【44732】2014年 遥かなる東欧の旅 Part2 戦火の癒えた町、サラエボへ その2

第2日目 2月16日 その2
① サラエボ空港 8:54(Taxi)→9:07 Motel Bejturan

② 名前の記載のないミャツカ川沿い11:14(トラム)→11:54イリジャ

8:30 サラエボ国際空港に到着しましたが、フライトはそれほど多くはないようで、ローカル空港のようです。

11入国審査後にバゲインクレーム内のATMで、クレジットカードを使用してのキャッシングをします。ボスニア・ヘルツェゴビナの通貨は、コンベルティビルナ・マルカ(KM)。
今回のツアーでは昼食・夕食・飲料代が含まれていません。また降り立った6名は先発隊で、ドイツ人グループと日本人3名は明後日の到着で2日分の宿泊費が必要です。それぞれの推定する額での引き出しでした。

12空港から宿泊するホテルまでは路線バスなどなく、Taxi利用となります。
空港玄関前にTaxi乗り場はなく、駐車場出口に停まっている白タク?乗車です。

料金交渉なしで3人1組でサラエボの下町にあるホテルに向かいましたが、O氏夫妻と私たちは30KM(約2,100円)、もう1組は40KM(約2,800円)と若干の開きが出ました。距離は約11キロ、所要時間は約13分でした。Taxi代は日本の約半分ぐらいですね。
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サラエボ ホテル

▲ 9:07 着いたMotel Bejturanは、下町中心部の坂を少し上がった所にありました。プチホテルか、民宿のような宿です。

1821▲ 9:42 宿のすぐ下のパシュチャルシア電停。モスクをバックに、サラエボトラムの連接車288号が入ってきました。
1973~1983年製?のチェコTatra社のK2YU型(出力40W×4・全長20,400㎜)です。
台車には電磁吸着ブレーキが付いていました。昔、PCCで見たことがありましたが、久しぶりの対面です。

取りあえず、皆さんと一緒に下町巡りの散策です。
13▲ 古い町並みはお土産物屋さんや特産の食器等が売られています。

14▲ 9:54 ちょっと気になる食べ物を見つけられました。いったいこれは何だろうと買って食べて見る事になりました。チーズやひき肉等々の具材をパン生地で巻いて焼いた物です。5種類ほどありましたので適当に選んでアツアツを買ってみんなで分けていただきました。中々美味です。

10:18 食後は、ループ線のミャツカ川沿いに場所を移しての撮影です。
ここはボスニア・ヘルツェゴビナ紛争時には、狙撃兵通り」(スナイパーストリート)と呼ばれ、包囲したセルビア軍が往来するサラエボ住民を容赦なく射殺した地域の1つです。
22▲ 235号車です。先ほどと同じタイプに見えますが、車体色が変わっていると違った形式にも思えます。

下はループ線片側通行の後追いです。写真的にはこちらからのショットの方が絵になりますが・・・。ご覧のとおり全てのトラムは両運転台ではありません。
戦争当時のこの丘にはセルビア軍の戦車が並んでサラエボを包囲したそうです。サラエボはすり鉢状の地形です。外に出れば上から狙う狙撃兵の恰好の標的です。外には絶対に出られなかったでしょうね。

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サラエボ ラテン橋

▲ 10:22 第1次世界大戦勃発となった、オーストリア・ハンガリー二重帝国の皇太子夫妻が狙撃殺害されたラテン橋横を走るのは、戦後。1998年以降に導入されたCKD(モラヴィアコルベンダネック)社製のSatra-II (K2YU)型509号です。
横に並走する車の殆どはヘッドライトを点けています。サラエボでは殆どがそうでした。法規で決まっているようです。

26▲ 10:26 248号。白い車体にはラッピング広告が施されていて、同じ車体色がないように思えました。

3011:00 帰路もトルコ航空ですが、最近珍しくなったリコンファーム(予約の再確認)が必要です。
O氏から近くに事務所があるはずだと言う事で、公園の売店や客待ちのTaxiの運転手に聞きながら探して見つけましたが、今日は日曜日でお休みでした。
国営航空会社ですので、電車通りに面した大きなビルに入居しているかと思いましたが、ループ線内の分かり難い場所にありました。

11:04 再びループ線の川沿いに戻って、駅へのトラムを待ちます。確か地球の〇〇方では3番と書いてあったように思っていました。

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▲ 10:36 電停には屋根が設置されています。空に舞うのは民族紛争で多くの人命を奪われたこの町を象徴するかのように平和を願う鳩が飛びたちます。鳩は、街中でよく見かけられました。到着するのは268号です。車体色は青ですが、屋根部分は白でアクセントになっています。

25▲ サラエボには街を歩く多くの老人たちを見受けられました。若者たちが戦争で逝き、そのための高齢化社会のようにも見えました。同じ青い車体色は263号です。

私はSLツアー解散後に無謀にも言葉が通じない、また初めての東欧横断乗り鉄一人旅に出ます。出発前に列車の時刻やルートを調べてはきたのですが、どう調べても本当の事が分からない状態で、現地での確認が必要でした。そして、列車の切符が買えるものなのか、空席があるのかもという不安がありました。
トラム撮影より優先すべき問題でしたので、国鉄サラエボ駅に向かうと言うと皆さんも一緒に付いてきてくださいました。駅の切符売場では、ちゃんと聞けるのか、相手のいう事を理解できるのか、英語が中学生レベルで止まっている私です。大きな問題でした。英語堪能な方が多い海外鉄ちゃん集団が一緒とあれば心強い限りです。ありがとうございます。

31トラム電停近くの売店で名刺サイズの切符を購入します。
運賃は全線均一の1.6MK、約120円です。
乗車した際に車内に設置された改札機に入れますと、乗車日等がパンチされて出てきます。
車掌はいなく、信用乗車方式になっていますが、時折検札が来て無賃乗車には約10倍の罰金が科せられるそうです。

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▲ 11:13 地球の〇〇方では確か3系統サラエボ駅に行くと書いてあったと思い込み、皆さんを引き連れて乗車しました。しかしこのトラムは国鉄サラエボ駅に向かう分岐線を通過して先に行ってしまいます。降りなければと皆さんに声をかけようとしましたら、「まあいいや、今日は時間もあるのでこのまま乗って行こうや。」とO氏は申されます。他の方のご意見もいただこうとしましたが、途中から込んできた車内移動は困難です。
終点のイリジャまで約12キロ、所要時間約40分間を乗ってしまいました。

20323311:54  イリジャ駅はループ線を使っての折り返しとなっています。
そして、この駅だけは駅員がいて、改札を行っていました。

駅すぐはバスターミナルになっていて降りた乗客は乗り換えていました。
Part3へ続く

 

2014年 遥かなる東欧の旅 Part2 戦火の癒えた町、サラエボへ その2” への4件のコメント

  1. ぶんしゅう旅日記様
    アフリカの小国やミャンマーに続いて旧ユーゴスラビアと、えらい所を旅されていますね。ついこの間の戦争の傷跡の残る場所や私のように世界史の苦手な人間でも知っている歴史的事件勃発の場所など得難い経験をされていると思います。撮影は特に問題はないのですか。行ったことない国の話にコメントしようがないですが、一つだけありましてチェコ製路面電車タトラです。いろんなカラーのタトラを披露していただき有難うございます。この流線型の大きなパンタグラフをつけたのが好きでして、旧東欧諸国ではよく見かけて撮影しました。多分、乙訓の老人さんが詳しいと思いますが、PCCと関係があると聞いたことがあります。流線型のタトラはモスクワ、プラハ、シュベリーン他旧東独で数カ所、アジアでは平壌で見ています。それでは帰国後の土産話を楽しみにしております。

    • 準特急様、コメントをいただきまして、ありがとうございます。
      私はタトラを見るのは初めてでした。旧東欧諸国で見かけられたという事は、共産国のスタンダードトラムとして、よほどたくさん大量生産されていたのですね。
      路面電車は分からないところだらけですので、乙訓の老人さんにご出馬をしていただかないと難しそうです。これからクロアチアのザグビア、セルビアのベオグラード、ブルガリアのソフィアを経由してイスタンプールへの旅路です。それぞれの都市にはトラムが走っています。
      撮影についてですが、やはり旧共産国とあって撮影制限がありました。2回捕まっています。紀行記で紹介させていただきます。

  2. ぶんしゅう様
    今日あたりはイスタンブールに戻られてほっとされているところでしょうか?丸い顔のタトラカーは70年代東欧のどこの町でも見られたものの、旧東ドイツのタトラカーは淘汰が進み、一昨年行ったときにはもう見かけませんでした。丸型のタトラカーには何種類かのバリエイションがあるようですが、今でもおひざもとのプラハ、ブラチスラバではまだまだ主力で、ポーランドのポズナン、クラコフでも健在でした。このほかタトラカーには同時期に角型のものもあってこちらは比較的まだ残っている割合が多そうです。近年タトラカーの生産がどうなっているのか、変遷などわかれば是非教えていただきたいと思っています。

    • 大津の86様、コメントをいただきまして、ありがとうございます。
      お察しのとおり只今、無事?にイスタンプールに着きまして積極的な鉄ちゃん活動をいたしておりますが、期待しておりました国鉄線は運休、トラムも低床車のオンパレードで撮影に苦慮しています。今までがハードだっただけにだれ気味でもあります。
      また今まで訪れた所とは違っての雰囲気にも飲まれています。欧米からの観光客が多く、町中は人ごみだらけで圧倒されました。長い旅路でしたが、明日の深夜に帰国となります。
      帰国しましたら、お世話願いました東欧横断の土産話をさせていただきますのでよろしくお願い申し上げます。

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