いとしのDD51 -4-

お召列車を初めて牽引

つぎのDD51は、お召列車を牽いたDD51について触れてみます。これもちょうど50年前ですが、1968年(昭和43年)9月、北海道にお召列車が走りました。この年は、「北海道」と命名されてから百周年に当たり、札幌での記念祝典も含めた行幸に伴い、各線区でお召列車が運転されました。北海道ではまだ小樽~岩見沢が電化しているだけで、すべてDLが牽引しました。うち函館本線・千歳線・石北本線で牽いたのがDD51でした。これが、DD51にとっては最初のお召牽引となり、1号機新製後、7年目にしての栄誉となりました。
旭川~新旭川を行くDD51548〔旭〕牽引、旭川発上川行きのお召列車。以後、同機が単機でお召牽引に当たった(昭和43年9月3日)。

この時の行幸は、昭和43年9月1日、空路で北海道入り、千歳から札幌まで、まずお召が運転された。どこで撮ろうかと考えたが、撮影地の情報などもなく、なんとなく駅名の響きが良い月寒で下車した。付近を探索するものの、開けたところがなく、結局は駅構内で撮ることになった。背後の駅ホームには、駅長以下、多くの人たちが見送っている。なお月寒付近は、昭和48年に大規模な線路移設が行われ、月寒駅も廃止された。貨物線としては残っていたが、その後に廃止されている。現在では札幌地下鉄東豊線に月寒中央駅があるが、読みは「つきさむ」で、国鉄駅名のみが「つきさっぷ」を名乗っていた。
つぎのお召は、同年9月3日の札幌~旭川~上川での運転。この日は、夜行列車で美唄に着いたあと、美唄鉄道の4110の牽く通勤列車を撮ったあと、美唄駅の北側の踏切で待ち受けた。ここでも多くの人たちが待ち受けた。
この日は、旭川で2時間程度の視察があり、この間を利用して、新旭川へ先回りした。この時は、鉄鈍爺さんと、慶応鉄研のお方の3人で撮影地を探した。市街地だが、そこは北海道、ゆったり線路が敷かれていて編成写真を撮ることができた。

DD51630〔旭〕が予備機に指定され、日章旗を付けたまま、旭川区で待機していた。また旭川区を訪問すると、やけに美しいC57(機号不明)がいた。整備の行き届かない北海道の蒸機にあってピカイチだった。キャブ回りを見ても、何ら表示はなかったが、このC57は、お召機の“予備の予備”だったのかもしれない。初のDD51お召牽引で、万が一に備えて、蒸機もスタンバイしていたことは十分に考えられる。

また、お召に使用されたDD51548は、廃車後、幌内線三笠駅跡にある、三笠鉄道記念館に保存展示されている。以前、ぶんしゅうさんと北海道へ行った時に再会している。また今回の行幸では、宗谷本線でもお召列車が運転され、DE10 501+DE10 502が牽引した。この時期、DE10の新製が始まった時期であり、DE10がお召列車を牽いたのも、これが初だった。

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