三井芦別C58-2のプレート色

引き続き、以前の問い合わせに対しての回答です。

かつて三井芦別鉄道で走っていたC58-2は、現在、旭川近郊の旅館に保存されているそうですが、保存先の親戚の方からの問い合わせコメントが本掲示板にあり、C58-2のナンバープレートの色について、昔から気になって問い合わされていました。同機を購入・保存された方は、すでに他界されており、保存当時のことが分からず、真相は謎のままと記されていました。

私も三井芦別鉄道へ一度だけ行っており、確かカラーも撮っていたはずと、探しますと、確かにカラーが2枚だけありました。C58-2のナンバープレートは赤でした。

58-2-3_1[1]ネット先から拝借した現在のC58-2は、ご覧のようなもので、確かにナンバープレートの地色は、剥げ落ちて元の色が判然としない状態ですが、ハイフン入りのナンバープレートは貴重です。保存されているのは、温泉旅館の大広間という、異色の場所です。最近、元プロ野球選手が日本の全保存蒸機を写した本を出版していますが、それによると蒸機の保存総数は600両余りとか。旅館の大広間に鎮座する例は、おそらくここだけでしょう。C58-2を酒の肴に宴会もオツなものかもしれません。

syIMG_0013赤ナンバーの三井芦別C58-2、自社発注機のC58で、1、2の2両が在籍した。給水温め器がないのが最大の特徴。(頼城にて、昭和44年9月)

syIMG_0012DC列車もカラーで紹介。根室本線と平行しながら芦別を発車した頼城行きのキハ103+キハ101、キハ100形キハ101~103の3両あり、昭和33年製造の湘南タイプの気動車。鉄道廃止後、3両とも関東鉄道鉾田線に転じた。塗装は、かつて阪和線のスカ形に塗られた、国鉄色名で言う緑1号に酷似している。一般に言う青緑色で、この色はありそうで、なかなか無い色だった。

 

三井芦別C58-2のプレート色」への9件のフィードバック

  1. ニュー温泉廃業により建物が解体中です。機関車は個人に引き取られましたが、部品類を外したうえで解体すると聞いています。

  2. 奥山さま
    お名前はよく存じ上げております。最新のニュース、ご投稿いただき、ありがとうございました。たいへんユニークな保存と思っていましたが、旅館も機関車も解体とのこと、まことに残念な結果となりました。部品のみは残るようで、珍しいハイフン入りのナンバープレートは、赤ナンバーに復元のうえ、保存していただきたいと願っております。

  3. 奥山様
    再度のコメント、ありがとうございました。ご返信が遅れてしまい、申し訳ありません。
    釧路市での企画展「釧路炭田の炭鉱と鉄道」のご案内、拝見しました。北海道では、廃止された鉄道を顕彰しようとする、市民・サポーターの活動が盛んですね。広い地域で、活動もたいへんだと思いますが、敬意を表する次第です。8721も赤プレートだったのですね。
    それと、ooyubari9201のblogも、たっぷり拝見しました。恥ずかしながら、このプログの存在は知りませんでした。夕張、大夕張の貴重な写真に感嘆しましたし、鉄道だけでなく、夕張地方のバスや映画ロケ地のことなど、幅広い内容で、さっそく“お気に入り”に登録しておきました。
    湯口さんは先刻ご承知とは思いますが、もしご存じでなかったらお知らせしておきます。

  4. ありがとうございます。夕張は財政破綻で活動も限られるのですが、よろしくお願いします。

  5. 奥山様
    ご案内、ありがとうございました。奥山さまが会長をされている大夕張鉄道保存会さまの活動には目を見張っています。昨年の汽車フェスタ、廃線跡ツアー、またSL館の雪おろしツアーも無事終わったようで何よりでした。北海道という地で、さまざまなご苦労があると推察しています。ホームページを見ますと、いろいろなグッズも販売されているようで、心ばかりですが、グッズ購入で会活動の応援をさせていただきます。

  6. 奥山道紀様
    いつも北海道の最新情報のご提供ありがとうございます。「レイル No.79」では私と福田君の写真の次ページに貴殿の写真が続き、不思議なご縁を感じます。それにも増して 雄別鉄道の関連会社の釧路製作所にお勤めとは存じませんでした。雄別、尺別は遠い思い出になりました。実は今年の6月に道東を訪ねる予定です。前後のスケジュールの都合で8722号に再会するのが土曜日となってしまうのですが、貴社HPによれば事前に伝えておけば休日でも見学可とありましたので、近日中に貴社にお便りしておくつもりです。大夕張はじめ道内各地での貴殿のご活躍を期待しております。

  7. 総本家青信号特派員様、グッズ購入ありがとうございます。ご存知の通り、夕張市東部の大夕張地区は三菱鉱業の炭鉱や、森林資源の開発で栄えた地域ですが閉山やダム建設で大きく変化しています。旧森林鉄道の三弦橋も4月中旬にはシューパロダムの試験たん水により水没します。「街の記憶」として車両整備の活動を継続していきたいと思います。
    西村雅幸様、貴重な写真拝見させていただいています。ここ2年間は簡易軌道の縁で別海町の史跡整備検討委員会の委員も務めさせていただいていました。工場は通常土曜日は開聞しています。近くになりましたら、ご連絡いただければ幸いです。

  8. 奥山様 御社に土曜日も入門できることをお知らせ頂きありがとうございます。私が雄別炭山を訪問したのは昭和44年の2月で8721、8722は庫の中で無火状態でした。寒さのせいか カメラの巻き上げ機構が不調で、丁度8721,22を写したコマは巻き上げ不良でカブッていたのが現像後わかったときはガッカリしました。元気な1001号機、205号機が撮れていたのでやれやれでした。従って8722とは45年ぶりの再会となり、今から楽しみにしております。追ってご連絡をさしあげますが、あわただしい訪問になろうかと思っております。

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