久しぶりの関三平先生です。近鉄ラビットカー6800

関先生の絵を見ていて気がついたのですが、色が少し薄いように思いました。8月に佐竹先輩の写真展で乙訓の長老様とこの色の話になりましたが、この色合いを言葉で説明するのは難しい、と言うことが結論でした。また、先生の絵は後ろ姿が多いのにも気がつきました。写真を元にしておられるのかと思いますが珍しいのではないでしょうか。今回の「近鉄ラビットカー」も見送りです。ところで今回の絵の中で右遠方から接近してくる電車が気になりました。

久しぶりの関三平先生です。近鉄ラビットカー6800」への1件のフィードバック

  1. ラビットカーの登場は鮮烈であった。南大阪線は当時、車両の近代化に立ち遅れた存在であり、輸送力向上が急務とされていた。中でも矢田⇒阿倍野橋間の朝ラッシュ時が問題となり、急行待避後、次の急行に追われることなく約3分走行時分を詰めることを目標として開発されたのが6800系ことラビットカーなのである。詳しいことは忘れたが、見事にそれを果たし救世主となり、以後の南大阪線の主となった。スタートダッシュ、急減速の繰り返しはピョンピョン跳ねるウサギを思わせるとして命名されたもので、通勤通学電車としての目的を見事達成した日本最初のものである。阪神のジェットカーより2年早く登場したが、全線ダイヤ改正とはならず、河内天美以北だけであったので、車両の外部塗色の方が話題になった向きもある。関三平さんもその色の再現には苦労された思う。鮮やかなサーモンピンクと言った方が当っているかも……。対向列車は木造車の鋼体改造車である。

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