客車のある風景 ~フィルムの片隅から~ 〈8〉

夜の客車

今では死語に近くなりましたが、“夜汽車”という言葉があります。窓から洩れる室内灯、照らし出された乗客の姿、発車ベルが鳴り終わり、一瞬の静寂のあと、耳をつんざく汽笛、ゆっくりホームを離れていく列車…、これは、もう客車でしか演出し得ない、夜汽車のイメージではないでしょうか。
なにゆえ、夜の客車は、絵になるのでしょうか。やはり白熱灯の暖かい光があります。もちろん蛍光灯の客車もありましたが、客車は白熱灯に限ります。加えて一枚窓が連続して続く規則性、また、ブドウ2号の濃い塗装が、窓とのコントラストを出している。これらが相乗して、哀感さえ漂う夜汽車のムードを演出しているのではないでしょうか。
九州の名物夜行鈍行門司港~都城の1121レ、1122レ、早朝を走る1121に比べて、ずっと夜間の1122は、見どころは少ないが、時間調整もあって、とくに吉松~人吉の各駅では停車時間が長く、バルブ撮影に適している。ここ大畑は、周囲に一軒も家もなく、漆黒の世界がひろがるが、D51 1058の前照灯と客車から洩れる光だけが、“夜汽車”の雰囲気を演出していた(昭和45年9月)。

こちらは吉松~人吉のサミットとなる矢岳駅、ここでも1122レは約20分の停車、時刻は23時近く、もちろん乗降はゼロだが、駅は照明が煌々と付き、駅員も勤務している(昭和45年9月)。鹿児島本線の電化を控えた西鹿児島駅、客車列車と荷物列車を併結した1042レが発車していく。牽引は、C60 26+C57 22の重連、フィルム感度が低い時代、何とか無理やり1/30秒で、連なる座席車の窓が流れていくのを写し止めた(昭和45年9月)。


代わってこちらは北海道、北見駅。網走発札幌行きの「大雪6号」は、北見で24分の停車、ここまでは普通列車、ここからは急行になるためか、牽引機もC58 391からD51 1077に代わる。3月とは言え、スハフ44 13の二重窓もしっかり閉められて、窓ガラスは曇っている。暖かな室内に戻りたくなって、そそくさと撮影を終えた(昭和46年3月)。磐越西線日出谷駅、折返し列車も多く、給水設備も見られる。C57 35の牽く234レは、ここで21分の停車。窓を開けて、車内の人間と話ができるのも客車の魅力(昭和44年8月)。
筑豊本線の始発列車、C55 52牽引の1724レが、原田駅の筑豊本線ホームに早くから据え付けられている。横を鹿児島本線の列車が光跡を残して通過する。スハニ32 30は照明に照らされて鈍く輝く(昭和46年12月)。

 客車のある風景 ~フィルムの片隅から~ 〈8〉」への2件のフィードバック

  1. 総本家青信号特派員様
    猛暑が続く中、総本家さんの客車シリーズは一服の清涼剤です。対抗して私も投稿しようと思ってはいますが、何せ車両中心でこのような写真まで気が回りませんでした。しかし、今回の作品はどれも夜汽車の雰囲気がよく伝わってきて懐かしいです。時間もかかり不便であったはずですがとにかく客車には解放(開放)的な旅の楽しみがありました。それにしても停車時間があったとはいえ三脚持ってよくホームに出られたと思います。発表された列車では門司港~都城の名物列車は肥薩線内はハチロクが牽引していた時代がありました。網走発はC58→D51→C62と牽引機がかわっていったことは以前お話したことがあると思います。毎回、いろいろ探していただき有難うございます。

  2. 準特急さま
    清涼剤が効いたのか、今日の東京地方はずいぶん涼しかったようです。客車列車の時代は、10分、15分の停車は平気でありましたから、それが夜なら、三脚を抱えて、バルブ撮影を楽しんでいました。同行者がいる場合には、お互いに刺激しあって行くこともありましたが、一人の場合は、つい面倒になったり、乗客の視線も気になって、撮影をためらうこともありました。門司港~都城の夜行鈍行ですが、肥薩線八代~人吉がハチロクの牽引でしたか。私が行った時はC57に代わっていました。夜行列車を牽くハチロクも見てみたかったです。

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