中山広場より望む大連賓館(旧満鉄経営ヤマトホテル)
大連駅から東へ一つ目の電停は「勝利橋」といい、勝利橋は大連駅の東方で線路を乗り越える道路橋で、戦前は日本橋と呼ばれていました。勝利橋の北側は元ロシア人街。華楽広場の帰りに降りてみました。
下を覗くとちょうど駅から推進で列車が入庫してきました。サボを見ると斉斉哈爾からの列車のようです。
最後に、電車内の写真を画像処理ソフトを使い、ICカードリーダー、ドライブレコーダ、運賃箱を消去し、セピア調のモノクロにしてみました。60年くらい前に見えませんでしょうか??おふざけですみません。
まだまだ見たかったところはあったのですが、私には珍しく天候にも恵まれ、短い行程とその中での限られた自由時間では、まあ良かったかと考えています。本投稿にお付き合いいただきましてありがとうございました。
(おわり)
宇都家さん、大連訪問ご苦労さまでした。お終いのの復元写真、70年前の京都市電を思い出すものでした。だからと言ってあれもこれもではありませんが、硝子窓や座席に車内広告を除けば500型「そっくり」です。質問1件、左の乗降用扉と窓の間、なにか光る透明硝子らしきものがありますが、あれは何でしょうか。
車内の雰囲気としては、朝夕ラッシュ時を外した時の梅津線のような雰囲気ですね。
怪しげな「透明硝子」は、ドア横に設置されているICカードリーダを消した跡です。消し方が横着なので不可思議な物件が写っているかの如き仕上がりになってしまいました。ICカードリーダは「その2」の2枚目写真の運転席背の板の客室側、運賃箱の上についているものと同じで、右の老人の帽子の上にも写っておりました。
この7-2268号は「青年文明号」でして、天井の角に並んでいる額は広告ではなくて古い電車の写真です。乗車時はキャンペーン列車的なものか、と思いましたが、今「青年文明」をググってみたところ、どうも「交通サービス・マナーアップ向上モデル電車」みたいなもののようです。他の電車より格段優れているようには全然思えませんでしたが、、、、
車内が空いているのは早朝の市街から周辺部行の電車で、しかも終点手前のためです。