産経新聞に連載されていた、関三平先生の『昭和の電車』が新聞社の都合で打ち切られてしまいました。永年、記事をデジ青に転載させていただいていたご縁で、関先生と数回飲み会を開いて懇親を深めてきたこともあって、先月、関先生の慰労会を長岡京駅前の高級料亭を借り切って開催しました。
その時、参加者から『全ては見ていない』『もう一度見たい』との声が出ました。
実を言うと全回分を掲載していませんでした。それは最初の数回は見てるだけで掲載するつもりはなかったのです。でも、4~5ヶ月してから、これはみんなに見てもらったら面白いかも、と思いつき掲載を始めたのです。この当時は月に二回のペースでしたから8回ほどの記事が未掲載になっていました。その後も私の見落としやファイル忘れなどで何回かは未掲載となりました。あるときから、掲載忘れを関先生からご指摘があり、作者の先生にご覧頂いていたことを初めて知りました。
この度の飲み会で改めて全回分を再掲載してはどうか?と言うことになって、欠落分の補充をする事にして保存していたファイルを確認したところ、十数回の欠落と画質不良が分かりました。これらの原稿は関先生がお送りくださり、画質不良分はスキャンのやり直しで高画質化して準備が完了しました。
ところが、代理投稿のご依頼が重複して入って来たため、ずらしていましたが「中村進一作品」が峠を越えたのと、次の「乙訓老人再生プロジェクト」の着手が予定されているので投稿者名が重なるのをお許し頂いて掲載していくことに致しました。
関先生は皆様からの辛口のツッコミを楽しみにご覧になっておられます。ぜひとも皆様の思い出と批評などを遠慮なく書き込んでください。
これは、これは懐かしい!
昭和30年代と言えば我が中学~高校時代の真っ只中。
興味旺盛でも『勉強、勉強』の時期で、当時私の守備範囲であった神戸、大阪ですらチラ見しか出来ずに終わってしまい、今更ながら悔んでおります。
後年、ハタと気付いた時には、楕円形窓の神戸市電、流線形の大阪市電900形の写真記録が皆無に近い(流線形大阪市電は1、2枚で、楕円形窓の神戸市電はゼロ)のに気付いた時には既に遅しでした。
ところで、今回の関先生の解説で、900形の横っ腹が東急のステンレス5200系並に膨らんでいた事を初めて知り、自身の不注意を悔いております。
それはそうと、背景の阪急百貨店には涙が出そう(笑)です。
折に触れ、買い物は大阪へ出るのが『一大イベント』だった頃、先ず入るのが此処で、思い出が一杯。次いで『阪神マート』に寄ったものでした。
それでは河様が再び涙がでそうな写真を。写真を撮ったのは私の父だと思います。フィルムはKONIPAN SSです。どうやって撮ったのかわかりません。三脚を使ったのかどうか。同じフィルムに飲食店外でのスナップ写真があります。もちろん、夜です。そうすると手持ちで撮った?阪急百貨店の写真にはかすかに右側に市電が写っています。また、正面にはバスが写っているのですが、ちょっと形が古めかしい。推測する撮影時期から考えると、どうもトロバスではなさそうです。コマ劇場の形がしっかり写っているのも懐かしいものです。
子供の頃の大阪の思い出は、正面を出たところにカーキ色の幌をかぶった人力車が並んでいたことと、スマートな市電、それもまーるい形の車体が印象に残っています。たぶん900型でしょうか?阪急百貨店の大食堂でのソフトクリームも忘れられず、いまでも見たらソフトクリーム、バニラに限ります!間違っても白桃味などというものは邪道です!
どですかでん様
は~い、涙がチョチョ切れましたヨ。(笑)
御尊父の夜間撮影スキルは抜群ですネ。
実は小生のカメラ歴は小学5年生位の時からで、カメラは父のコンタフレックスでした。
中学、高校もそれが続き、その後の大学時代にはアサペンSVを愛機に加え、2台のカメラで鉄道撮影はもとより写真研究部での活動経験もありますので、この時代にこれだけの夜景をモノにする腕前に感心する事しきりです。
暫く留守をしていまして、デジ青の投稿が盛沢山。これから拝見させて頂きますが、
米手様、関先生のシリーズ再掲、ありがとうございます。嬉しくてたまりません。ヨイショっと⁉
どですかでん様、阪急梅田ビルの夜景、こんなんだったのですね❕
撮影された御父君に感謝です。阪急のマークや阪急航空ビルやコマ劇場や北野劇場、梅田劇場等(今のHEP)が歴史を感じます。
マルーン会長様、
一テンポ遅れたコメント、ありがとうございます。
先週末に家内を連れて一テンポ遅れて明知鉄道に乗って明智まで行ってきました。当然かんてん列車でかんてん弁当を食べて、岩村駅で降りて昨年マルーン会長が試食品を食べ尽くし、お茶まで飲み尽くした上にナニも買わずに帰ったと言い伝えられているカステラやさんによってよくお詫びをしておきました。もちろん私たちも試食品をいただき、お茶を飲みましたが帰りにカステラをしこたま買ってお詫びと賠償にしました。気にしないでください。
大阪市電901型に関しまして関先生から補足説明文が郵送されてきましたので代理投稿させていただきます。
901型はデザインはユニークではあるが、もう一工夫できなかったのかとの不満も残る出来栄えの車だと思います。しかし、戦前戦後の赤一色にクリーム色窓枠の頃の姿は、私にとっては「出色の電車」との思いが強く、ずっと関心のあった車両です。このイラストは大阪駅前の「今里行き」を描いたものですが、掲載と同時に読者からお褒めの言葉を頂いてうれしかったのですが、『・・・但し、901型がこの運用に使われたことはありません』と書き添えられていました。たしかにこの運用には大型の1601型が当てられていましたが、しかし、実際に901型が運用されているのを私自身は数度目撃しています。配車の都合でこうなったんでしょうが、この様に定説と現実とが違っていることは多々ある、その一例だと思いました。
901型は買収線区の三宝線(元・新阪堺電軌)にも入線しており、大和川や大根畑や農業用風車の間を走る姿にはひときわ愛着を感じています。