当掲示板に近頃、「高野山」の話題がたくさん見受けられます。米手作市さんが旧婚旅行に出かけたり、乙訓の老人が『関西の電車巡察』で巡ったり、はたまた青信号特派員さんによる「厠」の話などなど・・・。遅ればせじと「元祖高野山 」も墓参りに行って来ました。例年5月の中旬、寺の特別天然記念物・石楠花(シャクナゲ)が満開となる頃に出かけるのですが、本年は叶わず、延びに延びて、とうとう11月28日(日)になってしまいました。秋の高野山1day チケット最終日の3日前でした。買っておいた代金3,000円券を払い戻すと、何もせずに500円失うのが勿体なくて、重い腰を上げました。
先週と違って、この日は曇り空、肌寒い日でした。阪急塚口を午前6時23分、快速急行にて出発。地下鉄を乗り継ぎ、難波発7時12分橋本行きに乗車。車両は6000系。車齢40年を越えた車両とか。いかにも重そうで、幅広の片開き扉だが、開閉は比較的にスムーズに見えました。橋本着8時2分。
8時6分発に乗り替え、44分極楽橋着、ケーブルで54分高野山着。山上バスで今日は真っすぐに奥の院バス停へ。高野槇を500円で買い、裏参道を急ぐ。公園墓付近を左に折れ参道に入る。丁度芭蕉碑の前である。折りたたみ式手桶に水を汲み、そこから100mほどの墓に参る。参道右手、加賀前田家、伊勢藤堂家を通り過ぎて間もなく、参道の右手。小さな空き地と、美濃加納城主松平家墓所と書かれた、白い角柱標識に接して左が鶴家の墓。参道から3~4mの距離ですので、すぐに判ります。奥の院にお越しの節はどうぞお参りください。但し、『鶴』は『靍』と彫刻されています。苔がこびり付き少し見難いです。墓は明治36年(1903)の建立です。「日暮れに握手、日と英」と習い憶えた1902年の日英同盟の翌年になります。この頃神戸で羽振りの良かった曾祖父が建てたとか。南海高野線が全通80周年ですので、それより27年古いことになります。ご先祖様はどのような交通手段で登山されたのでしょうか。
ご先祖には申し訳ないが、この日は菩提寺・金剛三昧院に立ち寄らずにまっすぐにバスで高野山駅へ戻ります。10時40分発ケーブルで山を下りました。ケーブルカーは確か3代目の車両。2代目にも乗ったと思うが記憶は不確か。ケーブルカーから見えた向かいの山は紅葉していました。山上は時季外れで樹木はすっかり葉が落ち、枯れ木になって風情無しでした。
下は、先ほど山に登る時に撮影しておいた勾配標識ですが、最急と最緩の勾配標識を見落としました。南海電鉄のホームページによると、最急は562.8‰、斜度29度22分、最緩は273.9‰、同15度19分とか。同じ事を考える人もいるもので、乙訓の老人も8年ほど前に乗った時、順番に撮影したそうです。
下は、2008年6月、新緑の頃、下りのケーブルカーです。緑豊かでした。これに反して今回は時季外れで、もの足りません。来年は、やはり石楠花が満開の頃に行くことにします。
極楽橋に着くと、11時26分発のこうや4号(11000系)が停車中。私は向こう側の快速急行に乗車です。まもなく下りこうや5号 (この日は30000系)が到着するので、その時には2編成が揃うことになります。
2編成が揃った2008年の時です。時刻は13時30分前後だと記憶します。向う側には乗車する2300系が見えました。
快速急行難波行きで10時49分に出発。途中紀伊細川で下り「天空1号」と交換。今日は土・休日ダイヤで運行です。今日の私の第2の目的は、天空の撮影です。
上古沢で下りこうや5号と交換。11時21分紀伊清水で下車。天空を撮影すべく、紀の川鉄橋付近まで歩くことにしました。鉄橋のこちら側に大きなカーブがあり、内側が畑で障害物が無く、良い撮影地であり、かねてから一度出かけてみたいと思っていた場所です。約2km歩いて目的場所に到着しました。上り天空2号まで30分近くあります。
乙訓の老人が、「らくさい便り」で『天空の名前の由来についてtsurukame さんの解説を待とう』とかありましたが、墓があるだけで高野山密教を知る訳ではありませんので、解説できませんが、南海電車のHPで「天空」に関して曰く、『弘法大師「空海」が開いた世界遺産・高野山は、標高約900mに位置し、周りを奥深い山々に囲まれたその街並みは、まさに天空都市の趣です。列車の愛称は、その高野山が醸し出す印象に由来します』とあるから、その辺りではないでしょうか。チベットや中国の3~4,000mの高地で、天と空が迫ったような場所や都市には、よく「天空」なる表現を使うようです。高野山はそれほどの髙地ではありませんが。なお余談ながら、「天空のシンフォニア」なるパチンコ台があるとか。
間もなく「天空2号」が下ってきました。オープンデッキ設置とかで、橋本寄りのドアが開いています。外観上、少し違和感が残りました。左手方向に紀ノ川を渡って橋本駅へ、後方が紀伊清水駅。正面の山々は和泉山脈。
撮影場所を、先ほどより300m程離れた紀ノ川鉄橋の袂に移動しました。列車間隔は30本近くに1本ですが、上下ともなれば、結構頻繁に列車に巡り会いました。高野下駅折り返しの上り2300系が通過。橋本駅に向かう
そして、上り「こうや6号」です。12月からは、橋本発となり、冬季の山登り・下りはお休みの列車です。
最後に、お目当ての「下り天空3号」です。日曜午後ですが、乗車率は高いように見えました。人気の電車なのでしょうか。次回、墓参りは来年5月中旬に戻します。その時の撮影は、大変ですが中古沢の鉄橋にしようかと思います。
tsurukame様
高野山訪問記、楽しく拝見しました。実は、私も乙訓老人からいただいたスルッと3dayチケットを使って、橋本~極楽橋~高野山へ乗車・撮影に行ってきました。tsurukame様が行かれた翌週の日曜日でした。
高野山ケーブルは、写真に載せられていますように、勾配標が次々に現れて、麓から山上へ次第に急になって行くのが、たいへん興味深かったです。
撮影は、高野下で降りて、渓谷沿いの遊歩道を丹生川橋梁へ向かい、「こうや」「天空」を撮りました。この遊歩道、かつての森林鉄道の廃線跡なんですね。このほか、橋本~極楽橋間には、古い駅舎、駅の古レール、歴史的な橋梁など、鉄道遺産がいっぱいです。沿線の風景は、折り紙つきで、難波から一時間少々で来られるとは信じられないぐらいの山岳鉄道の風景が続きます。
tsurukame様の記事を読んで、石楠花の咲く頃に、もう一度行きたくなりました。