C56お召と機関車のペンキ書き

西村雅幸さんの2月7日[93389]「Carp油津駅新旧」に1900生さんがコメントされ、その内容に関係のありそうなC56のお召と順法闘争落書き機関車を見つけてきたので発表する。C5691、C5692は1972年(昭和47年)10月20日に運転されたが、私のは最後のお召蒸機となったC57117と同じ宮崎植樹祭の時のC11200+C5692であり、同型機ではなく異形式重連であった。撮影は1973年(昭和48年)4月10日である。

宮崎-南宮崎のお馴染みの大淀川橋梁を行くお召し列車 ▼

機関車だけをズームアップ ▼

 

次に機関車のペンキ書きであるが、鉄鈍爺さん、KAWANAKAさんと九州撮影旅行した時に都城支区で撮影した吉松区のC5785。この機関車とても九州のC57には見えないが、福知山からの転属機。福知山区時代からボイラ端面は角型で同区の特徴であった重油タンクは外されたがシールドビーム2灯に改悪され、その上に落書きがこのありさま。春斗勝利、〇生粉砕と書かれている。この他にも各地で同様のペンキ書きがが見られたがそういう時代であった。

1972年(昭和47年)5月2日 都城 C5785▼

 

ところで1900生さん、私は日南3号は撮っておりませんので是非披露してください。

 

C56お召と機関車のペンキ書き」への13件のフィードバック

  1. 準特急さま
    早速お召しのC56と落書きC57をご披露賜り有難うございます。C11とのお召しもあったのですね。これは気が付きませんでした。SLの落書きはテンダーへのものが強く印象に残っており、このC57などはまだマシな方ですね。それでも落書きや低速運転による遅延などはよくありましたね。ここまで書いて想い出しましたが、GWに九州行を計画していて遵法闘争のため止む無く取りやめ、改めて翌年に行くと日豊線のC61・大畑のD51・山野線のC56等が無くなっていたことがありました。
    日南3号の復活C57は昔の8mmフィルムでの撮影でした。実は昨秋のHCDでご覧に供するつもりでしたが、関先生のお話などもありましたので、多分時間がないだろうと見送りました。次の機会に見て頂きたいと思っています。

  2. 1900生様
    次のホムカミ総会は決まりですね。是非ムービーのC57急行は見たいと思います。以前上映された叡電の吊り掛け音など評判がよかったですよ。

    • 準特急さま
      そういって頂けると嬉しくなります。総会では他の方の発表機会のこともあり、余りしゃしゃり出るのもと控えており、余裕のある場合にさせて頂いておりました。ご迷惑でない範囲でお目汚しさせて頂きます。なおネットでの配信などの方法もあるようですが、諸般の事情でできないでいます。

  3. 準特急様
    C5785の写真ありがとうございます。福知山にいた頃梅小路で撮っています。テンダーに大書きしてあるのは記憶がありますが、シリンダーやデフは初めて見ました。C56とC11の重連があったのですね。ところで客車の神様井原様 お召車両は今どこでどうなっているのですか?車籍は残っていて、定期点検は続けられていて、いざとなれば走れるのですか?JR貨物の機関車が牽く?

    • 2017年4月1日現在、御料車・供奉車合わせて8両が東オクに配置されていますが、実際には大井工場に仕舞い込んでいると思われます。一般的には休車にすれば検査周期を延ばせますから皇室用車両でも同様にして安置しているのでしょう。いざとなれば走れるかもしれませんが、でももう走ることはないでしょうね。会計上、さっさと処分することが難しいのでしょうか。

      • 井原様
        よくわかりました。もう陽の目を見ることはなさそうですね。ありがとうございました。

  4. 西村雅幸様
    福知山区のC57は京都へ大阪へと顔出ししていました。大阪へ向かったカマは吹田ではなく宮原へ行き、帰りの仕業まで休んでいたと思いますが、私自身宮原は行ったことがありません。京都へ来たカマは当然梅小路で休息です。京都での下宿時代はその梅小路へは何度か行きました。ところで今回のペンキ書き機関車C5785のドームをよく見ますとC55のドームのようにも見えますが、これは福知山時代にドームの後ろを削って(?)重油タンクを取り付けていたものを九州では不要として外したので削った分ドームの形状が結果的にC55のそれに似たものになったものと思います。また、昭和40年代後半の蒸機の末期時代には廃車されるカマの補充で全般検査等に余裕のある他区のカマを思いもよらぬところへ転属させていた様です。東北のC61が九州に来たり、常磐のC62が呉線に来たのがおそらくその例と思います。関西からのC5736、C5789、C57127等々見慣れたカマを南国九州で再び見ることができて喜んだものです。

  5. 準特急さま
    日豊、日南のお召しを撮られていたとは、長いお付き合いをさせてもらっていた私としても、初めて知りました。たしか、この時も、お召しのダイヤが、雑誌などに公表されていたと思います。私もぜひ行きたかったのですが、昭和48年と言えば、会社に入って二年目、とても休暇など取れず、泣く泣く諦めた記憶があります。

  6. 総本家青信号特派員様
    総本家さんの福井国体のハチロクが印象に残っております。私は今でもそうですが情報に無頓着でして福井のお召も知りませんでした。宮崎の植樹祭は実は両親が招待され私も便乗して特急「富士」で現地入りしましたが宮崎の駅長の出迎えを受けた記憶があります。雨の楠ヶ丘(信)で撮った門デフC57117も最初で最後のお召し機でした。今回とりあげましたC11+C56の重連お召列車は昭和天皇、皇后両陛下が車内で立ったまま撮影者や見物者を見ておられました。

  7. 準特急さま
    昭和48年暮れだったと思いますが、南九州のSL末期に小生も楠ケ丘信号場でC57192号機の牽く上り貨物を撮りました。そんなに重い貨物レではなかったのですが、冬季でもあり凄い煙を吐いて登ってきてくれました。若かったので往きは山之口から歩き、途中にある鉄橋で年末年始臨の「高千穂52?号」を撮ってから楠ケ丘へ向かいました。還りは並んで撮った方のマイカーにご厚意で乗せてもらいました。
    これらのシーンも日南3号と一緒に観て頂けます。

  8. 1900生様
    そうでしたか。C57は貴婦人という愛称がついていますが私は「そこらのおばはん」と思っています。どちらかというと単線非電化区間の旅客を担当していましたが、日豊線や播但線では貨物も引っ張っていました。正しく働き者のおばはんといった感じでした。まだ先のことですがホームカミングデイは楽しみにして待っております。

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