こんなモンもありまっせ! 投稿日時: 2017年6月10日 投稿者: 米手作市 久しぶりに投稿します。 この当時は自転車で行ける範囲で撮影していましたが、向日町付近が南限でした。この頃に向日町運転所が出来つつあり、旧型客車や新型電車など撮り放題でした。ついでながら阪急の写真も撮っていたようです。 向日町付近の特急 向日町付近のデイ100 この記事を共有:TwitterFacebook印刷 関連 関連記事: こんなモンもありまっせ! こんなモンもありまっせ! こんなモンもありまっせ! こんなモンもありまっせ! こんなモンもありまっせ! こんなモンもありまっせ!特注編 こんなモンもありまっせ! こんなモンもありまっせ!
米手作市様 こんなもんとはガラクタ市に出すような不用品のようなものと思いますが、これは貴重品です。吊り掛け車最後の頃の優秀車両(マルーンさん推奨)の姿で撮影年月日が不明ですが、大阪(梅田)-京都(大宮)間特急ノンストップ時代でないでしょうか。また、P-6はその特徴である独特の幌付きの2連です。両者ともに私が目覚めた時は710はロングシートにP-6は3連で幌なしの顔でした。私の自転車で出かけた南限は阪神の武庫川駅、北限は福知山線生瀬あたりでした。有難うございました。 返信 ↓
米手作市様 全く小生と時代が重なった写真に、心が躍りました。 P6群に切りこんだとの曰く付き?の710形、それを迎え撃ったP6、当時の京都線を支えた車両達ですね。 この頃はマダマダP6全盛で、必然とは言え、後には2300系一族に駆逐される事すら思いもよらぬ時代でした。 ところで、お写真には架線が鮮明に写っていて『我が意を得たり』とニンマリしました。 と言うのは当時の京都線のみで見られた変形コンパウンドカテナリーで、小生が折にふれこの件を『得意になって語って居る』わりにはそれが歴然と判る証拠写真が手元に無く、悔しい思いだったからです。 いい写真を見せていただき、ありがとうございました。 返信 ↓
河 昭一郎様、 過分なお褒めの言葉を頂き恐縮いたします。 こんなことを言うのは僭越ですが、私も私鉄より国鉄、それも客車しか興味が無く写真がほとんどありません。後輩諸氏のおだての言葉であることは十分知っているのですが、現役時代より今に至る軽薄な性格故に恥ずかしげも無く無知をさらしております。 『変形コンパウンドカテナリー』とはなんでしょうか?もしよろしければお教え頂けないでしょうか? いつもありがとうございます。 返信 ↓
米手作市様 『変形コンパウンドカテナリー』などと大袈裟に言ってしまい、申し訳ありません。 要は通常のコンパウンドカテナリーとは変って居たと言う意味でした。 正式な表現は不明で、『特殊な方式』などと表現している鉄道誌もあります。 ついでながら、以下に知ったかぶりを述べさせていただきますので先刻承知の場合はお許し下さい。 阪急京都線の架線は、通常とされている国鉄式よりトロリー線と補助吊り架線との間隔が広い(倍までの差は無いようですが。)と言うだけの事でした。 これが例の『名古屋進出規格』ではないかと考えられなくもないのが興味を引く対象でした。 返信 ↓
米手作市様 ちょっとばたばたしていましたら、何と素敵なお写真が・・・ 710の特急、P6の天神橋行き各停、阪急京都線の代表スター「お宝」ですね。 ところで、撮影された場所はどこなんでしょうか?行動南限が向日町とお伺いしましたが、国鉄向日町のことで、「ついで」に阪急「東向日町」へ行かれて京都方面に戻られたのでしょうか? 両列車とも下りですから、あの建物は?回りは何にもないですね。手前は川ですから、物集女変電所ですかしら?今の変電所は窓はありませんが・・・ 遡れば、向日町から向日市、洛西ニュータウンの開発、洛西口駅開業、同駅付近高架化、JR桂川駅開業等々付近は様変わりしていますから・・・ 昭和何年頃の撮影なんでしょうか? 何れにしましても懐かしい素敵なお写真を有り難うございました。 返信 ↓
河昭一郎様、 ありがとうございます。 なるほど、言われてみればよくわかります。気にしていないので見過ごしておりました。 名古屋進出、などという企みがあったのですか?これも気になり出しました。 マルーン様、 37年3月23日阪急向日町付近とメモをしております。1962年ですが、向日町とは国鉄のことで、阪急では東向日のあたりではないかと思われます。 なにぶんにも子供のことで、お許し下さい。 返信 ↓
米手作市様
こんなもんとはガラクタ市に出すような不用品のようなものと思いますが、これは貴重品です。吊り掛け車最後の頃の優秀車両(マルーンさん推奨)の姿で撮影年月日が不明ですが、大阪(梅田)-京都(大宮)間特急ノンストップ時代でないでしょうか。また、P-6はその特徴である独特の幌付きの2連です。両者ともに私が目覚めた時は710はロングシートにP-6は3連で幌なしの顔でした。私の自転車で出かけた南限は阪神の武庫川駅、北限は福知山線生瀬あたりでした。有難うございました。
準特急様、
これがそんなに貴重品とは知りませんでした!
この場所がどこだったのかを教えて下さい。
いつ頃の写真か、調べてみます。さすがは”なんでも鑑定団”ですね
米手作市様
全く小生と時代が重なった写真に、心が躍りました。
P6群に切りこんだとの曰く付き?の710形、それを迎え撃ったP6、当時の京都線を支えた車両達ですね。
この頃はマダマダP6全盛で、必然とは言え、後には2300系一族に駆逐される事すら思いもよらぬ時代でした。
ところで、お写真には架線が鮮明に写っていて『我が意を得たり』とニンマリしました。
と言うのは当時の京都線のみで見られた変形コンパウンドカテナリーで、小生が折にふれこの件を『得意になって語って居る』わりにはそれが歴然と判る証拠写真が手元に無く、悔しい思いだったからです。
いい写真を見せていただき、ありがとうございました。
河 昭一郎様、
過分なお褒めの言葉を頂き恐縮いたします。
こんなことを言うのは僭越ですが、私も私鉄より国鉄、それも客車しか興味が無く写真がほとんどありません。後輩諸氏のおだての言葉であることは十分知っているのですが、現役時代より今に至る軽薄な性格故に恥ずかしげも無く無知をさらしております。
『変形コンパウンドカテナリー』とはなんでしょうか?もしよろしければお教え頂けないでしょうか?
いつもありがとうございます。
米手作市様
『変形コンパウンドカテナリー』などと大袈裟に言ってしまい、申し訳ありません。
要は通常のコンパウンドカテナリーとは変って居たと言う意味でした。
正式な表現は不明で、『特殊な方式』などと表現している鉄道誌もあります。
ついでながら、以下に知ったかぶりを述べさせていただきますので先刻承知の場合はお許し下さい。
阪急京都線の架線は、通常とされている国鉄式よりトロリー線と補助吊り架線との間隔が広い(倍までの差は無いようですが。)と言うだけの事でした。
これが例の『名古屋進出規格』ではないかと考えられなくもないのが興味を引く対象でした。
米手作市様
ちょっとばたばたしていましたら、何と素敵なお写真が・・・
710の特急、P6の天神橋行き各停、阪急京都線の代表スター「お宝」ですね。
ところで、撮影された場所はどこなんでしょうか?行動南限が向日町とお伺いしましたが、国鉄向日町のことで、「ついで」に阪急「東向日町」へ行かれて京都方面に戻られたのでしょうか?
両列車とも下りですから、あの建物は?回りは何にもないですね。手前は川ですから、物集女変電所ですかしら?今の変電所は窓はありませんが・・・
遡れば、向日町から向日市、洛西ニュータウンの開発、洛西口駅開業、同駅付近高架化、JR桂川駅開業等々付近は様変わりしていますから・・・
昭和何年頃の撮影なんでしょうか?
何れにしましても懐かしい素敵なお写真を有り難うございました。
河昭一郎様、
ありがとうございます。
なるほど、言われてみればよくわかります。気にしていないので見過ごしておりました。
名古屋進出、などという企みがあったのですか?これも気になり出しました。
マルーン様、
37年3月23日阪急向日町付近とメモをしております。1962年ですが、向日町とは国鉄のことで、阪急では東向日のあたりではないかと思われます。
なにぶんにも子供のことで、お許し下さい。