芸備線100周年にちなむ中国新聞の連載記事をご紹介します。まずは平成27年5月22日の朝刊から。
雪国育ちではない私には 冬の大夕張鉄道で96に押されて走るラッセル車が初めて見る除雪列車で 感激したものですが、更に排雪列車となると見たことがありません。道路事情が悪く、まして冬には鉄道だけがライフラインだった地域は数多くあったでしょう。それだけに「列車をとめてなるものか」という鉄道マンの思いは今とは比べものにならないものがあったでしょう。
芸備線も広島口はそれなりに列車が設定されていますが、三次から庄原、西城、備後落合を経て新見に至る区間は中国山地を縫って数往復の 空気を運ぶような列車が走っています。木次線の備後落合・出雲横田間は第二木曜日には午前、午後1往復ずつとなり、冬季は最初から除雪をする気などなく 完全運休となります。先般高速道路尾道・松江線(やまなみ街道)も全通し、陰陽連絡というより、しまなみ海道ともつながって太平洋と日本海がつながりました。いよいよ木次線も年貢の納めどきなのかもしれません。
新聞記事の紹介だけでは能がないので、以前にも紹介したようにも思いますがかつての備後落合駅の風景を少しだけご紹介します。山科の人間国宝殿のC56ちどりや米手作市殿のキハ02の時代には及びませんが、昭和47年とその38年後の平成22年の風景です。