方言

特急「つばめ」や「はと」の頃、東京と大阪を同時に出発した列車は浜名湖の鉄橋あたりですれ違ったと聞いたことがある。在来線の同区間は556.4Kmでその半分278.2Kmは鷲津と新所原の中間になる。中間地点よりやや東京寄りの浜名湖の鉄橋ですれ違ったとすれば、西側に勾配区間があることと停車駅の数の影響があったものと思われる。新幹線はどこですれ違っているのであろうか。

2010.9.1新居町~弁天島の浜名湖橋梁を行く豊橋行き117系とそれを追い抜く新幹線↓

s-10 09 01新居町937M

私は現在東海道五十三次徒歩の旅を続けている。これをやっていると青春18切符の早いこと、安いこと、便利なことを痛感する。さて、その徒歩の旅であるが、先日、新居と二川の間にある白須賀宿にある休憩所で地元の古老と話す機会があった。以前から興味のあった各地の方言についてこのあたりは大きく分けて関東系と関西系の言葉のかわるところではないかと思って訊いてみた。答えははっきりしなかったが、舞坂宿と新居宿の間の東海道は渡船で渡ったとのことで、多分この付近で日常の往来が途切れていたのではないかということであった。また、二川の古老は言葉は浜松に近いが買い物は豊橋であるとのこと。言葉にも山頂というものがあるような気がするが、交通が発達した現在は山頂の両側の往来が頻繁となり、さらに全国的に同じ言葉になってきたような気もする。豊橋に来ると名鉄沿線になるので名古屋弁と思っていたが、岡崎あたりは三河弁という。三河弁がどういうものかよくわからないが、名古屋とは違った言葉があるのであろう。関東でも横浜の「〇〇じゃん」と山梨の「〇〇ずら」は有名であるが全体的には関東系の言葉の範疇と私は思っている。同じ日本語でも例えば「雨が降ってきた」は関東は「あ」にアクセントがあり、関西は「め」にあり、「降ってきた」もアクセントが違うので同じことを言っても東西どちらの人間かはすぐわかる。私は個人的には名古屋弁は東西どちらとも異なる方言と思うが、テレビなどで街頭インタビューなどを聴くと名古屋の人は標準語に近い感じがする。関東のうどんは真っ黒けの汁であるが、きしめんの汁はどうであっただろう。名古屋弁は大垣までは続くが関西弁が出てくるのはどのあたりかこれも興味がある。個人的には関ヶ原か柏原あたりと思う。

 

天下分け目の古戦場をバックに走るEF5852[浜松]上り小荷物列車 1980.9.15     このあたりが関西弁と名古屋弁の分け目と思う↓

s-80.9.15関ヶ原EF5852[浜]

美濃地方も名古屋弁の範疇と思うが、東濃地方中津川を越えて木曽路に入ると名古屋弁は消えて長野県の言葉になると思う。長野は関東系の言葉の範疇に入る様な気がする。

2010.9.9 中央本線坂下付近を行く「ワイドビューしなの15号」クロ383-9 このあたりは一部長野県から岐阜県に編入された地区があるという。↓

s-10.9.9坂下WVしなの15号

名古屋から近鉄に乗ると意外と早い時間から関西弁が混じるようであるが、実際分け目がどのあたりにあるのか三重県はどうもよくわからない。京都と大阪、さらに神戸は言葉が微妙に違うが、全体的には同じアクセントの関西弁である。これが結構広く近畿一円に使われていて、さらに私は四国全土が関西系のアクセントであると思う。兵庫県の隣県である岡山、鳥取や広島等の中国地方各県はそれぞれの言葉があり、陸続きでない四国が関西弁とほぼ同じアクセントなのは過去の歴史的つながりでもあったのか興味深い。もう一つ北陸地方の言葉の特徴がよく理解できていない。最近はここも標準語に近いのではないかと思う。福井出身のマルーン氏にうかがったら柳ケ瀬(岐阜ではない)あたりで言葉が違うようなことを言われたが、よくわかったのは小浜地域が関西特に京都などの影響を受けているとのことであった。

このあたりが言葉の分け目かそれとも錯綜するあたりか                    2012.1.4 小浜に近い十村~大鳥羽を行く小浜線928M小浜行きクモハ125↓

s-12.1.4十村~大鳥羽928Mクモハ125

九州は大河ドラマでよく聞く薩摩言葉と熊本の「ばってん」「肥後もっこす」などが有名である。佐賀、長崎も大きく見て熊本と同じ言葉のように思う。福岡はこれまた北九州独特の言葉があると思うが今は標準語に近いような気がする。竹田に友人がいるが大分は関西の影響があるという。そうであるなら豊肥本線宮地を出て阿蘇の外輪山を越える滝水~豊後荻が言葉の分け目である。

阿蘇の火口原は完全に熊本弁の世界なので、これから大分方面に25~30Km行った県境を超えると言葉がかわるはずである。2010.11.17 豊肥本線内牧~市ノ川 肥後大津行き434Dキハ40-2039+キハ147-61↓

s-10.11.17内牧434D

話を北に向けよう。白河の関、勿来の関を超えると東北と言われるが、私は東北的な言葉は利根川を超えると始まると思っている。人によっては荒川を超えると言葉が違うという。茨城・栃木は関東地方であるが独特の訛りがある。みんなの党の渡邊喜美氏やその父親である故渡邊美智雄氏、古い人なら知っているかもしれないが東京ボン太というコメディアンが居たがこの人たちは栃木弁である。福島に入るとこの間まで衆議院議員であった渡部恒三氏は会津弁である。政治の世界でも標準語を使う人がほとんどで渡部氏あたりは個性的な言葉づかいの最後の人の様に思う。残念である。

関東鉄道常総線でもよく聴くと訛りを感じることができる。守谷はつくばEXPが接続する東京のベッドタウンではあるが沿線の古くからの人は地元の訛りがある。           2010.4.4新守谷2301+2302↓

s-10.4.4新守谷

「故郷の訛り懐かし停車場の人ごみの中にそを聞きに行く」(石川啄木)

上野駅は東北等の玄関口で井沢八郎の「ああ上野駅」など歌の舞台にもなったが最近は新幹線も東京発着となり段々と影が薄くなってきた。

上野駅到着の青森発奥羽本線経由上野行き406列車「津軽4号」EF5884[宇都宮]と右に見えるのは青森発常磐線経由上野行き6206列車「十和田6号」EF8019[田端]    1980.8.2 上野

s-80.8.2上野EF5884津軽4号

東北本線も黒磯を超えると交流区間に入りいよいよ東北に入ったと感じたものである。列車は上りカシオペアで逆にいよいよ東北も終わりで関東圏が近いと感じるあたりである。  2011.8.7泉崎~矢吹を行くEF510牽引8010列車札幌発上野行き「カシオペア」↓

s-11.8.7泉崎~矢吹8010レEF510

昔、奥羽本線で聞いた地元の人の津軽弁はさっぱり聴き取れなかった。今は訛りが多少あってもそういうことはほとんどない。鰺ヶ沢出身で元小結の舞の海秀平氏は実に歯切れの良い解説でそんじょそこいらのニュースキャスターよりもずっと聞きやすい。

ストーブ列車を撮りに行ったらディーゼル機関車の故障で御覧の通りの編成となった。2013.1.27津軽鉄道嘉瀬~毘沙門155列車 21-104+オハ462+オハフ331+21-102↓

s-13.1.27嘉瀬~毘沙門155レ

最後に北海道であるが東北や北陸等から開拓で渡った人が多いと聞く。札幌に1年住んでみただけでわかるはずはないが確かに北海道特有の喋り方があることは感じた。ただ、札幌のみならず日本全国同じような風景、言葉になってきたような感じで旅の味が薄れてきたのは事実である。駅前には全国チェーンのコンビニがあり、家電や量販店も同じようなチェーン店でどこも同じ風景である。便利ではあるが何か寂しい。京都が人気があるのは他の大都市にはない日本的なものが多くあるからだ。東海道徒歩の旅が面白いのは今に残る江戸時代の街並み、街道の松並木など見所が多いからである。効率化に逆行するかも知れないが、各地域もっと個性を持って欲しい。言葉もそうである。

 

方言」への18件のフィードバック

  1. 準特急様

    貴殿の方言考、楽しく読ませていただきました。
    小生も方言には興味があり、貴殿と同じ様にその変換地点/境界地点についての興味は一入です。

    しかし、仰るように昨今ではメディアが発達したのに加えて交通手段の発達もめざましく、勢い標準語(差別にこだわる最近では『共通語』と称するようになっているようですが。)が各地に流布されるようになって、古き良き時代にあった地方の『味』が無くなって来ているように思います。

    かく言う小生も元々は京阪神を又にかけた関西人で、約50年前に東京に帰化せざるを得なかった身だった事からスッカリ標準語(小生のは東京弁とのごちゃ混ぜ)になってしまった気がします。(あくまでも『気がする』)
    もっとも小生の場合、高校時代に放送部で標準語のアクセントやイントネーションの練習を積んだので適応が早かったのかも知れません。

    ただ、こちらで聞く関西人の喋る関東弁はアクセントとイントネーションがケッサクそのもので、関西訛りがそのままの『○○しちゃった。』には吹き出す事もあり、『無理に使わなくても』と思う事がしばしばあります。

    とは言え、ここ首都圏を中心とした『東京』では関西人に対する偏見は相当なもので、『がめつい』『ケチ』『厚かましい』『柄が悪い』『声が中国人並みに大きい』と散々ですので、ここ東京では標準語への同化は必須かも知れません。

    この関西人に対する偏見は、多分に吉本などの大阪芸人が悪影響しているとしか思えません。

    何か『鉄』とは関係の無い御託を並べてしまいました。

  2. 河 昭一郎様
    早速のコメント有難うございます。デジ青でも国電、阪急電車、京都市電等々で適切なコメントをいただき私にとっても懐かしく、また、新しい発見があり、大変楽しみにしております。私は河様同様阪神間で育ち、京都で4年間過ごした後、東京で暮らしており、河様と同様の感じを持っております。関西訛りの東京弁はよく聞きます。日本全国方言がかなり消え失せた中で関西に行った時に普通に聞こえる関西弁は何かホッとするものがあります。関西での車掌のアナウンスや百貨店、ホテルの接客担当者は標準語ですが、個人的に話かけると関西弁で返ってくることが多くこれまたホッとします。これは私が関西育ちであるからかもしれません。関西の人は標準語を喋る人も多く、二刀流が使える人も多い様に感じます。関西出のアナウンサーや俳優などはほとんどそうだと思います。ところが、関西以外の人の関西弁はほとんど駄目です。カラオケで「そりゃーわいはあほや、今にみてみい」というセリフがありますが、「あほ」の「あ」にアクセントがくるのです。プロと言われる俳優で関西以外で育った人は関西弁のセリフが下手な人が多いようです。そういう意味では大河ドラマで使われている会津弁や薩摩弁は何もわかっていない私などは会津や薩摩の言葉そのものと思って聞いておりますが、現地の人はどう思っているのでしょうか。興味のあるところです。言いたかったことは日本全国、否、海外も含めてよく旅行に出かけてきましたが、感激が薄らいでいるということです。金太郎飴になっているのです。地方の駅や空港に降り立つと看板などに見られる名所旧跡や地元の祭り・行事等に加えて地元の言葉による歓迎を表す文字がみられますが、これなど個性化の第一歩と思います。しかし、もっと地元ならではのオリジナルなものを残してもらいたいのです。だからこそ地元の言葉が聞きたいのですが若い人は皆標準語で画一化されており興醒めします。世の中便利になっていいことですが、不便であった時代を懐かしく感じるのは歳のせいでしょうか。

  3. 準特急さま

    不本意ながら関東にやってきて、27年のデカンショまつり号です。
    ちょうど大学時代に「青春18のびのびきっぷ」が発売され、当時893-2氏とともに何度も普通電車で、東京・大阪間を往復しました。その際、感じたのですが、「うどん」の汁は、関ケ原が分水嶺でした。米原駅のホームのうどんは、関西風の透明なもの。次に駅のホームにうどん・そば屋ある大垣駅のうどんは、真っ黒でした。ただ、名古屋駅のきしめんは、透明だったような記憶があります。

    方言の思い出といえば、不本意の東京勤務で、週末の金曜日仕事を終えて、新大阪行のひかりに飛び乗ったとき、いろんなところから聞こえてくる関西弁が涙が出るほど懐かしかったというものがあります。あれから四半世紀以上経ちましたが、今でも我が家の公用語は関西弁です。
    ところで、蛇足ながら、テレビなどで、関西弁風のイントネーションの標準語を話す人を見つけると嫁と「この人は、関西人だ。」と言い合っています。ものの見事に当たります。

  4. デカンショまつり号さん 久しぶりです。情報有難うございます。
    赤羽だったと思いますが立ち食いうどんの店で「関東風にしますか関西風にしますか」と言われたことがあります。名古屋のきしめんは立ち食いうどんの店としては個性派なのでしょうね。福岡に行ってラーメンを食べに行くと中洲の屋台でなくてもまずとんこつ系です。昔、同志社の新町校舎のトイレでしゃがんでいた時に外から「くそだわけ」とか聞こえてきましたが、あー名古屋の人間だとわかりました。名古屋の市長がドランゴンズの帽子をかぶってよく名古屋弁で喋っていますが、主義・主張は別として会津の渡部恒三氏と同じようなものを感じました。九州や東北に行く長距離列車は長い間走っているうちに車内では段々とその地域の言葉が飛び交ったものです。不便でしたが前のお客からみかんをもらったり会話がはずんでお別れが名残惜しいようなこともありました。そういえば、デカンショさんと台湾で台風の影響で列車が運休し、仕方なく乗った花蓮~台東のバスで途中から乗ってきたおばさんも娘が千葉や茨城の牛久に居ると随分長いこと喋ってくれました。面倒なこともありますが、車内で地元の人やタクシーの運転手等から生の声を聞くのも旅の思い出の一つだと思います。因みにデカンショさんの所と違いうちの嫁は関東なのでいつも「大阪は一地方だ」と言っています。

  5. 準特急様

    関西弁を聞くとほっとする件、全く同感です。
    定年退職後、アルバイト等の仕事からも解放された2008年から毎年京都を訪れるのが楽しみで、ただただ『関西弁の中に居る』事自体が楽しくて仕方がありません。
    特に女性の関西弁・・・中でも京都で聞く『○○どすえ』などの職業色の濃い言葉とは違う普通の女性が使う京都弁(は別)にはクラクラです。(笑)

    ただし、歯切れのよい?関東弁に『毒された』小生には、男の関西弁はテンポが遅く、それだけ優しい感じがするのが不思議です。

    関西人以外の人の関西弁ですが、これは又どうにも『むず痒い』もので、聞くに堪えない事が多々あります。
    かつて関西在住時にはテレビ番組で使われるニセ関西弁に辟易し、時のサンケイ新聞に『正しい関西弁を使って下さい』と投稿し掲載されたこともあります。

    また、薄味の関西と味の濃い関東の話は有名で、うどんの関東風と関西風もよく聞きますね。
    ただし、小生は味に関しては無頓着な人間で、特に意識することもなく関東味に取り込まれてしまっております。

    ところで、我家には娘2人がおり、前記の通り女性の関西弁が好きな小生は、是非関西弁を仕込んでやろうと2人が小さい頃には頑張りましたが、当地で得た縁の女房による『妨害』もあり結局徒労に終わりました。(笑)

  6. このコメントの直前のコメントに誤りがありますので、訂正致します。
    『・・・普通の女性が使う京都弁(は別)にはクラクラです。(笑)』のクダリにある『(は別)』を削除し忘れました。

  7. 老人は佐賀県鳥栖生まれだが、たまたま転勤族の親父が赴任中出生した(著しい未熟児だった)だけの話で、仙台を北限に各地を転々としている。現在と違って「標準語」は地方では機能せず、苛めに会いたくなければ、少しでも早く現地語と習慣を覚える必要があり、転勤族の子弟は自営上自然に体得するのである。当時苛めで不登校なんて話は聞かなかった。
    仙台での2年半の経験は別の機会に譲るが、仙台から名古屋に越し、古新国民学校初等科に登校した初日、教師が「たわけ者奴!」と一喝したのには心底驚いた。「黙れと言ったら分からぬか!」たしかに古い言葉がいっぱい残っている。同志社でも名古屋出身者が、別れ際に「御無礼します」と言っていたのを思い出す。
    名古屋の次が疎開での福井、そして敗戦後京都は山科に。当時山科は東山区だったが、東山以西の「旧京都市内」に行くのは「京都に行ってくる」。山科は京都ではないのである。電車通学したい一心で、無理して上京中学校に越境入学したが、山科とも言葉が微妙に違った。山科は全くの田舎だったのである。
    トコトン不勉強がたたって食い詰めた結果就職は神戸に。ここでも言葉の違いとニュアンスの差を体験するが、何分幼少のころから転々として鍛えられているから、抵抗力はあると自負している。

  8. こんな話は大好きです。須磨が幼いときの体験を述べられたので乙訓も少々。9月、孫たちの夏休み宿題展を見に行きました。女の子が「京ことばを集めました」のタイトルで一覧表を作成していました。中には京都人でも特殊なお方(祇園ことば?)の常用語が混在しており噴出しました。京都市内といってもごく一部の方の常用言葉が普及すると、その地の言葉になるのですね。大阪言葉の一つ、摂津弁の中でも「船場」は特別な単語と言い回し方があるそうです。例えば「こいさん」、織田作之助の作品ではその使い方が絶妙であると言われ、その代表作が「夫婦ぜんざい」で、淡島千景が見事に使い分け演じたと言われています。今売れっ子の夫婦漫才師の河内弁、あちこちの河内言葉が混在しているように思われます。北河内、中河内、南河内と川を境として大別され、その中でそこだけしか本来通用しない言葉が大阪弁に入れられ、映画や漫才で日本全国に広まってしまい本来、大阪弁の中心的な存在であった摂津弁が何処へやらに行ってしまったと、嘆いている【大阪のおばちゃん】もいらっしゃるようです。
    老人が富山で生活していた時、神通川を境として富山弁は見事に分かれていました。富山市中心は城下言葉、高岡市中心は出城だから田舎言葉と言われ、「オキさん、覚えるなら富山弁覚えた方がよい」と言われましたが、生活の基盤であった呉西弁(呉羽山の西地区)の修得に専念しました。今でも思い出すいくつかがありますが、ダラ、メンコイタータ(ぶんしゅう氏なら頻発だ)、アンマ、ヘシコイ、ヘシナイ、マエドハヤなど、時に口から出るものがあります。「おらっちゃ(私)」は頻発しましたので、旦那と須磨に呼びかけの時によく使われました。また、越前、越中は語尾を引っ張り話しますが、その引っ張り方が越前と越後では違いあると、須磨は言っていました。
    夜行普通列車で、目が覚めたらおっちゃん、おばあが聞きなれない言葉で話しており、耳をそばだてたものです。「おくに言葉」は田舎(父母の出生地)へ行くと今も使います。それで親類、地区の人達との一体感が生まれ、酒は一段と旨味が増すのです。

  9. おもしろい記事ですね!
    鉄道趣味とは、こんな派生型も範疇に入るのですね。
    関西弁での思い出と言えば、卒業して東京・日本橋の会社に努めましたが、営業で得意先を訪問したとき、真っ先に「関西の人間かい?関西人は信用できないから来なくていいよ」と言われてショックを受けました。必死にアクセントを直しましたが、先輩に茨城訛や栃木訛の人がいても問題視されず、なんで関西だけが、と悩みました。どうやら東京人からすれば栃木、福島、茨城などは気にならない(属国扱い)ようで、関西はライバルとして対抗心があったように理解しました。
    食べ物でおいしいと思ったものは三つあります。
    一つは、にぎり寿司。二つ目は鰻、三つ目はてんぷら。特に天ぷらは、サラダオイルで揚げたエビの関西風ではなく、ごま油でこんがり揚げた江戸前のキスや穴子と野菜がのった天重(天丼ではなく)が25000円の月給で食べられる至高のごちそうでした。

  10. 方言の話はほんとうにおもしろいです。方言で思い出すのは探偵ナイトスクープ(関西地区では本日放送があります。)でアホとバカの境目の調査依頼から当時の探偵であった北野誠探偵が調査をしたのであるが、中途半端に終わったのでさらに調査が続いたのでした。そして全国の視聴者からアホとバカに関する情報が寄せられました。ちょうど今回も同じように方言についていろいろな話が展開されるのは興味深いものです。これをこの番組のプロデューサーである松本修さんが「全国アホバカ分布考 はるかなる言葉の旅路」という本にまとめられました。新潮文庫になっているようです。最初はアホとバカの境目については準特急さんも東から来て関西弁が出てくるところを関が原辺りと書かれていましたが、同じように関が原辺りがアホとバカの境目だと当時の北野探偵は結論付けしていました。しかし、愛知県にはいると「タワケ」という言葉が出てきて、この結論が怪しくなっていました。全国調査の結果は松本修氏が書かれた本に書かれています。一度読んでみることをおすすめします。私も富山に8年と6ヶ月ほど単身赴任で生活をしていて富山弁に囲まれていましたので、ついに家に帰って話をしている時に富山弁が知らずにしゃべっていることに気がついてびっくりしました。岡山の人と仕事をしている時もつられて、岡山弁が出てしまった事がありました。どうも、脳細胞が影響を受けやすいようです。ところで、富山弁でたとえば「歳をとったちゃ」というように最後に「ちゃ」とつけるのは大分県でも最後に「ちゃ」をつけて話すのを大分出身の人から聞きました。また、島根県を舞台にした朝ドラで「だんだん」は島根弁でありがとうという意味だそうです。そして「坂の上の雲」秋山兄弟がありがとうという意味で「だんだん」と言ってました。なぜ、このような方言があるのでしょうか?それは「全国アホバカ分布考」に。方言って、ほんとうにおもしろいですね!

  11. 最初にお断りしておきますが、老人の息子の身辺の話です。息子は只今43歳です。建材メーカーの営業マンです。23歳で就職し、関東地区に配置され埼玉、横浜、東京営業所と渡り歩き、この10月から水戸営業所に転勤となりました。彼の結婚式で最初の任務先の女子社員にどんな生活をしているか聞いてみました。関西弁丸出しでとても朗らかで、出先から返ってくると第一声が「腹減った」だそうです。正直で好感が持てますと言ってくれました。お得意先の社員、えらいさんも招待しておりましたので、その方たちにも評判を探ってみました。女性は「お見えになると大声で、毎度!と元気な声でいらしゃるので、電話機を抱えて机の下にもぐりこみます」、また営業相手のおえらいさん(店主)は、「かけ引きなしのこの値でどうだっか!」と言ったらそれ以上は引かない正直ぶりがが気に入った。こんな話をしてくれまして安堵しました。これは河さん、米手作市さんの話とは違う話ですね。私は息子が関西弁を振りかざし関東弁に向かい、打ち勝っていると、今は関西弁も一人前扱いしてもらっていると感じ、結婚式での父親からの挨拶では「気候も風土も違う関東に配属され関西弁だけで商売させてもらっていますが、暖かいお心に囲まれており安心しました。今後ともよろしくお願いします」と挨拶しました。河さんが関東に転居され半世紀、
    その後を追うようにして米手作市君お東京生活、今では漫才ブームで関西弁を関東、特に東京でも大手を振れるようになったのだと思います。河さんの言われた東京のお方の関西人への偏見は関西弁を理解せずに、本音のところを取り違えているのではないでしょうか。アホ、バカもそうです。関東漫才がくどいのに対し、大阪漫才は「お前アホか」で次に進む、これですわ。これ以上語ると、年よりはくどい!与太話はええ加減にせい!と言われますので、ほな、さいなら。

  12. 長老様の分析が正解でしょうね。
    私が東京の地を踏んだのが昭和43年3月、ご子息が就職されたのはもっと後でしょう。
    私と一緒に勤めていた中に堺出身の男がいて、寮に帰ってきては「池袋に関西風のうどんを出す店がある」とか「新宿にお好み焼きを売っている店を見つけた」と話題になる時代でした。テレビも大阪発の番組など全くありませんでした。
    半世紀が過ぎて文化も大きく変わりました。

  13. 息子が埼玉県上尾市の南関東営業所に赴任したのは1993年・平成5年・昭和68?年でありました。以来関東住まい。本人は関西に帰るあてなしといっております。嫁さんも関東人(柏)、おかんは東京に取られたといって嘆いております。親父は地獄や極楽に転勤ない限り、すめば都のつもりで世界中転勤で世間勉強して来いと、けしかけてますが、どうなるkとやら……

  14. 河 昭一郎です。

    興味ある話題に惹かれて、又々首を突っ込む厚かましさをお許し下さい。

    準特急さんの『鉄写真』を題材に方言をテーマとした論文だったのに、勝手に『関西弁と関東弁』に話をすり替えて脱線させてしまい、申し訳ありません。

    言葉、味と来ると次は『気質でしょ』って訳で脱線ついでに経験談を。
    元々関東人は『見栄っ張り』で、実質本意の関西人とは正反対ですので全てに於いてキザで『エエカッコしい』なところが目に付きます。

    小生も長い間旅行会社の海外部門で働き、航空会社や手配会社をはじめオーガナイザーと言われる海外視察旅行等の主催者とヤリトリしましたが、本音を探り当てるのに苦労した事が数知れません。

    その点では、関西人は正面突破形でサッパリしていて本音をぶつけ合う気がします。

    更に、先に書きました関西人に対する偏見も、本音を隠して綺麗事ばかり言い、なかなか本心を露わさない関東人との付き合いの中で、やっと探り当てた彼等の本音ではなかったかと思っておりますが、或いは小生が被虐的な受け止め方をしているのかもしれません。

    ただ、全て意見には個人差があるので小生の経験談は全体から見ればマイナーなのかも知れませんし、関東人と言っても先住民である純粋の東京人(江戸っ子?)より東北地方を中心に全国各地から吸い寄せられた人々の方が多い東京の事、気質って言っても・・・と言われそうですね。

  15. 皆様

    デカンショまつり号です。

    私も河様と同じ、旅行業界に身を置いております。
    いきなり、入社後、関西人が浅草支店というところに配属されました。

    浅草の方々は、関西弁について、極めておおらかでした。
    営業で回っていると、京都がお好きな方がびっくりするほど多く、京都の大学(京都大学だったらご理解いただけますが、八重の桜の二十数年前なので、同志社をご存じない方も多い状況でした。)に通っていたというと、いろんな京都の話を吹っかけられました。こちらは、宝塚の自宅と京都の往復で、その合間にアルバイトと鉄でしたから、寺社仏閣なんて、まったく興味がなく、チャペルの中も入ったことがない状態でしたが、浅草の方々は、毎年数回京都に行かれる方が多く、私より京都をよくご存じのお客様が多かったです。東京の下町の方々の京都に対する思いは、半端ではありませんでした。特に、これからの季節は・・・

    それにしても、準特急先輩、これだけコメントが付くのは、デジ青掲示板史上最多ではありませんか?

  16. 河 昭一郎様、デカンショまつり号様、湯口 徹様、乙訓の老人様、米手作市様 & どですかでん様

    沢山のコメントをいただき有難うございます。中には夜明け前の午前4時5分に発信された方もおられるようで誠に恐縮致しております。
    「方言」と題してこれまでの旅行を顧みながら全国の方言をザーとかじっただけですが、皆様からの興味ある話や経験談等大変勉強になりました。やはりと言いましょうか東西の方言や気質の違いなどが噴出してまいりました。御覧になっておられる方もそれぞれお考えはおありだと思います。
    私は全国津々浦々がそれぞれもっと個性、オリジナリティを持ってもらいたい、そうでないと面白くないと常々思っております。喋り言葉、食べ物・飲み物、気質等便利な世の中になるにつれそれらが薄れていくような気がします。便利な方がよいことはわかっているのですが、不便であった時代が懐かしいのは何度申し上げましたように歳のせいです。蒸気機関車がモクモク煙をあげて走ってもあの時代は公害がほとんどなかったのでしょう。空は青く、夜は満天の星。列車の中で窓を開けて駅弁を食べても前方から煤やトイレの水滴をかぶったかもしれないが一向に気にならなかった時代。そういう時代に戻ってみたいと思うことがよくあります。イベント蒸機列車では駄目です。
    皆様のお話で方言は山脈や大河等地形的な要因で言葉の分水嶺のようなものがあったということがわかってきましたが、もっと細かい所で微妙に違うということも改めてわかりました。山科の人が京都へ行ってくるという感覚は昔ならわかるような気がします。富山と高岡、呉羽西まではわかりませんが、大分と別府、福岡と博多、岡山と倉敷、長野と松本、新津と新潟と長岡、浜通りと中通りと会津、青森と弘前、小樽と札幌等々研究してみると面白いかもしれませんね。北河内、中河内、南河内と摂津弁という言葉自身は始めて聞きました。こういう話をお聞きしているうちに昔は山脈や大河で人の往来が途切れたから言葉も違うということは当然ですが、ひょっとしたら通り一つ隔てると身分が違うや人種が違うということ等で別世界、別言葉があったのかもしれないと思うようになりました。何れにしましても皆様方の方言に対する深い知識や経験談に触れることができ大変有意義でした。

  17. 準特急様

     小生も、ABC「探偵ナイトスクープ」の「全国アホ。バカ分布考」のことを申し上げようと思いましたが、どですかでんさんから、ご案内があり二番煎じとなりました。当時は相当話題になったことでした。これを機会に新潮文庫を購入しようと思います。

     麺類の出汁についてお話がありましたが、これもテレビネタですが、以前日清の「どん兵衛」の出汁や商品がどこを境に変わるか、取り扱いは?ということを、どん兵衛のMCのスマップの中居が当てていくという番組を見て、おもしろかったことも思い出しました。

     日本の文化は奥行きが広いものですね。この地域差は身近であるからこそ興味がわくのでしょうね。

     故郷福井の言葉は、嶺北(越前)嶺南(若狭)即ち北陸トンネル(木ノ芽峠)で変わります。嶺北でも地域差がありますが、「あのぉー、ほんでぇー、ほうやでぇー、こうなんやってー」を語尾を上げながら、最後は語尾を下げると一応の完成です。イントネーションは韓国ドラマのしゃべり方とそっくりです。私たちの祖先は半島から来ていることが実感されます?!

     嶺南は敦賀はミックス状態、三方、小浜は元阪神の川藤幸三氏のしゃべり方が多いです。高浜、大飯は相当関西ですね。やわらかくなります。京の都と鯖街道で結ばれていたんですものね。

     つまらないことを書いてしまいましたが、いつも素晴らしい記事を有り難うございます。

  18. マルーン様 何か引っ張り出したようで恐縮です。鯖街道で京都と福井地方に人の往来があったことで納得です。入学された頃と比べ、福井訛りが若干あるとはいえ、すっかり大阪弁になられたですね。言葉はミックスと申しましょうか錯綜と申しましょうかそういう地域があることもわかってきました。これだけ交通や通信が発達すると日本全体がミックスになってきているのかもしれません。マルーン様、皆様有難うございました。これにて打ち止めにしたいと思います。

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