関三平さんのプロフィールがわかりました。
お尋ねの関三平さんは、とっても有名な迷路図作家です。
1940年大阪生まれ、70歳。京都工芸繊維大学意匠工芸学科卒。
1977年に(零)日本迷路公団を創立され、「総裁」を名乗っておられます。
若い頃から鉄道が好きで、仕事の合間に鉄道会社を訪ねては人脈を築き、資料を集めたり。もちろん趣味で。
70歳になり迷路を書くのも「しんどくなった」らしく、「それじゃぁ、趣味の鉄道話しでも」と、9月からスタート。とりあえず50回を予定しているらしく、単行本出版も当然、視野に入れているそうです。
絵は水彩画ですが、色にこだわりがあるらしく、原画を自分でパソコンに取り込み、いい色が出たものをカラーコピーして我が社に渡しているそうです。
日本迷路公団総裁「プレジデント・サンペ。
プロフィール
1940年大阪生まれ。京都工芸繊維大学意匠工芸学科卒。
1977年(零)日本迷路公団を創立。
以来、総裁プレジデント・サンペを名乗る。
著書
「迷図の国のケンとマリ」
「コンピュータ世界のケンとマリ」
「ケンとマリの迷図紀行」
名画を拝見しながら悩んでおります。片持ち電柱で単線区間、そしてデナ1型が走った区間なのです。現在の叡電単線区間ですが、市原以遠だけとなりました。以前は山端(現宝が池)~八瀬間、同じく~市原間の2ケ所も戦争中と終戦直後がそうでした。その後前者は一挙に複線に戻され、後者は岩倉、木野、二軒茶屋と、輸送力向上のため暫時延長され現状の姿となったのです。
さてデナ1型は電気制動が不可能車です。京都電燈時代から現在に至るまで50‰区間には電制不能車は入線まかりならぬとなっており、単線で片持ち電柱で1型が走っていた区間を思い浮かべるのですが、思いつきません。背後の木立密集区間と言えば八幡前を八瀬に向って少し行ったところですが、緩いカーブ区間で、ポールの向きが反対方向になり架線電柱は門形になります。こうなれば老人は将に迷路に迷い込んだようです。どなたかこの迷図を解明して下さい。
関さん、乙訓の老人はデナ1型の「びゅ~の音色」を子守唄にしておりました。細かい事を申し立て申し訳ありません。
先ほどのコメント、現在の単線区間は二軒茶屋以遠、つまり鞍馬終点までです。
訂正の上、お詫びします。
皆さん、ごめんなさい、もう1件訂正です。
八幡前ではなく、三宅八幡です。宮本君に怒られそうです。
いよいよボケが本格的となったようです。洛北高校出身だけに気になって寝られません。今、テレビでは津波情報が継続中です。
はじめまして.はじめてこのサイトを見せていただきました.乙訓の老人さんがご指摘されています件ですが,ご指摘のとおりデナ1形は電制を装備していないため鞍馬線では二軒茶屋以北は乗り入れていません.この名画が描かれている場所を推察すると片持ち電柱で単線区間でポールの向きと背景からして,鞍馬線の貴船駅手前(出町柳より)
の場所のように推察されます.結果から言いますとデナ1形のこのようなシーンは存在しなかったと思います.
それはともかくして,本当に名画ですね.優雅なスタイルをしたデナ1形が本当に良く描かれています.