大連弾丸紀行 その3

2日目の日中は旅順観光でしたが、大連へ戻ってから夕食へ行くまでのわずかな自由時間を利用し、今度は小銭と小額紙幣もぬかりなく?用意して、電車に乗りに行きました。

ところが、昨日にもまして運行本数が少なく、最初の電車は満員積み残し、次は新型車が続き、やっと来た旧型は民主広場にある車庫の入庫車で、駅前電停で無駄に時間を過ごしてしまい、時間の関係もあり最後はやむを得ず?低床車に乗車しました。

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乗り切れずに積み残しで発車  

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運行時間は早朝から深夜までカバーしているものの、日中の運行間隔をもう少し何とかいてもらいたいもの 始終発の英文案内がなぜだかBUSと表記されている

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旧満鉄本社前の旧型車 これを撮りたくて出向いたのでした

大連駅前を経由し東西に縦貫する路線が「201路」で、半数程度が旧型車。201路の西の終点「興工街」で接続し、南西方面へ延びる「202路」の2路線があり、202路は高架軌道もあり、車両も近代的なものばかりです。2階建ての16路バス車中より見た202路電車IMGP4481 (2)

 

 

最終日3日目も朝食前の撮影を目論みましたが、連夜の深酒のせいか6時過ぎまで目が覚めず、2日目より遅い出立となりました。それでも東方の「華楽広場」(終点ではないが、ほとんどの電車が折り返す)まで乗車しました。

ここでの珍景は電停での車体清掃でした。折り返し時の車内清掃なら珍しくありませんが、2人組のオバサンが長い柄のブラシを持って待機しており、電車が着くと両サイドから車体をゴシゴシと磨くのです。さらに清掃中でも電車はすぐにお構いなしに動き出すし、オバサンは健気にもブラシで車体をこすりながら電車を追っかけるという、清掃の効果の面でも労働安全の面でも??な光景でした。どうも雇用対策的な事業のようです。

また、ここではビューゲルの方向転換を見ることができました。渡り線のポイントを手動で転換して、車両が折り返し地点で進行方向を逆転するとビューゲルがボンと持ち上がり反転しました。この時に車掌がワイヤを引っ張っていたのかどうかは見えず、あるいはワイヤでビューゲルを反転させた後に進行するのが正なのか、よくわかりません。どなたかご存じないでしょうか?

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車体清掃中  後方の電車が折り返すところ

市電の旧型車は中国人にも人気のようで、地方からの旅行者か、スマホで撮影する姿もよく見かけました。旅順の案内をお願いしたガイドが、しきりに「100年前の電車」と説明してましたが、7~80年くらいですね。

もう1編ほど続けさせていただきます。

2 thoughts on “大連弾丸紀行 その3

  1. 「華楽広場」での車体清掃は初めて見ました。長春の路面電車も終点で同じ事をやりだしていますので最近から始まったのでしょうね。
    ビューゲルを反転させるのは注意して見ていませんでしたので詳しく分かりませんが、折り返し発車する時にスパークが生じていました。車掌が反対側のワイヤーを持って、発車の際にエイヤーで反転するのかと思ったりします。
    撮影された旧型車両は昭和12年(1937年)、日本車輌名古屋で製造された501形です。20両が海を渡りました。老朽化のために大半がリニューアルを受けてレトロ電車として3000形になりましたが、約78年間を現役活躍中です。ただ中国の事ですので突然に廃車になる事もありえます。まだ見られていない、乗っておられない方は今のうちに行かれた方が良いかと思います。

  2. 大連に関係ない話でお許しいただきたい。昨日(21日)朝のテレビで、ラングーンのお盆ラッシュ?での故郷へ帰る人達の模様が放映されたが、【すさましい人々】の移動と言える。鉄道では全ての台枠上の突起物に手足を置きにぎり、屋根上は空間ないくらいに煎餅まがいの人間の姿が見られる。ジャカルタの朝ラッシュでの屋根上乗車、いろいろ紹介されたが今はないとのことだ。ラングーン郊外で年末には運転開始となる広電、ジャカルタの二の舞にならないように祈っている。父親とバンドゥーン近郊列車に乗った孫は、屋根にしがみついている人なんかいなかったと、老人に報告ありでホットしているのだが・・・。

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