という写真集を手に入れました。でも私には手に負えません。英文だからです。写真はとてもきれい、カラーと白黒のすばらしい写真です。
どなたかほしいという方に差し上げます。内容は1920~40年代のアメリカの蒸機写真集です。
お申し込みはこの欄へのコメントでお願いします。
という写真集を手に入れました。でも私には手に負えません。英文だからです。写真はとてもきれい、カラーと白黒のすばらしい写真です。
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先日四条通を歩いていて、山陰線高架下でふと思いました。
地上にあった頃、この踏切はヨーロッパにあったようなレールの上を横にころがす式の遮断機だったような記憶があるのですが記憶違いでしょうか?
もう一つ、南側を見ると嵐電の高架が見えるがこの高さでは山陰線の高さをクリアできない。どうなっていたのか?
以上二点についてご存じの方にお答えいただきとうございます。
【9057】北の大地へ2010年初夏編 Part4 富良野線、狩勝峠のなかの狩勝峠で、特派員氏とぶんしゅう氏が旧線を探しておられるのを見て手元の古い資料を探してみた。須磨の大人風に言うと「またぶんしゅう氏の挑発に乗った」ということになる。
撮影はいずれも昭和40年8月、早朝の信号所からクマザサをかき分けながら登ること3時間、頂上(らしいところ)に到着したが深い霧で足下もおぼつかないほど。待つこと一時間、その間ドラフト音は聞こえるのに見えないのがつらかった。するとアッというまに霧が晴れた。そこで見たのはこの世とも思えぬ大眺望!いまでも人生最高の眺めであったと確信している。
さて、ぶんしゅう氏と特派員氏が見たのもこの眺望だろう。見比べてみていただきたい。
湯口徹氏へ 52年前の海底トンネルの県境の写真、ありがとうございました。私はいつまで学生
服を着ていたか憶えていません?
喜々津ー大草間は湯口氏の記事の通り、誘われたに違いありません。3月22日(土)
夜門司駅で待ち合わせ、3月23日(日)昼過ぎ湯口氏と別れ、私は一旦京都へ帰っ
て3月28日(金)午後出発、夜行で九州へ。
29日(土)午後海老津の駅で再会し、翌3月30日(日)に喜々津ー大草へ撮影に
行ったということです。
佐竹保雄
珍しく日付があるので見ると、昭和40年5月14日二条駅と記録されていた。それだけでどこから来たのかはわからないので教えてください。なお、KH生氏が書いていたが天皇の公務旅行は「行幸」で、皇后や皇太子の場合は「行啓」と書かれます。
KH生氏も書かれていたが国鉄職員のお召しに対する心意気はたいしたもので、その点を写していたのでお見せします。
▲二条駅に到着のお召列車 本務機DF50529 前補機DF50528[米]
▲到着後すぐに引き上げるため整列して待つ整備員。
▲左:本務機DF50529,右:補機DF50528
19日午後2時ごろ、滋賀県近江八幡市のJR東海道線篠原駅を発車した米原発網干行きの普通電車で、運転席のブレーキレバーが根元近くで折れ取っ手が外れた。運転士が残ったレバーの付け根を指先で操作し電車は急停車した。乗客約150人にけがはなかった。
JR西日本によると、ブレーキレバーは鉄製で丁字形をしている。根元の直径は約2センチで、付け根から取っ手までは約15センチ。車両は223系で1997年に製造されて以来、レバーの交換はしていないという。運転士が発車させるためブレーキを緩めた際に折れたとみられ、同社が原因を調べている。
JR西日本によると、電車は篠原駅を出発後、約140メートル先で急停車した。乗客は後続の電車に乗り換えた。
(47NEWS 5/19より)
記事には運転台におれたブレーキハンドルを置いた写真がでていた。見たところ金属疲労でポッキリ折れたようで、JR-Wはまたたたかれるのか?
北の独裁者・金正日将軍様が宗主国の王様にご機嫌伺いに行ったニュースはご覧になったでしょう。
あのオッサンの乗っていた列車のすごさに驚きました。
手入れの行き届いたC+C片運転台のDLが背中合わせに二両つながった、DF+DFの固定編成と思われる機関車に牽かれた17両編成の特別列車でした。客車はおそらく22mくらいあるのではないでしょうか。中には窓配置から食堂車と思われるものや寝台車ではと思えるものなどじっくりと見てみたい限りです。独裁者というものは疑い深いので飛行機より鉄道を利用すると新聞に書いてありましたが、それならあの悪名高い将軍様も趣味としては我らの仲間といえるのではないでしょうか?
どなたかあの列車の情報をお持ちでしたら教えてください。かつて北鮮に潜入して調査をした「準特急」さん、いかがでしょうか?
昨日淀屋橋から特急に乗りました。いつものことでなにも変わらないことですが、ふと疑問が浮かんだのです。
このホームにはタテに2列車が同時に止まることがあります。1列車は8両、2本で16両。新幹線と同じ両数です。18mと22mの違いはありますが約300mほどにはなるのでは?
一本のホームでこれほど長いものは私鉄では他にないのでは?と思うと調べなくてはおられません。早速ネットで調べましたが京都駅旧1番線ホームは出ていますが私鉄で一番長いホームの記録は見あたりませんでした。
そこで京阪お宅、いや京阪ファンの物知りの方にお尋ねします。淀屋橋は日本の私鉄では一番長いホームですか?違ったらどこが一番長いのですか?
教えて下さい!
今日、準特急氏と久しぶりに雑談する機会を得ました。全国を巡礼して回る途中とのことで学生時代の悪行を懺悔しているのだそうです。雑談も後半に入った頃、準特急氏が言いました。「どうして常連以外の会員からの投稿が増えないのだろうか」
私は答えました。「パソコンの使い方がわからんのだろう。なんせガリ版しかシラン世代やからな」
準特急氏「須磨の大老や乙訓の長老かて使っているやないか」
私「・・・・・・・」
鉄道に関する知識なら鉄道趣味界の人間国宝、世界遺産、ワシントン条約保護生物と称される至宝であるが、この諸先輩方がデジタル時代に適応していけるとは思ってもいませんでした。だが言われてみると確かにご両所だけではなく丹頂鶴氏もすばらしいHPを作っておられるではないか!ということは何かほかに投稿しづらい理由があるのではないかと考えました。準特急氏が千鳥足で去っていくのを見届けてから急いでこのHPを開けました。するとなんと言うことでしょう!ぷるぷる氏も同じように悩んでおられたではないですか。そしてもう投稿しないとすねておられる様子。そこで大阪通信員氏に電話してみました。氏もこのところ投稿がないお一人ですから。案の定帰ってきた言葉は「新しいアップローダーの使い方がわからへん。最近頭のメモリーが不足気味と、CPUの計算速度がついていけないんや。なにせ頭はまだwindows95のままやから」とのたまわっている始末。「近くの日本橋へいって最新型windows7にかえてください」といって電話を切りました。
幸いにも管理者jrが解決策を考えてくれるとか。これでROM生活を送って書かない会員諸兄からも投稿がぞくぞくと入る日も近いのではと安心しました。
読むだけで批評ばかりしているあなた、投稿してみませんか?近況報告一行だけ書いても楽しいものですよ。待ってます。
大阪府寝屋川市と京阪電鉄は25日、昭和9年に製造され「びわこ号」(60形)の愛称で親しまれていた車両を復活走行させると発表した。
昭和45年の引退まで大阪・天満橋-滋賀・浜大津間を運行した人気車両。10年前から寝屋川車両工場に保管されており、市が活用を提案した。
復元に必要な数千万円の費用は市民から寄付を募る。イベント車両として走らせるほか、グッズ販売も。市は「寝屋川を鉄道ファンの聖地にしたい」と話している。
産経イザ3/25より転載
古い写真の整理を続けているが不思議なものが写っていることに気づいた。
時は1961年11月20日、場所は鷹取工場。母方の郷里へ往復するときにいつも車窓から眺めていた鷹取工場は不思議の国だった。いつも違った機関車や電車が並んでいたがどれも見たことがないものばかりだった。しかし列車は早く通過するためいつか見に行きたいとの思いが募るばかり。でも、その頃大阪より西は降りたことのない未開の土地で、言葉すら通じるのか不安であった。中学に入ってそこが神戸市の一角とわかり、もはや人食い土人の餌食になったり子捕りにさらわれることはないと確信したので出かけることにしたのだ。今なら大事になって夕方の6チャンネルで放送されるだろうが当時は鷹揚なもの、ホームから線路を横切って列車から見ていた金網に近づいた。早速おそるおそるカメラで撮った写真がこれからご覧に入れる数枚。
ED38とつながっている廃車蒸機がそれだ。233または238と読めるB6の後ろ、須磨の大老お得意の機関車ではないかと思われるがどうも鉄連の徽章がついているように見える。ぜひともご解説をお願いいたします。
お礼の印にそのとき撮った写真を添付します。
長老と大老が永年秘匿してきた機密書類の保存期間が解けたのか公開されたようだ。そのなかに鳥羽快速に関する供述があり、そこで小生の写真に関する箇所が出ている。それは昭和38年3月に亀山機関区で撮った、六軒事故の証拠物件機関車の写真である。いまなら考えもつかないことだが証拠品が雨ざらし日ざらしで駅の構内に留置されていたのである。恐ろしい事故の被害者たちの声が聞こえるようで身をすくめながら撮ったのを覚えている。
当時のことを知らないが長老や大老におかれてはどちらの機関車が突っ込んだのか、当時の状況をご解説いただければありがたく存じます。
(上)左側がC51172、右側がC51101
(上)C51101のキャブ
(上)C51101(先輪はない)
(上)C51172キャブが(浮き上がっている)
長老あこがれのc51100のおいど。この日C51100は頭を機関庫に入れていたのでお尻を撮った。ナンバープレートとクロームメッキされたテンダー周りの上部縁がピカピカに光っていた。
共同通信ニュースより
2000年度から10年間に全国で廃止された鉄道は一部廃止を含め、30路線で計約635キロに上ることが5日、国土交通省のまとめで分かった。大半はローカル線で、東海道新幹線東京―新大阪間を上回る鉄道が消えた計算。乗客減による赤字が原因で、政府の高速道路無料化が実現すれば、廃止がさらに増える可能性もある。
過疎化に加え、燃料費高騰や車両・施設の老朽化で地方の鉄道会社の経営は悪化。00年3月、地元合意なしに廃止できる規制緩和がされ「ハードルが下がった」(国交省)ことも一因とみられる。「足」を失い暮らしに影響が出る地域への対策も大きな課題だ。
廃止された鉄道や路面電車30路線(貨物路線を除く)のうち6路線は、旧国鉄再建のためバスに切り替え対象となった路線を第三セクターなどで継承した。神岡鉄道(岐阜、富山)や三木鉄道(兵庫)などで、廃止距離は全体の約半分を占め、維持の難しさを示した。
廃止距離の最長は、北海道ちほく高原鉄道(140キロ)。
★────────────────────────────────── [ 番 組 名 ] にっぽん木造駅舎の旅「高野山駅・学文路駅・貴志駅・鳥居本駅」 [チャンネル] BS1 [ 放送日時 ] 2009年12月30日(水)午後3:10~午後3:25(15分) [ 番組HP ] http://www.nhk.or.jp/ekisya/ ★────────────────────────────────── [ 番 組 名 ] にっぽん木造駅舎の旅 日本縦断100駅すべてみせます! [チャンネル] BS1 [ 放送日時 ] 2009年12月31日(木)午前0:10~午前0:55 [30日(水)深夜](45分) [ 番組HP ] http://www.nhk.or.jp/ekisya/ ★────────────────────────────────── [ 番 組 名 ] にっぽん木造駅舎の旅 日本縦断100駅すべてみせます! [チャンネル] BS1 [ 放送日時 ] 2009年12月31日(木)午前1:10~午前1:55 [30日(水)深夜](45分) [ 番組HP ] http://www.nhk.or.jp/ekisya/ ★────────────────────────────────── [ 番 組 名 ] にっぽん木造駅舎の旅 日本縦断100駅すべてみせます! [チャンネル] BS1 [ 放送日時 ] 2009年12月31日(木)午前2:10~午前2:55 [30日(水)深夜](45分) [ 番組HP ] http://www.nhk.or.jp/ekisya/ ★────────────────────────────────── [ 番 組 名 ] にっぽん木造駅舎の旅 日本縦断100駅すべてみせます! [チャンネル] BS1 [ 放送日時 ] 2009年12月31日(木)午前3:10~午前3:55 [30日(水)深夜](45分) [ 番組HP ] http://www.nhk.or.jp/ekisya/ ★────────────────────────────────── [ 番 組 名 ] にっぽん木造駅舎の旅「能登鹿島駅・阿漕駅・加太駅・加賀一の宮駅」 [チャンネル] BS1 [ 放送日時 ] 2009年12月31日(木)午前4:10~午前4:55 [30日(水)深夜](45分) [ 番組HP ] http://www.nhk.or.jp/ekisya/
友人が知らせてくれたのですが、会員に話したところ「知らないので場所などを書いてくれ」と言われたのでURLを記します。
http://www.volks.co.jp/jp/hs/hs_kyoto.html
この模型店は昔、室町今出川にあったそうですが私は知りませんでした。
それにしても開店する場所が問題、西大路駅の北方の西大路通り東側にあった悪名高かったサラ金の「日栄」本社ビルです。かつては債務者に「肝臓うれ!」「腎臓売れ!」と脅しの電話で警察沙汰になった会社です。悪は栄えず、過払い利息の返還請求に耐えられずつぶれてしまいました。あのビルは巨大なものですからここで模型店とは大丈夫かいな?と心配してしまいます。まあ、時々は覗きに行ってみようとは思いますけど。
【産経新聞izaより転載】
鳥取県米子市の商店街、元町サンロードの「ぱてぃお広場」に展示されている国内最古の木造電車の修復運動を盛り上げようと同広場で7日、家庭で不要になった電化製品や車、バイクなどを1円で買い取る取り組みが始まった。修復費を集める募金活動を知ってもらおうとの試みで、1円はそのまま寄付してもらう仕組み。同広場で13日まで受け付ける。
記事本文の続き 展示されているのは、米子市と旧西伯町(現南部町)を結んで大正13年に開業した法勝寺電車の「フ50形客車」。昭和42年の路線廃止後は、市がこの客車を引き取り湊山公園で展示していた。しかし、放置されて傷みが激しくなったことから、平成13年に修復されて現在の場所に移転。そのときの調査で、明治20年に英国バーミンガム市で製造された日本国内に残る最古の木造客車と判明した。
前回の修復から8年が経過し、塗装の劣化が進み、再び修復が必要となっているため今年10月、元町通り商店街振興組合が「行政に頼らず、自分たちで修復を」と募金を開始。本来なら処分費用がかかる不要品を買い取ることで、募金自体をより多くの市民に知ってもらうのが狙いという。
同組合の高橋信三・活性化委員長は「貴重な客車の修復くらいは自分たちで何とかする商都米子の心意気を見せたい」と話す。
買い取りに関する問い合わせは「恵伸サービス」(090・9063・6303)。