▲西舞鶴の5両のC12は、西舞鶴、東舞鶴駅の入換のほか、勾配区間の補機、小浜線松尾寺にある日本板硝子の専用線の入換と、地味なC12としては、大活躍のシーンを見せていた。
D地点 〈東舞鶴〉
白鳥峠を越えると、舞鶴線、小浜線の分岐駅となる東舞鶴に到着します。東舞鶴駅は、切欠きホームも含めた二面四線の構造で、西舞鶴と似た構造です。側線が多いのも同じで、機関区こそありませんが、転車台、給水タンクもあり、変化のある駅風景を提供していました。東舞鶴は、軍港として発達したため物資輸送のため港へ向かって多くの引込線が伸びています。そのなかで、通称、中舞鶴線(正式には舞鶴線の支線扱い)は、兵員輸送もあって大正8年から旅客営業を行っていました。珍しいのは、東舞鶴を出ると、西舞鶴方の引上線に突っ込み、スイッチバックして中舞鶴方面に向かっていました。当時、旅客は5往復、C12の貨物が1往復ありましたが、昭和47年10月に廃止されます。▲昭和43年10月のお召運転時に初めて東舞鶴を訪れ、これから牽引するC58223〔豊〕+C5856〔西〕を写す。区への出入りは全く自由ながら、ロッドを揃えて公開するサービスはなかった。お召を撮影して、駅に戻ると、小浜線内を牽いてきたC58171〔敦一〕が日章旗も畳んで静かに休んでいた。
▲駅に到着する本線貨物のように見えるが、これは東舞鶴でのC12の入換シーン、原型のC12だが、連結面梁部がトラ塗りになっている。
▲入換中のC12と、右はまさしく本線の937列車、前補機にC12が付き、両者が交換する。
▲17時51分、長笛二声、C12+C58の牽く937列車が発車する。この日は、朝から下山の鉄橋で「はしだてビーチ」を撮り、真倉へ行って撮影、午後には綾部へ戻り、C57+C57+C58三重連の938列車を撮ってから、西舞鶴、東舞鶴へ来た。長く暑い一日をこの列車の撮影で締めくくった(昭和45年8月)。
舞鶴付近の各線の無煙化は、昭和46年10月に完了した。私もしばらく東舞鶴へ行くことは遠のいていたが、そのあとに行ったのは昭和59年1月のことで、まだ客車列車は健在でDE10が牽いていた。訪問目的は、小浜線で使われていたオハユニ61の撮影だった。輸送システムの変化で、郵便荷物輸送が縮小期に入り、新聞輸送など一部を除いて、全廃も目前に迫っていた。郵便荷物車も激減中で、少し前まで全国各地で見られたオハユニ61も、昭和58年4月時点で13両が残るだけで、うち敦賀には2両が配置され、小浜線内の列車に併結されていた。
▲東舞鶴に到着する、敦賀発福知山行き934列車、DE10+客車8両、中央にオハユニ6162が連結されており、同車を含む後部4両が東舞鶴止めとなって、小浜線を折り返して行く(以下昭和59年1月)。
▲折り返し935列車として、オハユニ6162が1両目に連結されて発車して行く。
▲この時の東舞鶴駅、蒸機はいないが、代わりに廃車となった客車がたくさん置かれていた。東舞鶴は、その後高架化され、島式一本だけのシンプルな駅になった。昔日の面影は全くない。前回の西舞鶴も同様に高架化され、よく似た造りになっている。
ちょうど同じ頃、息子を連れて敦賀からオハユニ61にのって小浜線を西へ、山陰線で一周してきました。オハユニ61の車内は塗装がはげて最末期の雰囲気が濃厚でした。そしてこれが私にとっての最後のオハユニ61となったのです。
米手さま
さっそくのオハユニ61の思い出、ありがとうございました。私は客車のなかでも、オハユニやスハニと言った合造車のコンパクトな座席配置が好きでした。たとえば、オハ61なら座席は24席、定員96人です。それに対してオハユニ61は10席、定員40人しかありません。小さい個室感覚の室内で、おまけに編成の端部に連結されるのが常でしたから、よく空いていて、ますますその思いを強くしたものです。
総本家青信号特派員さま 米手作市さま
懐かしいオハユニ61は小生も大好きでした。最晩年の小浜線の同車オハユニ61 94に35年前の昭和57年9月に乗っています。昭和40年C56に引かれて木次線を初乗車してから飯山線や只見線などで乗り、この小浜線が最後の乗車でした。
余談ですがこの時はSONYのテレコを携え、EF70の牽く米原発直江津行の旧客で敦賀、さらにDE10牽引の小浜線オハユニに乗り継ぎ、それぞれ30分ほど走行音を録音しました。いずれも機関車の次位車に陣取っての録音でしたが、今でもEF70の大きな吊りかけ音は鮮烈な印象として耳に残っています。
聡本家青信号特派員様
オハユニ61に限らず小生にとって合造車は或る種憧れでした。 客室の小じんまりした様は『特別感』があって、何かワクワクしたものでした。
乗車体験は限られてましたが、見学や撮影体験も含めると、クロハ69、クモハユニ44、キハユニ16、モハシ150、キロハ25、スハニ32、などが懐かしいです。
特派員様、
私も同じ理由で合造車が好きです。とりわけ編成の都合で荷物室が他の客車側に向いていればなお結構!つまり合造車の客室が編成の端で孤立状態になり通路を通っての客の流動がなく落ち着いて乗っていられるからです。背ズリの板張りがちょっと気に入りませんが、それでも晩年にはモケットを張ったオハ61系も出てきました。心残りは焼け電復旧のオハユニ71に乗れなかったことです。