こんなモンもありまっせ!

ゆっくり整理をしながら古い写真を見てもらうつもりですが、西村さんや河昭一郎様のリプライを拝見すると嬉しくてついつい連続投稿してしまいます。軽佻浮薄です。許して下さい。

まず西村さんの職員輸送用の気動車について

この当時はキハ05が働いておりました。他にも梅小路機関区より8620が手伝いに来ていたのを覚えています。


看板には「向日町操車場」と書かれています。


上の写真よりは後の頃です。

次は河昭一郎様へ
多分京都駅南側の大キト留置線です。お召しの編成が入り整備中です。記憶がハッキリしませんが、左端に奈良電か京阪の車両が写っています。もしお分かりの方がいれば車種を教えて下さい。
この頃は「京都駅南口」と言って奈良電ホームが細い通路でつながっていました。今は近鉄京都駅となってどちらが表か分かりません。御料車のあたりにあるパラボラアンテナは、今JR西日本京都支社のビルにあるアンテナですから堀川通りあたりになります。

 

5 thoughts on “こんなモンもありまっせ!

  1. 米手作市様
    またしても玉手箱からお宝画像が飛び出しました。気動車はてっきりキハ0643だと思っていたのは間違いで キハ0535だったのですね。改めて調べてみると 05の後キハ0642に代わり、最後にキハ0643に置き換わったことを初めて知りました。キハ05と言えば 我々の現役時代には北海道にしかいないと思い込んでいましたが、かつては広島や四国にもいたことを知りませんでした。この0535 雨どいがなくドアの上に水切りがあるだけの、質素な姿が何とも言えません。ハチロクですが 昭和39年に梅小路で写していた18670が昭和40年3月には向日町でボイラ代用になっているのを写しています。急造された運転区にはまだボイラ設備がなく、自走できるボイラを持ってきて 蒸気配管をつないで使っていたようです。ところで御料車たちは今どうなったのでしょうか。お召列車というものはもう二度と見れなくなったのでしょうね。大阪特派員氏がサハシ窓辺の三角折りナフキンに随喜の涙を流されたようで、もらい泣きしてしまいました。マイテ様 軽佻浮薄大歓迎です。連続投稿を首を長くして待っております。

  2. 西村雅幸様、
    向日町操車場はまだ工事半ばで足下はゆるく、線路もまだ敷き終わっていません。そんな中でも特急車両は集まってきて、その上大キトの客車も留置されますので架線の無い広場に車両が並ぶ、ちょうど模型のヤードを見るような状態でした。
    8620の写真も探してみます。
    端っこにチラリ!を指摘する名人の西村さん、お召しの左端にチラリと見える電車はなんでしょうか?教えてくれませんか?

    • 米手作市様
      申しわけありませんが私は奈良電か京阪かすら判別できない電車音痴です。ここは乙訓のご老人か葛飾におられるF大先生のご登場が待たれます。ハチロクはよろしくお願いします。

  3. 米手作市様
    『向日町操車場』でしたか。
    事実検証は未了ですが、ひょっとしてこの時期には『運転区』との呼び名が未だ決まってなくて、行く行くは『総合区』を意識していたため『気動車区』とも言えず、便宜上『操車場』としていたのかも知れませんね。
    大キトの写真、私ごとき者のために?アップしていただき、感激です。
    奈良電の京都駅は片田舎の終端駅の雰囲気があって、有名な京都駅に有ると言うのに本当にマッタリとした空気が流れていました。
    更に、京都駅の南口は控え目な佇まいで、駅舎も小ぶりで味のある平屋建てでした。
    また、京都駅の南側界隈は未だにひっそりとした雰囲気が残っていますが、今日の八条口コンコース等の喧騒は。当時想像だに出来ませんでした。

  4. 河 昭一郎様、
    このあと、いまの機関車館の西側に広がっていた本来の京都客車区の写真も準備中です。
    ところでお召しの左端に写っているのはなんでしょうか?ご存じならお教え下さい。カケラしか写っていないのでお分かりにならないかもしれませんね。この頃、奈良電の駅は国鉄のホームとは離れたところにあって貧弱な跨線橋でかろうじて連絡しているというような状態でした。おそらくそこが見えているのでは無いかと思いますが、まだ近鉄よりも京阪色が強い時代でした。

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