プロ野球各球団はキャンプインし、まだ高校の卒業式も済ませていないルーキー達が連日マスコミにとりあげられています。もちろん広島カープも同様ですが、例年カープが合宿する日南市天福球場も連日カープファンで賑わっているようです。その天福球場の最寄り駅 JR九州日南線の油津駅駅舎がカープレッドに塗り替えられたという話題です。
この駅には今から約44年前の昭和49年3月に訪れています。日南線にC11を追いかけた時のことです。
この旅の行動記録が残っていないので場所がアヤシイのですが、これは多分油津駅だと思います。この日南線の旅で写したC11の最後の活躍の様子をご紹介します。
最後はピンボケ写真で恐縮ですが、どこかの駅で交換したC11のナンバーがどう見てもペンキ書きに見えます。C1186のようです。
C1186は昭和49年6月20日に宮崎区で廃車となっています。この写真は廃車の約3ケ月前ということになります。機関区の片隅で廃車になった機関車のナンバープレートが外されて、ペンキでナンバーが殴り書きされているのを見たことはありますが、現役の機関車がペンキ書きというのは初めてでした。かつては志布志、鹿屋を経由して国分まで大隅半島を鉄路で一周できましたが、今では志布志で行き止まりです。ただ海岸線の眺めは大きくは変わっていないことでしょう。Carp油津駅に無理やりこじつけた日南線の旅でした。
西村雅幸様
こじつけおおいに結構ですよ。かくいう私も広島東洋カープのファンでして原爆ドームの反対側の広島市民球場時代にも行きましたよ。ところで日本の国鉄蒸機も数々見てきましたがペンキ書きのは見たことがありません。国鉄蒸機はどんな機関車でも立派なナンバープレートが付いていました。海外にはアメリカの蒸機などにはペンキ書きのような機関車がありますし、探せばペンキ書きはあるのではないでしょうか。脱線しましたが、昔は幹線蒸機ばかり追いかけていた関係で福岡県の炭鉱の支線や日南線は全く乗ったことがありませんでそれなのにコメントして失礼しました。
準特急様
いつもながらすばやいコメントありがとうございます。関東のカープファンにも御礼申し上げます。私は学生時代、東北、北海道方面への旅が多く、九州にはあまり足が向きませんでした。炭鉱の支線や専用線、大分交通や鹿児島交通などの私鉄は一度も行ったことがありません。今になって悔やんでも始まりませんが、それだけ全国の鉄道が元気だったということでしょう。ただ現地情報が少なく、空振りを恐れて確実な所を巡っていたのかもしれません。良き時代でした。
こじつけ結構・・とコメントしようと思ったら、先に準特急さんが書いておられました。全く同感です。小生など随分こじつけ旅をしましたが、書き出せばキリがないのでそれはまたの機会にします。
本題に戻って日南線の想い出です。結局SLでは一度も訪ねませんでしたが、SL末期の昭和47年頃でしたか、日南線と妻線用のC56のうち91・92号機が重連でお召しを牽引したことがありました。c56が好きでしたので是非撮りに行きたくて色々画策したのですが、仕事の都合で実現できませんでした。普段のC56撮影も実行出来ていなかったので、後日鉄道ファン誌で綺麗に化粧直しされて日章旗を掲げたC56の写真を見て、ため息をついていました。宮崎近辺では急行日南3号のC57牽引復活はかろうじて撮りましたが、C61はついに間に合わずD51代走しか撮れませんでした。
機関車のペンキ書きといえば、例の順法闘争の最中にSLのテンダーに白ペンキで落書きされていた悲しい想い出が残ります。当時SLを撮っておられた皆さんも悲しい想いをされたと思います。
ペンキ書きのナンバープレートですが、有名だったのは、鹿児島機関区時代のB2010でした。形式入りの大きなナンバープレートを付けていましたが、実は、ベニヤ板にペンキ書きしていました。写真にすると分からないほどの精巧な造りでしたが、現地で見るとはっきり分かったものです。同機は、いま梅小路蒸気機関車庫に保存されていますが、いまは、砲金製のプレートです。もっと、ひどかったのは、若松機関区の88623です。同機は、化粧煙突、デフなし、形式入りのナンバープレートと、ハチロクの中では完璧なスタイルを誇っていました。それが、あるときに室木線行って、同機に再会すると、正面にナンバープレートがなく、なんと、煙室扉に直接、ペンキでナンバーが書かれていました。機関士に聞くと「盗難に遭った」とのこと、美しかったカマだけに、蒸機の末期に横行した、犯罪行為に心が痛んだものでした。