モロハ50?

関三平先生が(?)マークをつけているので正式な車番では無いのかも知れません。クモロハ50となるのでしょうか。戦後の占領期には白帯のついた車両が多く走っていました。客車の優等車はすべてGHQに差し押さえられて将軍の名前をつけて東海道を上下していました。「戦争に負けたんや」と身に染み込まされた、とは父親の思い出話でした。たしか、湯口さんがいつだったかこの掲示板に客車の写真を出されていたように記憶しています。当時の列車を実際に見ておられるのは、佐竹さん、湯口さん、沖中さんしかおられません。皆さん、今度会ったら詳しく聞いておくことをおすすめします。

再び近鉄、でも木造車 モ1型

この電車に乗ったような気がします。叔父が生駒に住んでいてよく遊びに行ったときです。たぶん鋼製化されてからでしょうが・・

ところで今夜澤村君のお通夜に行ってきました。多くの会員にお線香をあげてもらい、写真の顔がすこし煙って見えました。焼香台の横に彼が最後まで作り続けたD50(この掲示板に製作記がでていました)の完成品とEF58が並んでいます。明日葬儀に行かれた方は必ず見てあげてください。奥様と息子さんたちが選んでくれたそうです。

福田さんの市電写真展

今日の京都新聞夕刊に福田さんが地下鉄御池駅のギャラリーで開いている市電の写真展の紹介記事が出ていたのでご紹介します。

広島電鉄152号

この季節になると季節の挨拶のように広島・長崎が新聞テレビを賑わせます。今回は広島の“被爆電車”こと152号です。といっても私は知りません。関三平先生のコメントも今回ばかりは切れが悪いようで、意味の理解ができない部分もあります。

同じ日の同じ新聞に被爆電車に関するコラムがでていましたので併せて掲載します。

“市電の記憶、昭和の京都”展

地下鉄の御池駅ギャラリーで福田さんの写真展が開かれています。

今日の午後、市内へ出かける用事があったので足をのばしてみました。あいにくカメラを持っていなかったためお見せできないのが残念ですが上手くまとめられていて説明と写真の配置もよく、見やすいのがいいと感じました。この手の写真展は市電の車両に偏りがちなのがさすがは福田さん、湯口先輩を彷彿とさせるような人々と市電の係わりように目を向けた作品ばかりで懐かしさで長居をしてしまいました。その間、中年以上の見るから市電世代の方々が熱心に眺めたり、携帯で気に入りの作品を撮ったりメモをする人もいました。

少し残念なのは作者の年代による制約のせいでワンマン化後がほとんどで、ツーマン時代の写真があまり無かったのはやむを得ないことと納得しています。かなうならこの次は諸先輩も交えて戦後の市電写真を並べてみたらいいなと思いました。

御池ギャラリーはまもなく廃止されるそうです。黒字を求める余りどこでも金儲け用に作り替えるのでしょうか。おそらく最後の作品展になるでしょうから皆様もぜひ行って見てください。

8月2日~19日(金)※19日のみ13時閉場

お待たせしました、N電

やぼ用で、少し掲載が遅れました。お詫びします。

さて、N電と言われた北野線の市電ですがOBの中で実際に乗ったことがある人は何人いることでしょうか。戦後、酔っぱらった進駐軍の兵隊が無理やり運転して、速度超過で堀川中立売のカーブから堀川へ転落したとか聞いたことがあります。

この絵の背景は西洞院六条あたりで、薮之内千家の土塀です。

京王電車デハ2110型

東京にいた頃、縁もゆかりもなく見たこともなかった電車だが、今見るとなかなかの物ですね。オハ31にパンタとモーターをつけたような標準型より、関先生が言うところの「タコ坊主」の方に興味がわきます。どなたか写真をお持ちではないでしょうか?

※しばらく前から記事がタテ組みからヨコ組みになったため、いちいち切って貼り合わせていましたが、今回からは新聞を切らず画像処理で組み合わせました。

ドレミ電車って?

今日のネットニュースに「ドレミ電車がなくなる」との記事が出ていました。何のことやらと読んでみると次のような話でした。

関東の方たちには当たり前の話題でしょうが関西では知りませんでした。

>ドレミファ…と音階を奏でながら走る京浜急行電鉄(京急、東京~神奈川)の通称「歌う電車」が、車両の改造工事が終わり次第、姿を消すことになった。登場からわずか10年余り。人気ユニット「くるり」の曲「赤い電車」のモデルにもなった人気車両で、京急社内でも惜しむ声が上がっている。(大竹直樹)

 「ファ~ソラシ、ドレミファ~」。車体の下から不思議な音階を奏でながら電車が動き出す。音階の正体は、モーターを制御するインバーターから聞こえる“騒音”だ。平成10年に登場した2100形電車と、14年に登場した新1000形電車に搭載されている独シーメンス社製の装置で、鉄道ファンからは「ドレミファインバーター」と呼ばれ、親しまれている。

 女性客からも「音がかわいい」といった反響も寄せられているといい、「歌う電車の宣伝はしていないが、喜んでもらえるのはうれしい」と京急。登場当時、車掌をしていた京急広報課の飯島学主任(35)は「音にも愛着をもっていただき、お客さまが目を輝かせて眺めてくれるのがうれしい」と目を細める。

 音階のように聞こえるのは、偶然の産物ではない。「実は開発したドイツ人技術者の遊び心」と語るのは、シーメンス日本法人モビリティ事業部の庄司不二雄さん(60)。ソフトのプログラムを工夫することで音を出すことができ、ドイツの高速鉄道「ICE」の車両が米国内で試験走行した際は「アメリカ国歌も奏でた」という。

 だが、京急の車両に搭載されている装置は経年劣化のため、日本製インバーターへの置き換えが進み、「歌う電車」は年々減少。2100形は10編成のうち6編成がすでに改造された。残り4編成もあと1年程度で改造を終える見込みという。

 一方、新1000形も改造工事が進んでいる。残り8編成の改造時期は定まっていないが、数年以内に全車両の改造を終える見通しで、京急社内にも“歌わない電車”への改造を惜しむ声が上がっている。

 「歌う電車」に乗るにはどうしたらいいのか。京急によると、外観で判別するのは難しく「運次第」。ただ、片側に2カ所扉がある2100形の快特電車では1時間あたり1本の確率で「歌う電車」にめぐり会える可能性があるという。

 「歌う電車」を生み出したシーメンスの庄司さんは、「なくなってしまうのは寂しいが、新しい装置に置き換わるのは時代の趨勢(すうせい)なので仕方ない」と見守っている。

 京急は「すべての『歌う電車』がなくなる時期は未定だが、残すことは考えていないので、なくなるまでに楽しんでほしい」と話している。<

(以上:産経イザより転載)

これなら見たことある!京浜急行140型

関三平画伯のシリーズは今回から関東の旧型になりました。いままでは見たこと無い(記憶にない)物ばかりでしたがこれは覚えがあります。というのもキハ04に似た顔つきだったからだろうと思います。

藤本さんに答える

“ところで河様、昭和41年3月頃ピク誌の「読者短信」に京都駅の3番線と4番線の間の留置線で撮影されたクハ76305の写真を投稿されておられませんでしょう。古いピク誌は京都の実家にあり確認はできていませんが、多分同じ日に私も撮影しています。”

早速探しましたらこれが見つかりました。藤本さんの記憶の写真がこれなら多少違っています。茶坊主が写っているのは1966年2月号でした。前後の号ではこれしかありません。しかもご指摘のクハ76305ですからこれのことでしょう。

撮影場所は京都駅ではなく芦屋駅で、撮影者も河様ではなく山本克彦氏でした。でも周囲の写真は懐かしい物ばかりですね。

定時に回復いたしました。相模5000型

関先生の記事によると、この当時(昭和30年前後)の関東私鉄車両は意欲的な物が多かったのがよくわかります。関西でも阪神や京阪にはその後の電車を大きく変える新技術が試されていました。ただ顔だけは関東ほど86を気にしていたかは疑問です。権威に弱い関東と権威ほど見て見ぬふりをする関西の違い、といえば関東の人に怒られるでしょうか?

遅延回復運転中2 京成1600型

掲示板ではまだ花巻が話題の中心ですが遅れの回復のため先を急ぎます。

東京の私鉄電車は私には同じに見えてしまいます。先の東武5700と今回の京成1600は関先生の絵だけ見ると同じ電車が2週続いて掲載されたのかと思ったほど似ています。

遅延の回復運転中!5/30分 東武5700系

今回からが東京私鉄シリーズです。関先生のタイトルは“猫ヒゲ”とありますが、絵を見たらトトロにでてくる猫バスを思い出しました。この当時はみんな86系のまねをしたものですね。2両で扉が3箇所とは!京阪の5000型はどうなるのでしょうか?

花巻電鉄デハ1型

私が入院している間のシリーズは3回ありました。正確には秋保電鉄の後にトロリーシリーズが1回、ここから昭和20年代の東京私鉄シリーズが始まっていました。抜けた部分の新聞が産経新聞から届くまでに東急5000型の記事を掲載したものですからちょっと間抜けな事になり、関三平先生の編集に水を差したようになり申し訳なく思っています。

ポール電車シリーズの最後はみちのくの名車、花巻電鉄デハ1型です。乗った方は多くはないでしょうが知らない人はいないと思います。私は乗らなかったが見たことがある派です。乗ったらよかった、と悔やんでいます。

東急のアバンギャルドな5000型

アバンギャルドを知らなかったので調べました。“前衛的”だそうです。

前回は人気がなかったようですが今回は大東京の渋谷駅前にある人気者です。皆様の薀蓄を楽しみにしております。なお、前回の秋保電鉄のあと、今回の東急までの間に三回の掲載がありましたが私が入院中だったため未投稿です。順次投稿いたします。

お待たせしました!秋保電鉄

一ヶ月あまりパソコンが使えない環境へ出張していました。この間のシリーズを順次掲載します。

帰ってきて投稿欄を見たら長老様方が寂しそうに海外型の話などで無聊を紛らわせておられるのを見て思わず落とすひとしずく!

秋保電鉄に関しては、昔ピクトリアルに廃止した車両をトレーラーに乗せて運んでいる写真が出ていたのを覚えております。

それでは須磨の大老様、乙訓の長老様、よろしくお願いいたします。

銚子電鉄101

今週は、なんでも読者の要望で関西から飛び出して銚子まで足をのばされたようです。

前回は読み通り藤本先生と湯口大老が薀蓄を語ってくださいましたが、今回も藤本先生と湯口大老の独壇場かも知れません。

関三平先生によると、“軽便鉄道の台車を国鉄サイズに広げ”た電車と言うことですから車両、台車ともに曰くありげで、ご両所のご高説はなんとしても聞きたいものです。

(おことわり)私が来週よりしばらく留守をいたしますのでこの記事を掲載できません。帰り次第、たまった分を投稿しますのでその間少しお待ち下さい。

能勢電60型は京都市電514型の仲間?

今回は能勢電60型です。関三平先生の話を読めばなんだか市電の500型の電装品を使った514型と似ていますね。境遇が似ているせいか、絵で見ても形も似ているような気がします。

能勢電といえば藤本さんが頭に浮かびました。

嵐電が新京阪と互角の戦い!?

クローバー会総会でもこのシリーズが大人気でした! もちろん作者の関三平先生についてです。画家であるのは間違いないとして、「鉄道についてもただ者ではない」「生半可なことを書くのははばかれる」など賛辞と尊敬の言葉があふれていました。しかし、実像は誰も知らず、改めて出版されたとき買いたいというのが大勢の意見でした。出版が待ち遠しいですね。

さて、今回はポール電車シリーズの横綱、京福電車嵐山線、通称“嵐電”です。私など、市電の姉様ぐらいにしか思っていませんでしたが関先生は「新京阪嵐山線に対抗して善戦した」私鉄だといいます。と、なると市電の姉様ではなく、今で言う「阪急のライバル」ということではありませんか!

皆様のご意見はいかがでしょうか?

そうそう、総会の時に「最近、電車の大御所・河様のご意見がないが、お前がなにかしでかしたのではないか?」と疑われてしまいました。ご覧になっておられましたらご意見などお書き願えませんか?失礼なことでもありましたらその旨お申し付け下さい。すぐに謝ります。お待ちしております。

“須磨の大老”の出番ですよー!

一週間のお休みの次に来たのは、和歌山鉄道クハ803です。

関三平先生は、なにやら我々の実力を試しておられるようにも見えます。今回は、須磨の大老様をご指名ようです。

説明を読めば「他社で走っていたガソリンカーを電装解除してクハ化し」「801は片ボギーで」絵に描かれているのは803号車でボギーです。

なお、タイトルにある「和歌山電鉄クハ803号」は、文面を読むと当時は「和歌山鉄道クハ803号」の間違いではないでしょうか?乙訓の長老様。