◆ た~ちゃんの電車めぐり ⑥和歌山の国鉄瞥見

“た~ちゃん”の和歌山の電車めぐりは、前回で終わりましたが、渡されたアルバムには、最後に国鉄の写真が貼られていました。電車めぐりの際に、和歌山周辺で写されたものです。ご本人は、“行きがけの駄賃”の撮影のつもりでしょうが、国鉄車両に興味を示す私の立場からは、電車もさることながら、アルバムの最終ページに大きな価値を見出しました。おもに写されたのは東和歌山(昭和43年に「和歌山」に改称)で、戦前から電化済みの阪和線(阪和電鉄)の終点であり、そこから続く紀勢西線は、全くの非電化区間であり、電機と蒸機が出会う駅でもありました。△国産初の大型電気機関車として名高いEF52のトップナンバー機が東和歌山駅に顔を見せる。特徴あるデッキが白く塗られて、さらに大きく見える。


△紀勢西線の旅客を牽くC576、同機はずっと若番のC57として和歌山区に配置されていた。また一番違いのC577は、そのあとに紀伊田辺区に転属し、両機が並ぶシーンも見られた。
△和歌山機関区には、9両のC58が配置されていた。紀勢西線、和歌山線で客貨を牽いた。集煙装置、重油タンク付きの重装備機だった。△貨物は紀伊田辺機関区のD60が牽いていた。8両のD60があり、こちらも重油タンク、集煙装置付きの重装備。本州では珍しいD60の配置だった。
△EF52は9両製造され、うち2両がEF14に、残り7両が鳳機関区に配置されて、阪和線内で旅客列車を牽いた。私も同じ時期だと思うが、白浜温泉からの帰りに客車準急「くろしお」に乗り、天王寺に着いた時に見ると、立派なデッキを付けたEF52が牽いていて感動した。△いっぽう貨物はED16が牽いていた。当時、ED16は八王子、西国立に多くあり中央東線がおもな仕事場だったが、一部は鳳機関区にも配置されて、阪和線で貨物も牽いていた。△ED16に代わる新鋭機関車、ED60が新製配置されたばかりだった。もちろん茶一色の時代で、阪和線の貨物のほか、暖房の要らない時期には客車も牽いた。

 

 ◆ た~ちゃんの電車めぐり ⑥和歌山の国鉄瞥見」への9件のフィードバック

  1. 聡本家青信号特派員様

    あの~、電車はありませんでしょうか? 阪和線の電車に異常に興味があります。

    • 河さま
      さっそくのコメント、ありがとうございます。電車、と言っても国鉄の電車ですね。渡されたアルバムは一枚の写真もありませんでした。以前にも書きましたが、“た~ちゃん”が初めて和歌山へ行ったのは14歳、昭和27年でした。その時は、阪和線の急電に乗りたい一心だったそうですが、カメラは持ち合わせていなかったとのことです。第2回目以降は、今回のシリーズですが、私鉄電車の好きな“た~ちゃん”のこと、国鉄に眼を向ける機会は少なかったようです。

  2. 聡本家青信号特派員様

    さらに、もう一言。 ED38はこの時期には居なかったんでしょうか?

    • 河さま
      引き続きのご質問ありがとうございます。配置表を調べますとED38は昭和34年には4両の配置がありましたが、翌35年には配置無しになっており、この間に、秩父鉄道へ移ったようです。今回の撮影は、3回目の訪問の昭和35年3月ですので、転属した直後だったようです。

  3. 河 さん、御免なさい国鉄関係を無視のたーちゃんです。ED52は野上から京都の帰路にフィルム潰しでレンズを向けたものと思われます。そのころ、大阪駅の列車ホームの最西端部にED52が留置されているに気がついて、旗を振っているオッチャンに何のためにでっかいきかんしゃが置いてあるのだと、質問したところ、「夜に新聞や郵便を山陽線で送る荷物車の入れ替えするためにおいてあるのだ」と、返事をもらったように思います。この頃、阪神電車撮影、尼崎車庫に凝っていた頃で、昭和35年10月頃だと思います。写真は吉川さんに送ったように思います。また中学2年春に兄に連れられ天王寺駅でED38を撮った覚えがあります。京阪、城東線で阪和線ホームに到着、雨がしとしと降る中、EFと買収国電600型荷物車をホームで撮った覚えもあります。写真がどこかに保存されている筈ですから探してみます。

  4. オウボケのたーちゃんです。須磨の大人のお言葉を拝受、わが身の大歩危に気がついた。EF52の事をEDと打ちこんだ上、ED38としたのは1002号であったこと。つまり国鉄編入後もしばらく阪和時代の車号で走っていた走っていたのです。
    大阪駅の怪物入替車、覚えています。動いているところはみたことなしです。奥野御大になんのためにあんなもの引き込んだのや、と尋ねたところ、夜間の線路工事のためや、との返事を頂いたように思います。

  5. 乙訓の老人様

    EF52、ED38共に小生に取っては因縁の電機です。
    小学生だった1950年頃、初めて電機と言う物を見たのが後者で、当時広大な田圃を挟んで我が家の200メートルほど前方を左右に横切っていた東海道本線上を行く試運転の姿でした。
    今でも印象に残っているのは、そのホイッスル音で、初めて聞く電車や汽車とは別の『異音』に感激した記憶があります。
    更にその丸みを帯びた張り上げ屋根の車体にも甚く感心したものです。

    一方のEF52は小生も高校時代の1960年以降に通学途上の大阪駅で『遊んでいる』所を見ており、常識的には入換機と判っていても『何でこんなデッキ付きの大形機がこんな所で遊んどるんやろう?』と素朴な疑問を抱いておりました。
    考えて見れば、当時は入換に適したED17等の小形電機は飯田線や身延線で現役バリバリだったため、在籍両数が少なく性能上も運用上も半端状態のEF52が『姥捨て山』よろしく配置されていたんでしょうね。

  6. 乙訓の長老様、
    ”フィルム潰し”の撮影にしては角度、距離、光線全て完成度の高い作品ですね。
    これを目的の撮影だと思っていました。
    電柱入りでピンぼけの私の写真とは大違い!

    • 米手様
      “フィルム潰し”にも関わらず、原画はピシッと決まったいい写真です。本命ではなかっただけに、かえって肩の力を抜いて写されたからではないでしょうか。“た~ちゃん”の写真は、多く預かっていますが、かえって電車以外に価値のある写真があります。本人は“フィルム潰し”であっても、他人が見れば、価値があるものですね。

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