こんなんあるでぇ!シリーズ

【9057】北の大地へ2010年初夏編 Part4 富良野線、狩勝峠のなかの狩勝峠で、特派員氏とぶんしゅう氏が旧線を探しておられるのを見て手元の古い資料を探してみた。須磨の大人風に言うと「またぶんしゅう氏の挑発に乗った」ということになる。

撮影はいずれも昭和40年8月、早朝の信号所からクマザサをかき分けながら登ること3時間、頂上(らしいところ)に到着したが深い霧で足下もおぼつかないほど。待つこと一時間、その間ドラフト音は聞こえるのに見えないのがつらかった。するとアッというまに霧が晴れた。そこで見たのはこの世とも思えぬ大眺望!いまでも人生最高の眺めであったと確信している。

さて、ぶんしゅう氏と特派員氏が見たのもこの眺望だろう。見比べてみていただきたい。

こんなんあるでぇ!シリーズ」への3件のフィードバック

  1. おはようございます。朝1番で写真を見させていただきました。
    やはり圧巻の広大なパノラマの中をD51の補機に押し上げられて登ってきたのですね。見たかったです。乗ってみたかったです。
    ここで撮影するにはどのようにして登ってこられたのかと、現地で話していたのです。夏でしたら、3:30頃には陽が上がりますので、小樽からの普通421列車で狩勝信号所で4:30頃に下車されて、登られたのでしょうか。
    もしそうなら、熊が出てもおかしくない所です。まさに命がけの挑戦だったのですね。
    今は、新得駅から車で線路跡を走れますので、また行きます。ご一緒しませんか。

  2. 薄れた記憶の糸をたぐり寄せながら考えます所、信号所着はご賢察通りです。信号所では霧もなく登山を開始しました。同行は前田君でひたすら登ったのだけ覚えています。登るにつれて霧が深くなり「追いはぎが出たらどうしよう」とは悩みましたが熊については気にもしていませんでした。当時は熊も食べ物が豊富で、学生など(小生はともかく前田君のような使用済みの鶏ガラ風)興味がなかったのでしょう。
    ここは登られたのと同じ場所ですか?検証して下さい。

  3. ほぼ同じ場所ですが、今の展望台より、米手作市様の方がもう少し高い位置だったろうと思います。夏は樹木が茂っていますので、線路跡が分りにくいですが、冬になると、葉っぱがなくなりますので、かなりハッキリと見えると思います。

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