凍える大地への旅 2016年 Part19 青春18きっぷの旅 豊富⇒稚内

第11日目 12月19日 その2

② 幌延10:48(4325D)⇒11:56稚内

11:04 豊富を出発した4325Dは順調に終着駅を目指して北上を続け徳満到着です。
この駅もかつては木造駅舎がある千鳥式ホーム2面2線を擁していましたが1984年(昭和59年)11月のCTC化以降に無人化となり駅舎もホーム1面も撤去されてしまっています。

▲ 11:19 兜沼に到着、5分の停車で稚内名寄行きの4326Dとの交換待ちです。
稚内方行からキハ54-528がやってきました。

▲ 11:39 現存する日本最北・最古の木造駅舎、加えて最北の無人駅でもある抜海に到着です。1924年(大正13年)6月25日の開業ですので約93年間、厳しい北の風雪に耐えてきました。

▲ 11:46 抜海~南稚内は利尻富士を入れての最北の好撮影地でした。今も車窓から雄大な姿を仰げます。
車内のTVクルーも撮影に励んでおられました。

11:52 南稚内に到着です。(稚内側からの撮影です)かつては右側に3番線があり、側線も分岐していました。1922年(大正11年)11月1日に開業した時は稚内と呼ばれ位置も北へ約1㌔ほどのところにありました。現在位置になったのは1939年(昭和14年)2月1日からで駅名も南稚内になりました。

▲ 1969年(昭和44年)9月8日、DRFCの仲間たちと一緒に来た折の南抜内です。乗車したのは札幌21:00始発の急行利尻2号で前から2等客車5両+グリーン+AB寝台+B寝台+郵荷+荷の堂々の10両編成でした。南稚内到着は6:35となっていました。

▲ 6:35 次の終着駅稚内に向けて発車していくC55-16号機牽引の利尻2号です。

見送った後、抜海に向けて行軍です。
▲ 59603号機牽引の貨物列車です。鉄ちゃん道などない頃です。皆で背丈近くあるクマザサ茂る中をラッセルしながら撮影場所を探しました。一人ではとてもできませんが皆と一緒なら怖くはなかったですね。

▲ 多分、稚内8:03発の322列車と思われます。牽引機はC55-1号機、これも多分です。

▲ 11:56 終着駅稚内に到着です。

▲ 半世紀前に撮った写真を掲載したいのですが前後の30本ほどのネガが行方不明でありません。左は現場で掲出されていたレリーフの写真です。
▲ かつて見た時はまだ北へと線路は延びていましたが途中で切られていました。

12:48 昼食は日本最北端の稚内内駅で立ち食い駅そばです。
音威子府で食べそこねた駅そばはどんなのだったかと思いながら食しました。

▲ ホテルに荷物を預けてからまだ宗谷岬を見たことがないので行ってみました。遠くですが水平線の向こうに樺太を見る事が出来ました。
稚内港からは樺太コルサコフ港まで航路があります。所要時間は4時間30分で、繁忙期は毎週3便が出航しています。日本統治下時代に敷設された鉄道もありますので一度度は行ってみたい、もっと先の北の大地です。

③ 稚内駅前ターミナル13:20(路線バス)⇒14:10宗谷岬
④ 宗谷岬15:01(路線バス)⇒15:53稚内駅前ターミナル
▲ 夕日が染まる中を稚内へと戻りました。訪問するのはドームの稚内桟橋駅です。
Part20へ続く

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