関三平氏がいう、“超弩級”の一角を占める重量級の登場です。子供の頃、八尾に住む伯父の家に行くときに上六でよく見ました。といっても、片眼の2200が印象に残っているだけですが・・・。京阪や阪急では見られない20m級の緑色の車体はとてつもなくカッコイイ電車でありました。
投稿者「米手作市」のアーカイブ
阪和モタ303
JR貨物、不屈の鉄道魂 壁乗り越え被災地へ燃料
我らの仲間が復旧に善戦しているJR貨物、今日のネットニュース、ビジネス1に出ていたので転載します。末尾の記者さんの署名記事です。JR貨物、がんばれ!S君、がんばれ!
(以下転載)
被災地の燃料不足が深刻化する中、ガソリンと軽油を積み込んだ「石油列車」が19日夜、盛岡貨物ターミナル駅(盛岡市)に滑り込んだ。震災後初めてとなる列車による燃料の大量輸送。輸送を担ったJR貨物には、被災によるルート変更、迅速なタンク貨車の手配などさまざまな課題がのしかかった。
◆正規ルートは壊滅
新宿駅近くにあるJR貨物本社。1カ月前に移転したばかりの真新しいオフィスは、震災以来、沈痛な空気に包まれていた。首都圏と東北を結ぶ東北線、迂回路(うかいろ)の常磐線が深刻なダメージを受け、東日本がほぼ機能不全の状態に陥っていたのだ。
テレビに映る被災地の惨状に社員は声を失った。さらにガソリンスタンドは長蛇の列、ストーブの燃料もない避難所には雪が積もっていた。燃料を早期に大量輸送できるルートが求められているのは明らかだった。
14日夕、4階の会議室に各部署の主要メンバー30人が集まった。狭い室内に沈黙が続く中、誰かが声を上げた。「石油を運ぶぞ。日本海側から」。応じる声がすぐに上がった。社員の“鉄道魂”に火がついた瞬間だった。
◆「思いは同じだ」
盛岡貨物ターミナル駅には、タンク貨車からタンクローリーに石油を移す施設がある。かろうじて“生きている”日本海側の線路を使い盛岡まで運ぶ。そこからタンクローリーで、被害の少ない内陸部の道路を南下、東に方向転換し、ピンポイントで最大の被災地、三陸沿岸集落に輸送する案が持ち上がった。
昼夜を問わずに断続的に開かれた対策会議で、いくつもの課題が浮き彫りになった。運行管理の担当者は「日本海ルートで石油を運んだ実績がない」と天を仰いだ。
重いタンク貨車に、レールや橋脚が耐えられないかもしれない。技術担当者がすぐに線路の管理者であるJR東日本に電話を入れた。「タンク貨車が通れるか、至急シミュレーションしてほしい」
こうした試算は通常、長期間かかるが、JR東から返事が来たのは翌日だった。「大丈夫だ。いける」。答えを聞いたJR貨物の担当者はJR東の迅速な対応に「輸送にかける思いは同じだ」と胸が熱くなった。
■発送前倒し 応えたJX
次は積み荷の手配だ。15日、営業担当者は、恐る恐る連絡を入れた。相手は元売り最大手のJX日鉱日石エネルギー。どの元売りも製油所が停止するなど、大打撃を受けていた。「輸送できます。いつから(石油を)出せますか」。相手は待っていたかのように応えた。「19日に出せる」
その夜のJR貨物の会議で、ある幹部が思わぬことを口にした。「18日に出せないか」。その場に居合わせたある営業担当の男性社員は「政府の意向だ」と感じ取った。JXもあらゆる手を打ち、18日に間に合わせた。
横浜市の根岸製油所で燃料を積み、丸1日かけて盛岡に運ぶ。青写真はできた。しかし、技術担当者は「できるだけ軽いタンク貨車を使うべきだ」と主張した。線路の耐性への疑念が消えなかったのだ。
コンテナリース会社、日本石油輸送には40年以上前から使われ、退役間近のタンク貨車「タキ38000型」が36両残っていた。積載量は少ないが、一番軽い。「できるだけかき集めてほしい」。JR貨物の要請で、17日までに18両が集まった。
18日午後7時44分、電気機関車「EF210型」に牽引(けんいん)され、ガソリン、軽油合計792キロリットル、タンクローリー40台分を積んだタンク貨車18両が、根岸駅を出発した。列車には8人のベテラン乗務員が交代で乗り込んだ。「乗務員は担当区間では踏切や信号はもとより、レールの状況も正確に記憶している」(同社広報)。不測の事態に備え、短い距離で運転を代わる万全の体制を敷いた。
タンク貨車が盛岡駅に到着したのは19日午後10時過ぎ。待ちわびた多くのタンクローリーに石油が次々に充填(じゅうてん)され被災地へ向け走り出す。バトンは確かに引き継がれた。21日からは1日2便に増便しており、25日からは根岸→郡山(福島県郡山市)への輸送も始める。
収益悪化や設備の老朽化などをたびたび指摘されてきたJR貨物だが、日本の非常時に鉄道輸送の存在感を見せつけている。(高山豊司)(以上、転載終わり)
JR西で運行削減?
新聞報道によると、今般の大震災の影響でJRーWでも列車運行本数を5~30%削減すると言うことです。
節電か?と思いきや、なんとモーターのブラシが不足だとか!記事によるとなんでも直流モーターのブラシを作っているのが浪江にある日立化成の工場で、原発に近く被害も大きいため製造が中断しているそうです。でも、これほどの大量の電車を運休にしなければならないほど消耗するものでしょうか?
カツミや天賞堂のモーターに詳しいぷるぷるさん、説明をお願いします。
お待ちかね!阪急P-6
奈良電クハボ600
前回の神戸電鉄デニ11は人気がなかったのか、どなたも書き込みがなかったが今回は私でも知っている電車。
奈良電は、京都に住んでいる市民にとっては「田舎電車」の雰囲気が未だに消せない思い出の電車。子供の頃、久津川に住んでいた同級生の家に行くのに乗ったり奈良へ行くのに乗ったりしたが、阪急とは比べものにならないし、京阪と比べても古色蒼然とした車両で奈良にふさわしい電車と子供心に納得していました。最近久津川の同級生とその話をしていて「奈良電は扉を手で開ける」といったら「それは京阪の車両で、奈良電は自動やった!」と反論されました。どうもイメージで言っていたようで、デハボ1000は自動扉で京阪の乗り入れ車両(200系?300系?)が手動だったらしい。このクハボ600は1200型とつながって特急として走っていたのに乗った記憶があります。でも、こんな通風口があったかな?
乙訓の長老様、生還記念・神戸電鉄デニ11
佐竹さんの鉄道ではない講演会
山陽200型
阪神112型
阪急202号
デト11
鉄道ファン昭和41年6月号
淡路交通の記事が出ていると言うことで川畑君に見せてもらったことはすでに書いたが、同号にはさらに驚くべき記事が出ていたのだ!
目次を見ると隔世の感だ。総武線複々線化工事とか、大分交通国東線廃止とか、クモユニ82登場とか、走れ!C62などの記事の中に「実現近い神戸市の高架市電」という荒唐無稽な記事が出ていた。これだけでも驚きだが記事の出元を見てさらに驚いた。なんと「同志社大学鉄道同好会」とあるではないか!!
記事を読むと建設進む阪神高速神戸線と同じような高架線にして二両連結の市電を走らせよう、でも国鉄線をオーバークロスするのが難しい、などと言っている。なにやらこうしたいという希望記事かと思ったが、この構想に対して市民からは騒音が心配との投書があるとか、累積赤字が10年で返済されると交通局が言っていると書いてあるので本当にあった話であろう。41年度予算で2000万円がついたとあるので与太記事ではないらしい。こんな高架市電は実現していないからよかったが、もしできていたらあの震災で大被害が起きていただろうと推察できる。
ところでこの記事は誰が書いたのか、41年と言えば3年生だったので会長職を拝命していたときである。なのに全く記憶にない。神戸だから阪急会かサロン・ド・阪神が怪しい。村尾、津村、藤田、早川などの諸君が想像できるがわからない。川畑君の手帳に書いてあればわかるのだが・・・。当事者からの自供を待つ。
知らなかった”淡路交通”
叡電デナ1
関三平さんのプロフィールがわかりました。
お尋ねの関三平さんは、とっても有名な迷路図作家です。
1940年大阪生まれ、70歳。京都工芸繊維大学意匠工芸学科卒。
1977年に(零)日本迷路公団を創立され、「総裁」を名乗っておられます。
若い頃から鉄道が好きで、仕事の合間に鉄道会社を訪ねては人脈を築き、資料を集めたり。もちろん趣味で。
70歳になり迷路を書くのも「しんどくなった」らしく、「それじゃぁ、趣味の鉄道話しでも」と、9月からスタート。とりあえず50回を予定しているらしく、単行本出版も当然、視野に入れているそうです。
絵は水彩画ですが、色にこだわりがあるらしく、原画を自分でパソコンに取り込み、いい色が出たものをカラーコピーして我が社に渡しているそうです。
日本迷路公団総裁「プレジデント・サンペ。
プロフィール
1940年大阪生まれ。京都工芸繊維大学意匠工芸学科卒。
1977年(零)日本迷路公団を創立。
以来、総裁プレジデント・サンペを名乗る。
著書
「迷図の国のケンとマリ」
「コンピュータ世界のケンとマリ」
「ケンとマリの迷図紀行」
今回は阪堺線
知りませんでした
関西急電
中途からですが・・・
忘れ物ですよー!
yomiuri onlineより
5日午前8時半頃、名古屋市中区栄の服飾雑貨卸「センゾー」のビル1階に不審なアタッシェケース2個が置かれているのを清掃員の女性が発見、同社役員を通じ愛知県警に通報した。
アタッシェケースからリード線が出ていたことから、愛知県警は爆発物の恐れもあるとして爆発物処理班を出動させ、約3時間後に回収した。
発表によると、アタッシェケースは、縦40センチ、横50センチ、厚さ15センチのものなど2個。ビル1階の通用口付近に置かれていたという。県警がエックス線で調べたところ、ケースの中は、鉄道模型のジオラマだった。線路やトンネル、橋、山、川が精巧に作られており、県警は忘れ物とみて持ち主を探している。
現場は、同市内を南北に走る幹線道路「本町通」に面しており、現場付近は100メートルにわたって、一時通行止めとなった。















