格調高い投稿が続いたあとにまたしても新聞ネタで失礼します。先に可部線延伸区間の現地レポートをお届けしましたが、23日予定通り試運転が始まりました。試運転開始というと 何か特別な試運転車両が登場することを想像してしまいますが、定期列車が可部で乗客を降ろして 方向幕を「試運転」に変えて そのまま新線に乗り入れて折り返してくるということです。これなら多くの乗務員の訓練も兼ねて行えて効率的です。路盤固めにもいいでしょう。3月4日の開業まででも いつ行っても見られることでしょう。
さて 「音鉄」なる表現があることを知りませんでしたが こんなコラムもありました。
普段あまり気にしていなかった駅メロですが、これからは注意してみようと思います。なお三原駅在来線では確かに「かもめの水兵さん」が流れます。これは「かもめの水兵さん」の作詞者が三原生まれの竹内俊子(1905~1945)であることにちなんでいます。ところでこのコラムニストのお名前ですが ペンネームではなく実名です。腰に2本差していても似合いそうなお名前です。
最後は 当地ではよくある話です。
広行き最終電車153Mのようです。別の下り1本というのはこの153Mがそのまま呉行き2953Mとなるためであって同じ電車です。安芸幸崎・忠海間には道路も民家もなく山・線路・海という区間が長く続きます。多分そこでの衝突なのでしょう。153Mは22:46に忠海駅で146Mと交換します。対向ホームの忠海駅に進入できないということは進行方向左側にカバーが出っ張ったということになりますね。「石除けの金属製カバー」が何を示すのかがわかりませんが、いわゆるスカートだとすると イノシシにぶつかってカバーがひん曲がる電車は果たして何型なのかが気になります。115系は頑丈そうですし、最近登場の227系もトップの可部線の写真でもおわかりのようにそれほどヤワには見えません。となると105系ではないかと思われます。少々古い写真ですが 「マッサン電車」をご覧下さい。
イノシシに限らずシカとの衝突もよく起きています。これからの地方線区の車両にはかつてのアメリカ型蒸機のカウキャッチャーや路面電車の救助網のような「排障器」の装備が必要かもしれませんね。
いやはやひん曲がってホームにつっかえるようではキャッチャー機能を有するとはいえませんね。仰るとおり今後はいわば「ジビエキャッチャー」は必需品の装備になるでしょうね。
小生は北海道の列車で何度も急ブレーキを経験しています。大概は当たり所がよく数分程度で発車できますが、轢いてしまうとケースにもよりますが処理や車両点検で半時間ほど停まることになり到着が遅れます。少々乱暴ですが「撥ね飛ばす」くらいの頑丈なものでないとだめでしょう。
余談ですがそんなジビエの増加で線路脇に侵入防止フェンスが張られたため、かつてのいい撮影ポイントが台無しになったのは残念です。止むを得ないとは思いますが。
老通信員のおぼろげな記憶によりますと、地方線区といえば小野田線本山支線のクモハ42が浮かび、中古国電が走っているのが思い出されます。可部線には最新型が走っているのですね。三枚扉で似た顔の323系が今日24日から大阪環状線に就役しました。当分は三扉車と四扉車の混在ですが、上方(かみがた)人の適応力は阪神と近鉄のなんば線での混在で実証済なので何とかなるでしょう。
イノシシといえば、通信員が中学生のとき大阪市電の日本一(日本橋一丁目)停留所の西北に丹波篠山で採れたシシ肉を売る店がありました。冬になるとイノシシ数頭が枕を並べて店頭の路上に転がっていました。それを横目に北風吹き抜く寒い朝を登校する毎日でした。福知山線の一番列車でチッキの大阪駅留めで運ばれてきたのではと通信員は推測しています。千日前通りの電車道をはさんだ向かい側には小さな模型店があり、近鉄特急モ2303リクリエーションカーのOゲージの大きな模型がショーウインドウに飾って飾ってありました。クリームと紺の車体にEXPRESSマークがついているのを見るのが下校時の密かな楽しみでした。小学生のとき実車の前で撮った写真には号車札が見え「い」となっています。宇治山田行き特急の先頭車が定位置だので、いろはのいだったのでしょう。さてイノシシですが、同志社大学の近くマツモト模型の並びに、いまでも改進亭という猪肉店がありますね。