阪急202号

関さんのシリーズは、ますますマニアックになってきました。

こんなのを見たことがあるようなないような、でも前週の南海のデト11の兄弟とか。二回の改造後の姿だそうですから最初の形は、デトと同じだったのでしょうか?写真を持っている人は見せてください。でも持っているとすれば長老様か藤本さんぐらいかも。

デト11

年末年始お休みでした、関三平さんの「昭和の電車」シリーズが再開されました。

また、阪堺電車ですが無蓋電動貨車のデト11です。もちろん私は見たこともありません。しかし、昔はこんな電車はどこの鉄道にもありました。国鉄のクルやクモルを始め、京都市電にもありました。京都市電の無蓋電車は中央市場からゴミを運び出すのに使われていたようですが、どこへ持って行ってたのかは知りません。今回も乙訓の長老様にご高説を伺うことにしましょう。

鉄道ファン昭和41年6月号

淡路交通の記事が出ていると言うことで川畑君に見せてもらったことはすでに書いたが、同号にはさらに驚くべき記事が出ていたのだ!

目次を見ると隔世の感だ。総武線複々線化工事とか、大分交通国東線廃止とか、クモユニ82登場とか、走れ!C62などの記事の中に「実現近い神戸市の高架市電」という荒唐無稽な記事が出ていた。これだけでも驚きだが記事の出元を見てさらに驚いた。なんと「同志社大学鉄道同好会」とあるではないか!!

記事を読むと建設進む阪神高速神戸線と同じような高架線にして二両連結の市電を走らせよう、でも国鉄線をオーバークロスするのが難しい、などと言っている。なにやらこうしたいという希望記事かと思ったが、この構想に対して市民からは騒音が心配との投書があるとか、累積赤字が10年で返済されると交通局が言っていると書いてあるので本当にあった話であろう。41年度予算で2000万円がついたとあるので与太記事ではないらしい。こんな高架市電は実現していないからよかったが、もしできていたらあの震災で大被害が起きていただろうと推察できる。

ところでこの記事は誰が書いたのか、41年と言えば3年生だったので会長職を拝命していたときである。なのに全く記憶にない。神戸だから阪急会かサロン・ド・阪神が怪しい。村尾、津村、藤田、早川などの諸君が想像できるがわからない。川畑君の手帳に書いてあればわかるのだが・・・。当事者からの自供を待つ。

知らなかった”淡路交通”

関さんのシリーズもかなりマニアックになってきて、浅学非才の私にはついて行けなくなりました。

お恥ずかしい限りですが、そもそも淡路島に電車が走っていたことを知ったのは大学を卒業してからはるか後のことでした。

京都へ淡路交通という観光バスが走っていたのをよく見かけましたが、あれが私鉄のバスだったとは気がつかなかったのです。

今回の記事はぜひとも「その筋」の方に詳しく説明をお願いしなければなりません。当該車両だけではなく、鉄道の生い立ちまで教えて下さい。

お願いします!地元“須磨の大人”、脳内の血管を複線電化したい“乙訓の長老”、永遠の電車小僧・藤本先生!

 

叡電デナ1

関三平さんのプロフィールがわかりました。

 お尋ねの関三平さんは、とっても有名な迷路図作家です。
 1940年大阪生まれ、70歳。京都工芸繊維大学意匠工芸学科卒。
 1977年に(零)日本迷路公団を創立され、「総裁」を名乗っておられます。

 若い頃から鉄道が好きで、仕事の合間に鉄道会社を訪ねては人脈を築き、資料を集めたり。もちろん趣味で。
 70歳になり迷路を書くのも「しんどくなった」らしく、「それじゃぁ、趣味の鉄道話しでも」と、9月からスタート。とりあえず50回を予定しているらしく、単行本出版も当然、視野に入れているそうです。
 絵は水彩画ですが、色にこだわりがあるらしく、原画を自分でパソコンに取り込み、いい色が出たものをカラーコピーして我が社に渡しているそうです。 

     日本迷路公団総裁「プレジデント・サンペ。

      プロフィール
     1940年大阪生まれ。京都工芸繊維大学意匠工芸学科卒。
     1977年(零)日本迷路公団を創立。
     以来、総裁プレジデント・サンペを名乗る。

     著書
     「迷図の国のケンとマリ」
     「コンピュータ世界のケンとマリ」
     「ケンとマリの迷図紀行」

 

今回は阪堺線

朝のNHKドラマを見ていると、阪堺線の旧型電車がよく出てくる。設定は松虫あたりと聞いているがなじみがないのでよくわからない。以前投稿で阪堺線があったがいま残っている電車には木造はない。この絵のダブルルーフもない。果たして乗った人はいるのだろうか。乙訓の長老ぐらいか。ご存じの方は今回も薀蓄をお願いする。

なお、このシリーズはまだまだ続くそうで、後に単行本化も予定されているようです。必ず買います。

知りませんでした

そういえばこんなのがあったような気もしますが、京都-西明石の各停は貫通扉のある関西型でしたね。

それにしてもこの方・関三平さんはただ者ではありませんな。画材は何なのか、色鉛筆のようにも見えますがたいしたものです。一度お会いしてみたい!

11/29産経新聞夕刊より

前回裏写りがあったのをご指摘下さった親切な方、ありがとうございました。以後気をつけます。

忘れ物ですよー!

yomiuri onlineより

 5日午前8時半頃、名古屋市中区栄の服飾雑貨卸「センゾー」のビル1階に不審なアタッシェケース2個が置かれているのを清掃員の女性が発見、同社役員を通じ愛知県警に通報した。

 アタッシェケースからリード線が出ていたことから、愛知県警は爆発物の恐れもあるとして爆発物処理班を出動させ、約3時間後に回収した。

 発表によると、アタッシェケースは、縦40センチ、横50センチ、厚さ15センチのものなど2個。ビル1階の通用口付近に置かれていたという。県警がエックス線で調べたところ、ケースの中は、鉄道模型のジオラマだった。線路やトンネル、橋、山、川が精巧に作られており、県警は忘れ物とみて持ち主を探している。

 現場は、同市内を南北に走る幹線道路「本町通」に面しており、現場付近は100メートルにわたって、一時通行止めとなった。

2010年10月5日16時17分  読売新聞)
お心当たりの方、お申し出下さい。もしかしたら江若鉄道のレイアウトだったりして・・・

The Steam Railroad in America

という写真集を手に入れました。でも私には手に負えません。英文だからです。写真はとてもきれい、カラーと白黒のすばらしい写真です。

どなたかほしいという方に差し上げます。内容は1920~40年代のアメリカの蒸機写真集です。

お申し込みはこの欄へのコメントでお願いします。

教えて下さい!

先日四条通を歩いていて、山陰線高架下でふと思いました。

地上にあった頃、この踏切はヨーロッパにあったようなレールの上を横にころがす式の遮断機だったような記憶があるのですが記憶違いでしょうか?

もう一つ、南側を見ると嵐電の高架が見えるがこの高さでは山陰線の高さをクリアできない。どうなっていたのか?

以上二点についてご存じの方にお答えいただきとうございます。

こんなんあるでぇ!シリーズ

【9057】北の大地へ2010年初夏編 Part4 富良野線、狩勝峠のなかの狩勝峠で、特派員氏とぶんしゅう氏が旧線を探しておられるのを見て手元の古い資料を探してみた。須磨の大人風に言うと「またぶんしゅう氏の挑発に乗った」ということになる。

撮影はいずれも昭和40年8月、早朝の信号所からクマザサをかき分けながら登ること3時間、頂上(らしいところ)に到着したが深い霧で足下もおぼつかないほど。待つこと一時間、その間ドラフト音は聞こえるのに見えないのがつらかった。するとアッというまに霧が晴れた。そこで見たのはこの世とも思えぬ大眺望!いまでも人生最高の眺めであったと確信している。

さて、ぶんしゅう氏と特派員氏が見たのもこの眺望だろう。見比べてみていただきたい。

代理投稿:人間国宝より須磨の大老へ

湯口徹氏へ
52年前の海底トンネルの県境の写真、ありがとうございました。私はいつまで学生
服を着ていたか憶えていません?
喜々津ー大草間は湯口氏の記事の通り、誘われたに違いありません。3月22日(土)
夜門司駅で待ち合わせ、3月23日(日)昼過ぎ湯口氏と別れ、私は一旦京都へ帰っ
て3月28日(金)午後出発、夜行で九州へ。
29日(土)午後海老津の駅で再会し、翌3月30日(日)に喜々津ー大草へ撮影に
行ったということです。
                                  佐竹保雄

こんなんあるでぇ(再登場)

特派員氏が珍しいお召の写真を載せたらKH生氏も薀蓄を書かれて盛り上がってきたので古い写真を探してみたら出てきた。これで仲間に入れてもらおう。

珍しく日付があるので見ると、昭和40年5月14日二条駅と記録されていた。それだけでどこから来たのかはわからないので教えてください。なお、KH生氏が書いていたが天皇の公務旅行は「行幸」で、皇后や皇太子の場合は「行啓」と書かれます。

KH生氏も書かれていたが国鉄職員のお召しに対する心意気はたいしたもので、その点を写していたのでお見せします。

▲二条駅に到着のお召列車 本務機DF50529 前補機DF50528[米]

▲到着後すぐに引き上げるため整列して待つ整備員。

▲左:本務機DF50529,右:補機DF50528

▲国旗を外す傍らで一生に一度の晴れ姿を写す運転士
▲お召と交換する下り列車C51
▲その日の二条駅頭。今は梅小路機関車館の入り口になっている。

こんなことってあるんやなぁ!

普通電車のブレーキレバー折れる 滋賀の東海道線、急停車

 19日午後2時ごろ、滋賀県近江八幡市のJR東海道線篠原駅を発車した米原発網干行きの普通電車で、運転席のブレーキレバーが根元近くで折れ取っ手が外れた。運転士が残ったレバーの付け根を指先で操作し電車は急停車した。乗客約150人にけがはなかった。

 JR西日本によると、ブレーキレバーは鉄製で丁字形をしている。根元の直径は約2センチで、付け根から取っ手までは約15センチ。車両は223系で1997年に製造されて以来、レバーの交換はしていないという。運転士が発車させるためブレーキを緩めた際に折れたとみられ、同社が原因を調べている。

 JR西日本によると、電車は篠原駅を出発後、約140メートル先で急停車した。乗客は後続の電車に乗り換えた。

(47NEWS 5/19より)

記事には運転台におれたブレーキハンドルを置いた写真がでていた。見たところ金属疲労でポッキリ折れたようで、JR-Wはまたたたかれるのか?

やっぱり将軍様は仲間だった!

K.Hさんのご教示で国分隼人氏が書いた「将軍様の特別列車」が出ているSAPIOを買ってきました。

中には“お召し列車”の編成がイラストで出ています。たぶんK.Hさんが言っていた同氏の著書「将軍様の鉄道」に出ているものと同じかと思われます。記事には“将軍様は相当な鉄道ファンでもあるようだ。・・・平壌市内には鉄道関係の博物館が三カ所もある。・・・その保存・保管の充実ぶりは、マニアだからこそと思わせる”と書かれています。編成中に特別随行員専用執務車と電源車だけが短く、K.Hさんによると20mだそうです。

金正日は仲間?

北の独裁者・金正日将軍様が宗主国の王様にご機嫌伺いに行ったニュースはご覧になったでしょう。

あのオッサンの乗っていた列車のすごさに驚きました。

手入れの行き届いたC+C片運転台のDLが背中合わせに二両つながった、DF+DFの固定編成と思われる機関車に牽かれた17両編成の特別列車でした。客車はおそらく22mくらいあるのではないでしょうか。中には窓配置から食堂車と思われるものや寝台車ではと思えるものなどじっくりと見てみたい限りです。独裁者というものは疑い深いので飛行機より鉄道を利用すると新聞に書いてありましたが、それならあの悪名高い将軍様も趣味としては我らの仲間といえるのではないでしょうか?

どなたかあの列車の情報をお持ちでしたら教えてください。かつて北鮮に潜入して調査をした「準特急」さん、いかがでしょうか?

教えて下さい!

昨日淀屋橋から特急に乗りました。いつものことでなにも変わらないことですが、ふと疑問が浮かんだのです。

このホームにはタテに2列車が同時に止まることがあります。1列車は8両、2本で16両。新幹線と同じ両数です。18mと22mの違いはありますが約300mほどにはなるのでは?

一本のホームでこれほど長いものは私鉄では他にないのでは?と思うと調べなくてはおられません。早速ネットで調べましたが京都駅旧1番線ホームは出ていますが私鉄で一番長いホームの記録は見あたりませんでした。

そこで京阪お宅、いや京阪ファンの物知りの方にお尋ねします。淀屋橋は日本の私鉄では一番長いホームですか?違ったらどこが一番長いのですか?

教えて下さい!