【95760】 いとしのDD51 -5-

北海道を走ったDD51

DD51は、北海道から九州まで全国に配置され、軸重14t、丙線入線可能な特性を生かして、D51が入れなかった線区にも入線しました。最終製造機が出揃い、最大の642両の配置となった昭和56年の車両配置表を見ますと、道内には、釧路、旭川、北見、小樽築港、岩見沢第一、滝川、鷲別、五稜郭の各区に配置があり、合計すると217両ものDD51が北海道で活躍していました。北海道にはDF50の配置がなかった分、DD51が爆発的に増えていった経緯が分かります。実に、DD51全両数の三分の一が道内配置でした。過酷な大地で、客貨を牽いて活躍したDD51は、文句なしに北の鉄路の功労者だと改めて称えてやりたい気持ちです。ここでは、昭和40年代のDD51の記録をまとめてみました。
▲室蘭本線静狩~小幌の大築堤を行く、DD51の牽く貨物列車(昭和46年3月)。

北海道の入り口、大沼。DD51716が長大なコンテナ編成を牽き、ポイントをうねりながら渡って、大沼公園方へと入っていく。コキ5000系の魚腹台枠もなつかしい。なお、DD51の色調が不自然だが、これは、モノクロフィルムに、赤フィルタ(R2)と偏光フィルタ(PL)を重ねて付けたため。このフィルタの組み合わせは、赤外線フィルムで撮影したような調子に撮れるため、面白がって、時どき試していた(昭和46年3月)。
函館本線落部にて、乗車していた普通列車を、DD51重連の貨物列車が追い抜いて行く。北海道に限らず、貨物が普通列車を追い抜くのは、当時よく見られた(昭和44年9月)。
石炭の積込み設備の見える、この駅はどこ? あまり馴染みがないように思えるが、正解は室蘭駅、まだC55が室蘭区に配属されている時代で、何度か終端の室蘭に向かった。今より室蘭の比重が高かった時代で、札幌から室蘭への直通列車も多かったし、長万部方からは、東室蘭でスイッチバックしなければならないが、わざわざ長万部~室蘭の客車列車も設定されていた(昭和44年9月)。
道内での名シーンは数々あるが、代表的なものは、やはり室蘭本線の複線上を重連で驀進する姿ではないかと思う。とくに静狩を出て、小幌方の大カーブは、私にとっては忘れられない撮影地だ(昭和46年3月)。
根室本線に夜行の普通列車423・424レが小樽~釧路に走っていた時代、根室本線には急行「まりも」も走っていたが、これは全車指定の列車で、均一周遊券では乗れず、勢い、道東へ行く場合は、この普通列車が指定列車となった。夜が明けた厚内駅にて、編成全体がスチームに包まれる(昭和46年3月)。
根室本線白糠駅にて、姉妹列車となる422レと交換する。右の423レの牽引機のナンバーは、前回紹介のお召機530だったこと、今回初めて分かった(昭和46年3月)。
上掲の写真を撮ってから、8日後、再び、423レの客となった。この時は、西村さんらDRFCのメンバーと一緒で、車窓から見た光景が忘れられず、再びアタックしたものだ(昭和46年3月)。
夜の旭川駅、これから乗ろうとする「利尻」にC55牽引を期待したが、DD51が札幌方面からやって来て、C55に交代する様子もなく、結局、そのままDD51が通しで牽くことに。かなりガッカリして、悔し紛れの一枚だった(昭和46年3月)。
そのDD51の牽く「利尻」に乗って、稚内に着いた。この写真は、少し前にも載せたが、ひと晩、雪にまみれて走り抜いた姿は、蒸機にも増して逞しかった(昭和46年3月)。 

 いとしのDD51 -5-” への6件のコメント

  1. この場をお借りして便乗いたします。
    昭和49年(1974年)新婚旅行で北海道に行きました。三月の道東はまだ冬で、家内には未だに不満を言われ続けています。
    この写真は、その時に撮ったものですが場所が分かりません。この際、皆様の博識におすがりしますので、どこか解明してください。前後に網走で撮ったオロハネ10があります。牽引の機関車はDD5130です。

    • 米手作市様
      石北本線上川駅ではないでしょうか。層雲峡から上川に出て来られたか、上川で下車して層雲峡へ向かわれるか、いずれにせよその乗り換え時間帯ではないでしょうか。DD5130は旭川機関区所属です。跨線橋や背景の山の様子から上川駅の旭川寄りからの撮影ではないかと思われます。現在の線形とも符合します。右手に給水塔がありますが、上川では白滝越えのために給水が行われていました。停車時間も長かったと思います。右手の側線にタキやコキも見えますが、旭川東部の大きな町ですから、貨物量も多かったと思います。昭和44年㋂3日に1900生様、KAWANAKA様と上川を通過した時のカットが1枚ありますので添付しました。左手に側線も写っています。当時すでに白滝越えの補機はDD51でした。上川で補機を開放し旭川に向かいました。かろうじて跨線橋も写っています。層雲峡へ行かれてなければ、本推論は崩れますが、ご記憶にあるでしょうか?

      • 行きました!
        一つぐらい観光地を入れといたらエエやろ、と入れましたが、凍っていて往復しただけで帰ってきました。上川駅で家内が小銭入れを落としたので覚えております。
        ありがとうございます!!

        • 米手様
          「記憶にございません」という回答ではなかったので、ホッとしました。実は投稿してから、まだ雪深い3月に層雲峡に行けないのではと気付いたのですが、トンボ返りされたのですね。それにしても小銭入れを落とされたことをよく覚えておられましたね。凄い!

          • 網走ではホテルに時計を忘れました。ヨメサンが頼りないとダンナはしっかりするものです。

  2. 総本家青信号特派員さま
    DD51のほぼ2/3が北海道に居たのですね。知りませんでしたが、それほど輸送量(特に貨物)が多かったのと幹線電化が遅れていた証左でしょうね。
    2・3・5葉目の写真が以前にも書いた、重連で牽く特急貨物「北海」だと思います。薄いグリーンのコンテナを満載した、まだ当時珍しかった貨物レでした。昭和44年2月に初めて見た時は、よもやのDD51進出とその走りの韋駄天ぶりにショックを受け、シャッターを切るのも忘れて只々呆然と見送ったものでした。3葉目の落部の写真は小生も同行した夏合宿時のものではないでしょうか。上目名でC62ニセコを撮るため大沼公園を7時過ぎのDCで出て、森から砂原回りで来た客レに乗り継ぎましたね。SLが牽くガラガラの客レに乗り、なんと贅沢な旅だろうと話し合いながら上目名を目指しました。
    5葉目の静狩では当時はこういうのが撮れたのですね。10年ほど前に北斗星やトワイライトを撮りたくて行きましたが、もうこんなに綺麗に長編成を撮れる場所は見当たりませんでした。

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