準特急さんとマルーンさんのコメントの返事にかえて 近鉄田原本線

 準特急さん、マルーンさん コメントありがとうございました。準特急さんは刺激を受けて近々田原本線を撮影に来られるようですが、総本家青信号特派員さんもコメントに書かれているように地味な路線なので撮影ポイントが見つけにくい路線でもあります。私は時々乗る時の車窓から見る風景を参考にして、ストリートビューで大体の目途を立てます。最終的には現地でうろうろして撮影ポイントを決めています。最近、近くなのでチョコチョコと撮りに行ってますが、以前はほとんど撮っていませんでした。意外とそんなもんです。参考になるかわかりませんが少しばかり写真をご覧ください。

まず新王寺と大和田の間ですが、写真は王寺の町のところです。町のところと言ってもそんな感じはしませんね。しかし、写真を撮っている背後は住宅地なのです。

撮影場所は総本家青信号特派員さんがコメントに載せた故Nさんの最初の写真にある左側の住宅がある辺りではないかと思われます。あまり、変わってないように見えます。しかし、あっという間に集合住宅などが建ってしまいます。この写真は2012年4月の撮影ですので、もうこのような風景ではないでしょう。ストリートビューで見ると右側のブルーシートのようなものがあるところは建物が建っているようです。手前の田んぼはそのままのようですが、いまはどうなっていることやら。

 次の写真は大和田駅から少し田原本方面へ行ったところです。2014年11月の撮影です。

11月の午後4時頃ですので夕日に近くなっているので赤っぽくなってきています。24mmの広角で撮ったので広く見えますが、実際のところはそんなに広くない所です。

 総本家青信号特派員さんが行かれた箸尾駅は交換ができます。もう一つの交換駅は大和田駅で、田原本線は2駅が交換駅になっています。

 前回の投稿で最後の写真は但馬駅から田原本側へ歩いたところにある橋です。この橋は但馬を出てから二つ目の橋です。以前、西村さんがこちらへ来られた時に奈良方面でどこか案内をということで、田原本線を乗車したこともないということで案内することにしました。実は私もそんなに知らないのでいい機会なので事前に撮影場所を選びに行きました。池部、箸尾、但馬の各駅周辺を選んでいましたが、なんとなく何かありそうな但馬駅にしたのですが、結構大当たりでした。お地蔵さんの傍にあった鉄橋には刻印がありました。

西村さんが発見したものです。帰宅されてから早速調べられて連絡がありました。イングランドのドーマンロング社という鉄鋼、橋梁会社だそうです。調べてみると日本国内にドーマンロング社製の橋梁が鉄道橋や道路橋として多く存在していることがわかりました。しかし、大和鉄道建設時に輸入しいたかどうかはわかりませんでした。大和鉄道の社史はなく「信貴生駒電鉄社史」に含まれています。それによりますと「ところが、欧州大戦による鉄材不足のため、軌条が入手困難で、百方手を尽くしてすえ、大正5年8月鉄道院から払下げを受けることとし、」とあることからこの橋梁も払下げられたものでしょう。資材高騰などにより資金難となり、そこへ暴風雨と洪水で大きな被害を受けました。資金難の上にこの被害で開業前から絶体絶命のピンチです。2両の機関車の内1台を売却し、借入金の担保になっている軌条まで処分しようとしていたのです。そこで奈良県出身の大富豪中村準策氏よりお金を借りて何とか開業にこぎつけたということだそうです。まあ、これぐらいしかわかりませんでした。他にも中古の橋梁がありそうなのですが、調べていないのでわかりません。

終点の西田原本駅は総本家青信号特派員さんのコメントにあるように大和鉄道時代のホームが残っています。

ご覧のようにしっかりと残っています。ところで但馬駅にも古いホーム跡がありました。これも西村さんが見つけたのですが、今になって考えてみるとおかしいのです。

国土地理院の昭和32年に鉄道表記を修正した地形図には但馬駅はないのです。ウキペディアでは昭和7年(1932年)に開業とありますが。これはミステリー、ミステリーであります。

それでは最後にマルーンさんご所望の地蔵さんとの写真、これは生駒線ですが。

準特急さんとマルーンさんのコメントの返事にかえて 近鉄田原本線」への6件のフィードバック

  1. どですかでん様
    田原本線は短い路線ですが見所が多そうですね。24ミリ広角の秋の夕景はよろしいですね。イギリスのレールも見たいですがまず青いやつを捕まえたいですね。9月8日に高校の同窓会が宝塚であり、その翌日あたりに田原本線を表敬訪問してこようと思います。

    • 準特急様 コメントありがとうございます。9月9日に田原本線を訪問されるとのことですが、残念ながら某会の長岡京評定があるのでご一緒できません。涼しくなったので10日の午後から田原本線に行ってきました。以前から気になるところがありまして、それは池部駅そばの川合町の役場にある入口にある門です。役場のところは大和鉄道建設に尽力した森本千吉氏の邸宅と庭園だったところで、一部分が保存されています。入口の門がそれにあたります。電車と門の写真を一緒に撮るのは苦労しました。持って行ったのはコンデジだったので秋にもう一度撮りに行こうと思っています。池泉式回遊庭園も残っているのでちょっといいのではないかと思っています。箸尾まで歩いたのですが高田川の鉄橋があるところは桜並木でした。春もまた良しです。戻ってきて、1枚目の写真のところへいきましたが、築堤の手前に白い家が建っていました。ちょっと風景は変わっていましたが、うまくとればそんなに悪くないかもしれませんが写真を撮るには難しくなりました。

      • どですかでん様
        長岡京評定は重要会議と聞いております。どうぞ、激論を戦わせてよき結果を導いて下さい。先月は猛暑の中、この長岡京付近で撮影しましたが、地元である総本家さんは差し迫った原稿作成で超多忙であり出動されませんでしたが、私はほとんど単独行動しております。9日もそういうつもりです。ところでどですかでんさんの沿線の近代史をからめながらの撮影姿勢に感心しております。ボーとしながら徘徊している私ももう少し勉強しておけばと思いますが、今回は事前にガイドしていただき有難うございます。土砂降りにならない限り話題の田原本線に行ってまいります。

  2. どですかでん様
     お地蔵様と近鉄電車、有り難うございます。
     大和の国は、ある意味「日本の原風景」かと、勝手に思っております。
    のどかな田園風景やお地蔵様が近鉄電車と相まって、心のふるさとを感じさせてくれるのでしょうか?

  3. どですかでん様
    念願の近鉄田原本線に行ってきました。停滞する秋雨前線の影響で青空を拝めずアクティヴ写真を試みましたがパッとしませんでした。これも日頃の行いがよくないからこうなったのでしょう。お目当ての塗装電車が入線しておらず平端駅で調べてもらったら16時前に入線するとのことで時間的余裕がなく諦めて帰りました。

    • 天候が悪く残念でしたね。今日は朝から午後1時頃まで本格的な雨でした。特に御膳11時頃はドシャ降りです。ところで8月に午後から田原本線に写真を撮りに行った時もダークグリーン塗装の電車は午後4時頃に撮ったので夕方の本数が増える頃に入線するようですね。この投稿の最初の桜と地蔵堂と電車を撮った写真と同じところで撮ってみました。白い壁の家が目立ちますが、撮影ポジションを変えればいいかもしれません。

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