阪急900型

900型に乗った覚えがある・・・と思ったら神戸線用だったらしい。と言うことは子供の頃乗ったのは?

小田急デハ1600

何度も言いますが、私は電車、特に関東の私鉄についてはそこら辺の女子供にも劣る知識です。このシリーズを拝読するに付けても奥深いものと感心していますが、この記事に即反応してデータと知識を開陳してくれる会員の皆様にさらなる感銘を受けております。

今日の話題は小田急電鉄です。この記事の中で疑問がいくつかありますので教えて下さい。

①昭和2年から一気に作った76両がブサイクだった、と書かれているがどんな顔だったのか?

②“いっそ小田急で逃げましょうか・・”などという歌謡曲があったのか?

③廃車後は各地で活躍した、とありますがどこで活躍したのか?

よろしくお願い致します。

京浜急行230型

この頃の京浜急行の色は、見たことがあるなと考えたら「きぼう」と同じでは?

最後は高松琴平へ行ったそうですからまたまた長老のお出ましなのでしょうか?

東急3450型、全く知らない電車です!

関先生の作品を見ているとあることに気づきました。見送り写真(後尾から先頭方向を撮る)が多いことです。普通は向かってくる列車を頭から撮るのですが、なにかこだわりがあるのか技術的な理由があるのでしょうか?写真班の方で分かる方教えて下さい。

クローバー会写真展準備完了

まもなく開催される「クローバー会写真展」に展示する会員の作品をパネルに貼る準備作業が市内某所で秘密裏に開かれた。

手配師のF氏によって集められた人夫は5人、ほとんどが未経験者で一時間をかけてで理解させた。作業を始めるとそこはベテラン、二人一組になり手際よく処理して行き18時40分には110枚の作品を完成できたのは鬼の監督と、トリミング指導の人間国宝氏の尽力によるものである。

会員各氏は友人知己を誘い合わせて見に行って下さい。

2月14日~28日 地下鉄烏丸御池駅ギャラリーにて開催です。

奈良電デハボ1200登場!

懐かしの奈良電!

思い出せば紀元節が復活した年に柏原神宮まで乗ったのが最初でした。奈良電はよく乗りましたが、久津川にいた友人の家を訪ねるためで、特急に乗ることは無く、奈良電らしからぬ明るい社内とクロスシートにかかった白いカバーに感激したものでした。

もっともこれは近鉄になってからで、この絵にある奈良電色ではありませんでした。近鉄特急の色でありながら車体幅やキハ20のような窓に旧型車の匂いがして特急料金を取られるのが不服ではありました。

 

新年第一回は山陽電鉄アルミカー

関三平画伯の「昭和の電車」シリーズも新年再開です。

山陽2000系だったか分かりませんが、扇形の模様の入った車体の電車を見たことがありました。tsurukame先輩、湯口先輩、ご解説お願いします。場所柄、前歯堅造氏あたりが適任なのだがあいにく彼は国鉄のスハ43にしか興味がなく、かつて「急行つるぎを愛する会」を一人で創ったぐらいだから山陽電車には興味はなさそうである。

名古屋市電のびわこ号?

今年最後の掲載です!連接車で市電があったのですね。先の西鉄と言い、この名古屋市電と言い、当会には応援してくれる地元出身者が少ないようで、今回も反応の薄さが危惧されます。大脇仙人~!、藤本さん!乙訓の長老様、誰でもいいから解説して下さい。ここも1000リンギット賭けます。

連接電車の急行列車・西鉄500型

先週の京阪びわこ号に続く「連接車」シリーズで西鉄500型。

と言っても西鉄とは全く無縁で知識もなし。むかしむかし、博多へ行ったとき、tsurukame氏の支配下にある金魚鉢似よく似た連接市内線を見たような見なかったような、程度。当会には西鉄マニアは居なかったようで、おそらく今回は盛り上がらずに終わることに1万ウオン賭けましょう。

 

澤村さんのお導き!

12月9日夕方、京都市内の某所で討ち入りならぬ秘密の打ち合わせが開かれるとの情報を得て、押っ取り刀で駆けつけた。そこには初老の男が7名、なにやら酒を飲みながらヒソヒソではなく大声でわめきあっている。一番年長らしい男に聞くと、まず自分はここで一番年下だと断った上で「DRFCのOBで、澤村氏の葬儀で会えなかったか、行けなかった者達の再会」とのこと。

DRFCのOBといえば、我が国鉄道趣味界における奇人変人の集合体としてとみに有名である。その会員とあらば並大抵の人格とは思えない。予想通り、話題は鉄道などかすりもせず、もっぱら年金とかつての仕事の話、さすがは奇人変人狂人の仲間である。

呼びかけの労を執って下さったパール田淵氏の心配をよそに、飲み放題をいいことに飲むは飲むは、ビールと焼酎お湯割りのやま。初参加のナポレオン山室氏や先ほど顧問の教授に間違えた稲毛氏、一人現役のサラリーマン・P6久我氏、などの怪気炎が夜の東山にこだましていた。

びわこ号がもう一度見られる?

朝のドラマで、主人公が岸和田と母方の出所の神戸を往復するシーンがたびたび出てきます。その移動に使う電車がその時代を上手く表しているのですが、どうもその電車は京阪の60・びわこ号らしいのですが誰か知りませんか?

この絵は、ちょうど今話題になっている江若の浜大津駅が後ろに見えています。ちょうど三条方向へ坂を登るところでしょう。

ところでここにも書かれていますが、本当にびわこ号はまた走るのでしょうか?澤村さんは無理だと言っていましたが、どなたか本当のところを教えてください。

南海モハ1

先回の阪急751を「お化け電車」といいましたが、それ以上のお化けが居たそうです。南海モハ1(この番号すら南海らしくない)は木造ボディーに最新型の駆動装置をつけて上下アンバランス!高速で高野山を上り下りする姿は一度見たかったですね。南海ファンの村尾君は知っていたのでしょうか?

 

間抜けな電車

間抜けな電車!失礼ながらこの記事を読んだときの感想です。カルダンドライブの車両と吊り掛けを繋いで走らせるとはなんと言うことでしょう!そりゃ乗り心地は悪いでしょうね。昔、04型気動車の5連に乗った時を思い出しました。突くは引っ張るはでむち打ちになりそうな乗り心地でした。しかし、戦後間もない頃ですでにこんな実験が行われていたのかと感心もしました。

阪神とはおもしろい電車ですね、長老様、

長老の阪神鋼製化シリーズにぴったりのお話です。関先生は「なかなかのくせ者」とは大先輩達のもっぱらの噂ですが、こんな電車の存在をご存じで、しかも絵に描いてご説明されているのを見て驚きました。最後は野上電鉄へ行ったと言うことも書かれています。

長老様、是非ともこの機会にこの電車の解説と写真のアップをお願いします。河様、turukame様、その他ご存じの方、書き込んで教えてください。

そういえば“サロン・ド・ハンシン”の総支配人だった津村君が滝本君の見舞いに行くそうです。

南海22000型とか・・・

私鉄音痴の私にとって南海電鉄は遙か彼方の電車です。と思って読んでいくと、この春乗った“天空”の事でした。なるほど第二の人生が華やかでうらやましい限りではあります。ズームカーの意味も初めて知りました。ア~恥ずかし!!

今度は阪急2100

京都線の2300に乗ったのは大宮から東へ河原町までの延伸が完成したときでした。高校の授業を抜け出して、阪急からもらった「全線無料券」を使ってのただ乗り旅行に出かけました。といっても時間の関係で梅田折り返しがせいぜいだったのが今でも残念でなりません。

このとき乗ったのが2300、京阪の2000や阪神の5200と同じ高性能電車に地下鉄の開通と相まって新時代の空気を胸一杯に吸い込んだのを覚えています。しかし、下降式窓なのがなぜか古いイメージで、市電の500型と同じやな、とおかしな感心もしました。

おまたせしました!京阪2000系

やっと京阪2000系が登場しました。新型という意識がありますが、登場が昭和34年とか。もうそんなになるのか、と感慨を持ちますが当時とすれば先進のデザインだったと改めて感心しました。薀蓄はお任せしますが澤村氏の逝去が悔やまれて仕方ありません。

阪神ジェットカー5201型

本来なら乗る機会もない阪神電車だが、この電車には思い出があります。

それは中学に入って間もない頃、叔父が阪神鳴尾に住んでいたため休みになると遊びに行っていました。大阪駅まで国鉄で行って阪神電車に乗り換えると遙か彼方だった神戸が急に身近に感じられ、大冒険に出かけたような高揚感に満たされたのです。そんなある時、茶色い古い電車に混じって明るい赤や青の帯もまぶしい新車が入ってきました。乗ってびっくり、発車すると一気に加速して身体が吹っ飛びそうになりました。次の駅に止まる各停に乗ったつもりが通過するのかと焦りかけたそのとき、駅の中間まで過ぎたあたりで急ブレーキ!(そう思えるほど驚いた)無事停止位置に止まりました。このときの驚きは今でも忘れません。その後、国鉄環状線にも90系(後の101系)が入ったので早速乗りましたが、ジェットカーほどの加減速感はなく、国鉄ファンの私はがっかりしたのを思い出しました。

久しぶりの関三平先生です。近鉄ラビットカー6800

関先生の絵を見ていて気がついたのですが、色が少し薄いように思いました。8月に佐竹先輩の写真展で乙訓の長老様とこの色の話になりましたが、この色合いを言葉で説明するのは難しい、と言うことが結論でした。また、先生の絵は後ろ姿が多いのにも気がつきました。写真を元にしておられるのかと思いますが珍しいのではないでしょうか。今回の「近鉄ラビットカー」も見送りです。ところで今回の絵の中で右遠方から接近してくる電車が気になりました。

これはなんだ?長老様!

いくら戦後の混乱期だからといってもこんな車両がお金を取って走っていたのでしょうか?

関先生が書いておられるので本当にあるのでしょうがにわかには信じられません。そこで普段から琴電のことなら俺に聞け!とばかりに薀蓄を吐露している乙訓の長老様、藤本様、これに関する情報を公開してください。