フキ500

12月16日【42376】「フロ50形54号」で米手作市様より「フキ」ついてのご質問があったので、私の知る範囲で回答する。

昭和3年1月16日天神橋~高槻町間開業時に電動車20両(101~120)、制御車10両(501~510)の30両が新製された。

昭和3年11月10日より昭和天皇後御大典が京都で執り行われることになり、これに間に合わせるべく同年11月1日高槻町~西院間を開業した。
この時電動車13両(121~133)、制御車11両(511~521)、付随車5両(522~516)と共に貴賓車として付随車500が新製された。

昭和4年6月貴賓用付随車は「フキ」と形式称号が制定され、「フキ500」となった。
京都寄りから随員室、客室扉、貴賓室、洗面所、化粧室、給仕室、給仕室扉と並び、貴賓室には6脚の豪華な1人掛けソファーが並んでいた。

稼働する機会は少なく、昭和24年2月一般車に改造され、貴賓室の大阪寄りに客室扉を増設、貴賓室の窓4個分に固定クロスを設置、その他はロングシートに改造されたが、天井、壁面はそのままであった。

昭和25年4月、神戸、宝塚線車両と車号重複を避けるため1500に改番された。

昭和34年7月車体更新が行われ、座席のロングシート化、天井、内装を他車並みに改装が行われ、貴賓車の面影は広い窓のみとなった。

一般車への改装以降、P-6の中間車として使用されたが、窓の高さがP-6と同じであったため、それほどの違和感はなかった。

京都寄り(元随員室、貴賓室側)/ (43-8-7) 吹田
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大阪寄り(元給仕室側)/ (44-6-16) 桂
44-6-16

急行の2両目に組込み/(44-1-7) 桂~東向日町

窓の高さが揃っているため、さほど違和感はなく一般乗客は元貴賓車とは誰も思っていないであろう。
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千里線で使用中/ (43-8-7) 吹田
後ろから3両目、前から2両目の1550形の方が違和感がある。
Negative0038

 【参考】 44年1月7日東向日町駅ホームから撮影したボンネットバス
この頃は東向日町周辺や茨木市から山に向かう路線はボンネットバスが主力であったが、撮影したのはこの1枚のみ
ボンネットバス

「フキ」及びP-6については、ネコパブ社発行「RM LIBRARY110 『阪急P-6』」に詳しくかつ判りやすく解説されているのでお勧めする。
著者の吉岡照雄氏は阪急のOBで「P-6」の神様といわれた方である。

フキ500」への1件のフィードバック

  1. 新京阪鉄道車両については山口益生さんがまとめ紹介された、JTBキャンブックス・阪急電車をお読みになればよく分かります。昨年6月に上梓されました。阪急電鉄車両の歴史を紹介した、空前の出版物であると老人は思っています。電車ファンは是非お眼とうし下さい。
    老人の新京阪鉄道については、先に紹介した常任さんから聞いた話です。老人が向日町の住人となったことを喜んで下さいました。水道管取替え関連工事として撤去している鋳物製消火栓蓋に、新京阪のマークが鋳込まれているのに気付き、1式を向日市と掛け合い貰いました。早速、会社総務部を通じ連絡したところ、常任さんは総務課長に命じ、課長が直々に京阪タクシーで引き取りに参りました。30年ぐらい前の話ですが、枚方パークの何処かに設置してある筈です。
    またまた思い出話でごめんなさい。

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