置は前年度でしょう。この元職員さんは「○年度予算車」というほうを重視して「12年」とされたのではないかなぁ、と想像しています。

    私はあくまで町教委の担当者さんから個人的に「子供たちにわかりやすく直して」という範囲で依頼された立場だったため、そのあたりにまで立ち入って調べ直したり、元職員さんに直接確認取材したり、が出来ませんでした。今となっては、きちんとした「業務」にしてもらって、もう少ししっかり詰めておいてもよかったかなぁ、と思います。

    なお、説明板には保存年だけで、説明板の設置年がありませんが、私が加茂町にかかわった時期から言うと、1990~91年ごろではなかったかと思います。

    以上、昔ばなしですが、ご参考になりましたら。

  4. 樋口 肇様
    有難うございます。模型をおやりで鉄道がお好きなことがよくわかります。保存場所が線路横の通学路であり説明板も小学生向きにするように苦労されたこのような話を始めて知ることができました。製造年につきましては丁度年度替わりの頃であったのかしれませんね。保存機関車につきましては雨ざらしで見るのも惨めな姿も沢山ありますがここは綺麗に保存されていたことを思い出します。なお、この機関車は急行「大和」を牽引したことで有名ですが、当会の先輩で同急行列車を深夜の名古屋から湊町まで何回かに分けて動画撮影をされた方が居られます。当会も京都を中心にこのような活動報告をしておりますので今後ともどうぞよろしくお願い致します。

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